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少年法の壁  作者: リンダ


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盾にした名前、奪われた未来



第42話 盾にした名前、奪われた未来


 保護者会の空気は、前回とは比べものにならなかった。


 前は怒りだった。

 だが今回は、怒りに加えて証拠があった。


 しかもその証拠は、学校側や加害者側保護者が今まで何度も、

 「そんなつもりじゃない」

 「誤解だ」

 「一部を切り取られている」

 と曖昧にしてきたものを、逃げ道の少ない形で突きつけるものだった。


 体育館には、いつもより明らかに多くの保護者が集まっていた。

 空気はざわついているのに、底の方では妙に冷えている。

 誰も、今日は丸く収まるとは思っていなかった。


 前方の机には、校長の安西誠也、教頭、教育委員会担当者、高石正美。

 そして今回は、弁護士の佐藤絵梨奈も被害者側の代理として正式に同席していた。


 その時点で、もう学校側の“校内で収める”前提は崩れていた。



 最初に口火を切ったのは、佐藤だった。


「本日は、これまで学校側が説明してきた内容と、実際に確認された証拠との間に大きな乖離がある点について、明確にしていきます」


 その落ち着いた声だけで、体育館の空気が少し締まる。


 校長の安西は、表情を崩さずにうなずく。

 だが、その穏やかさが今は逆に白々しかった。


 佐藤は続けた。


「特に問題なのは、学校側が一貫して“未成年の未来”“教育的配慮”“少年法の精神”といった言葉を用いながら、被害児童の人権と未来よりも、加害側への配慮を優先する方向へ議論を誘導していたことです」


 その言葉に、会場がざわついた。


 安西が静かに口を開く。


「誘導、という表現は不適切かと――」


「では訂正してください」

 佐藤が即座に返す。

「校長先生は、被害児童が長期欠席・過呼吸・精神的疲弊に至っていることを把握しながら、なお『加害者とされる子にも未来がある』『あなた方に子どもたちの未来を奪う権利があるのですか』と発言された」

「……」

「これは事実ですね」


 安西の目がわずかに揺れる。


 体育館の後方で、何人もの保護者が顔を見合わせる。


「録音があるんですか」

「本当に言ったの?」

「被害者の前で?」


 ひそひそ声が広がる。


 健斗は前方で、黙ったまま拳を握っていた。

 葵は一歩も引かない目で校長を見ている。



 教頭が割って入るように言った。


「その発言はあくまで、未成年児童全体への教育的観点から――」


「その“教育的観点”が問題なんです」

 今度は葵がはっきり言った。


 その声には、今まで積み重なった疲れと怒りが一緒に乗っていた。


「理人は、学校へ行こうとしただけで息ができなくなった」

「……」

「好きだったものまで手放しかけた」

「……」

「美羽も接触された」

「……」

「それでも学校は、“向こうにも未来がある”を先に言った」


 体育館は静まり返る。


「被害を受けた側の未来は、もう削られていたんです」

 葵は続けた。

「それを前にしてなお、加害者の未来を先に守ろうとした」

「……」

「それは配慮じゃない。順番を間違えた加害の延長です」


 その言葉に、会場のあちこちから小さく「そうだ」という声が漏れた。



 ここで佐藤が、机の上の資料を一枚持ち上げた。


「次に、SNS投稿の件です」


 その一言で、空気がまた変わる。


 今まで加害者側保護者が最も逃げ続けてきたのが、ここだった。

 “うちの子が書いたとは限らない”

 “見ていただけかもしれない”

 “なりすましの可能性もある”

 そうやって、のらりくらりとかわしてきた。


 だが今日は違う。


「すでに発信者情報の開示が行われています」

 佐藤ははっきり言った。

「複数の裏アカウント投稿について、投稿端末および関連アカウントの接続情報から、発信元が特定されています」


 その瞬間、前列に座っていた神谷の母の顔色が変わった。

 江口の父も、初めて真正面から動揺を見せる。

 水田の母は、唇をきゅっと閉じた。


 会場の保護者たちから声が上がる。


「え、もう特定されてるの?」

「じゃあ逃げてたってこと?」

「ずっと否定してたのに?」


 佐藤は資料を机へ置き、続ける。


「これまで保護者会で、“うちの子はそんなことに加担するはずがない”“何か言ったわけでも危害を加えたわけでもないのに加害者扱いするな”という発言が繰り返されてきました」

「……」

「ですが開示結果を見る限り、その説明は成り立ちません」


 ざわめきが怒気へ変わっていく。



 ついに、一人の保護者が立ち上がった。


「じゃあ、何で最初から認めなかったんですか!」


 それをきっかけに、怒号が次々と飛ぶ。


「ずっと被害者側を責めてましたよね!?」

「“大人が騒ぎを大きくしてる”って言ってたの誰ですか!」

「自分の子を守るために、被害を小さく見せてたんじゃないですか!」

「学校も知ってて隠してたんですか!」


 江口の父が立ち上がりかける。


「いや、ちょっと待ってください。子どもが書いたことと、親が全部把握してるかは別で――」


「別じゃないでしょう!」

 別の保護者が怒鳴り返す。

「保護者会であんなに強く否定してたじゃないですか!」

「“うちの子は悪者にされた”って言ってましたよね!?」

「何が事実確認ですか!」


 神谷の母も、表情を必死に保ちながら言う。


「もちろん、もし娘が関与していたなら、それは厳しく受け止めます。ただ、子ども同士のやり取りには未熟さもありますし――」


「また未熟さですか!」

 今度は前の列の母親が叫ぶ。

「何でも未熟で済ませるつもりですか!」

「被害を受けた子の未来はどうなるんですか!」

「ここまで追い詰められてるのに!」


 体育館の空気は、完全に学校側の制御を離れていた。



 安西校長は何とか落ち着かせようとした。


「皆さま、どうか冷静に――」


 だが、その言葉にすぐ怒声が返る。


「冷静じゃなかったのは学校の方でしょう!」

「ずっと隠してたんでしょう!」

「教育委員会も何してたんですか!」

「体調不良って書いて終わりにするつもりだったんですか!」


 教育委員会担当者が苦しい顔で口を開く。


「報告内容については学校からの整理を前提に――」


「それが無責任だって言ってるんです!」

 保護者の一人が叫ぶ。

「学校任せにして、確認しなかったんでしょう!」

「それで機能してるって言えるんですか!」

「何のための教育委員会なんですか!」


 “教育委員会の機能不全”という言葉が、会場の中でも現実のものになり始めていた。



 高石正美は、その場で何度も目を閉じそうになった。


 この怒りは当然だ。

 むしろ、今までここまで噴き出さなかったことの方が異常だった。


 だが同時に、高石は思う。

 この怒りは本来、もっと早く学校の中で正面から向き合うべきものだった。

 それを、校長や教頭、教育委員会が“少年法の精神”“教育的配慮”“慎重な確認”で先送りしてきた。

 そのツケが今、一気に外から返ってきているのだ。


 高石は小さく息を吐き、はっきり言った。


「理人くんがここまで追い詰められた責任を、学校は軽く見すぎていました」


 その声は、怒号の中でも不思議と通った。


 会場が少し静まる。


「そして、加害した側の将来や学校の体面を先に語ることで、被害の重さを薄めてきた」

「……」

「その点については、担任として私にも責任があります」


 高石はそこで頭を下げた。


 その姿に、数人の保護者が押し黙る。

 校長や教頭が決して見せなかった種類の謝罪だった。



 佐藤絵梨奈は、その流れを受けて最後にはっきり言葉を置いた。


「確認しておきます」

 その声は冷静だったが、逃げ道を残さなかった。

「守るべき順番を、もう一度はっきりさせます」

「……」

「最優先されるべきは、被害を受けた側の人権と未来です」

「……」

「加害者の人権や未来は、それを否定するものではありません」

「……」

「しかしそれは、責任をきちんと果たした上で論じるべきものです」


 誰も口を挟まない。


「責任を曖昧にしたまま、“未成年だから”“未来があるから”と前に出すのは、法の趣旨でも教育でもありません」

「……」

「それは、被害者の未来をさらに踏みにじる論理です」


 その言葉は、体育館の端まで届いた。


 学校を治外法権にしてはいけない。

 その空気が、ようやくこの場全体に広がり始めていた。



 会が終わったあとも、怒りは簡単には収まらなかった。


 学校幹部は厳しい追及を受け、

 加害者側保護者も、これまでのように“被害者側を責める側”ではいられなくなっていた。


 外へ出た証拠。

 開示された発信者情報。

 録音された言葉。

 そのどれもが、もう内輪の言い逃れを許さない。



 同じころ、飯山の祖父母の家では、美羽が理人と光の間に座って、ミット打ちの真似をしていた。


「こう?」

「ちがう、もっと前!」

「えー!」


 その声を聞きながら、理人は少しだけ笑った。


 横須賀では、学校も教育委員会も加害者側も追い詰められている。

 でも飯山では、ようやく兄妹が少しずつ息を取り戻している。


 外で起きている“追及”と、ここで起きている“回復”。

 その両方が、物語を前へ押していた。



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