表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
少年法の壁  作者: リンダ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/30

謝らない大人たち



第25話 謝らない大人たち


 子どもが傷つけられるとき、

 その傷は子どもだけのもので終わらない。


 大人たちは、そこで二つに分かれる。


 傷ついた子の苦しさを見る側と、

 自分の立場や自分の子を守ることを先に考える側。


 そして多くの場合、後者の声の方が大きい。



 保護者会が開かれることになったのは、音声データが学校へ提出され、理人への加害がもはや“誤解”では済ませられなくなったあとのことだった。


 学校側の説明では、

 「一部児童間の深刻な人間関係トラブルについて、保護者の皆さまと認識を共有し、今後の対応を検討するため」

 というものだった。


 だが、その文言自体がすでに、葵にはぬるく感じられた。


 深刻な人間関係トラブル。


 それは、いじめという言葉を避けた言い換えだった。

 加害と被害のある出来事を、あえて“双方の関係”の問題へ薄める言い方だった。


 それでも伊達家は行くしかなかった。

 理人本人はもちろん来ない。

 もうそんな場所へ座らせるべきではない。


 会議室へ入る前から、健斗の顔は固かった。

 葵も無言だった。



 会議室には、すでに何人もの保護者が集まっていた。


 神谷の母。

 江口の父。

 水田の母。

 そして名前が表に出ていない子どもたちの保護者たちもいる。


 顔ぶれを見ただけで、空気は分かった。


 謝りに来た空気ではない。


 自分の子どもを守りに来た顔だった。


 前の席には校長の安西誠也、教頭、高石、学年主任が並ぶ。

 テーブルには資料。

 マイクはないが、校長が“説明”する側の位置に座っている時点で、この場がもう半ば形式の場であることは伝わってきた。


 安西が立ち上がり、いつもの落ち着いた口調で話し始める。


「本日はお忙しい中お集まりいただきありがとうございます。本校六年一組において、児童間で重大な事案が確認され、現在、学校として事実確認と対応を進めております」


 その話し方は丁寧だった。

 しかし、どこか最後まで他人事のにおいが抜けなかった。


「現段階では、特定児童による不適切な言動、SNS上の書き込み、ならびに教室内での不安定な人間関係が認められております。学校としては、今後、全児童の安心安全を第一に――」


 そこで、江口の父がいきなり口を挟んだ。


「ちょっと待ってください」


 会議室の空気が止まる。


 江口の父は、最初から腕を組んだままだった。

 そのまま身を乗り出して言う。


「“特定児童による不適切な言動”って、要するにうちの子らが悪いって話ですよね?」


 安西が慎重に言葉を選ぶ。


「現時点では、関与が疑われる児童が複数おり――」


「うちの駿が悪者にされた、ってことじゃないですか」


 その声は、もはや確認ではなく怒気を含んでいた。


 すぐに別の保護者も続く。


「うちの子が、そんなことに加担するわけないんですけど」

「そうですよ」

「証拠って言っても、音声だけでしょ?」

「誰が何を言ったか、はっきり特定できるんですか?」


 ざわめきが一気に広がる。


 教頭が「皆さん、順番に」と制そうとするが、もう遅い。


「うちの子は何か言ったわけでも、危害を加えたわけでもないのに、なんで加害者に認定されなきゃならないんですか!」

「SNSだって、見てただけかもしれないじゃないですか!」

「子ども同士の話を、こんな大げさにして……」


 怒号に近い声が飛ぶ。


 そのどれもが、

 理人に何が起きたかより、

 “自分の子が加害者と見られること”

 の方を重く扱っていた。


 健斗は黙っていた。

 だが、その黙り方は限界に近づいていた。



 安西は何とか場を整えようとした。


「決して、現段階で断定的に決めつけているわけではありません」

「学校としても、慎重に――」


 また、その言葉だった。


 慎重に。

 断定ではない。

 対応を進める。


 責任の輪郭をぼかす言葉ばかりが並ぶ。


 葵は、そこで初めて口を開いた。


「断定されるのが怖いんですか」


 その一言で、会議室がぴたりと静まる。


 葵は席に座ったまま、まっすぐ前を見ていた。


「うちの子は、学校を思い出すだけで息ができなくなります」

「……」

「好きだったものに手を伸ばせなくなりました」

「……」

「机に“きえろ”と書かれ、写真に写れず、ご飯もまともに食べさせてもらえず、服で隠れる場所に青あざを作って帰ってくるんです」


 その一つ一つが、空気を重くしていく。


「それでも今ここで皆さんが一番大きな声で守ろうとしているのは、うちの子ではなく、“自分の子が悪者にされること”なんですね」


 神谷の母が眉をひそめる。


「それは少し違います。私たちだって、もし本当に傷つけた部分があるなら――」

「“もし”じゃないです」

 葵は即座に返した。

「もう“もし”ではないところまで来ています」


 神谷の母の顔が一瞬こわばる。


 だが今度は、水田の母が口を挟んだ。


「でもお母さま、それではあまりにも一方的ではありませんか。うちの子たちはまだ小学生です。未熟な部分もあるし、軽率な発言もあるかもしれない。でも、それを全部“大人の理屈”で悪意だと決めつけてしまったら――」


 健斗がそこで、ついに顔を上げた。


「軽率?」


 低い声だった。


「“お前がいなくなったらみんな幸せ”が、軽率ですか」

「……」

「“消えろ”が、軽率ですか」

「……」

「服の下に青あざを作るようなことが、未熟さで済むんですか」


 その声は怒鳴ってはいない。

 だが抑え込んだ怒りが、会議室の空気そのものを押していた。


「私たちの息子を、何だと思っているんですか」


 健斗のその言葉は、前の面談のときよりさらに重かった。


「一人の子どもです。感情があって、痛みがあって、怖さがあって、家に帰ってやっと息をしている子です」

「……」

「それをここまで追い詰めておいて、“うちの子は悪くない”“大人が騒いでいるだけ”って、よくそんなことが言えますね」


 その一言のあと、会議室には重たい沈黙が落ちた。



 だが、それでも謝罪は出てこなかった。


 誰も、

 「うちの子が傷つけました」

 とは言わない。


 せいぜい、

 「事実確認をした上で必要があれば指導します」

 とか、

 「誤解を招いたなら遺憾です」

 とか、

 そういう言葉ばかりが並ぶ。


 謝らない。

 責任を引き受けない。

 でも、加害者と見られることだけは拒絶する。


 それが、この場に集まった大人たちの共通した姿勢だった。


 安西校長も、その空気を本気で壊そうとはしなかった。


「学校としては、今後も丁寧な対話を重ね――」

「対話じゃ足りないでしょう」

 葵が言う。

「もう、ここまで来てるんです」


 安西は少しだけ言葉に詰まった。

 だが最終的には、また同じ場所へ戻る。


「まずは冷静に」

「感情的にならず」

「慎重な確認を」


 謝らない大人たちの言葉は、驚くほど似ていた。



 その場で、理人の親だけが被害の現実を言葉にし続けた。


 葵は、理人がもう空を見上げなくなったことを話した。

 健斗は、夜の風呂で見た脇腹の青あざを話した。

 美羽が兄の教室で見たものも伝えた。

 過呼吸で玄関に座り込んだ朝のことも、隠さず話した。


 そのたびに、会議室のどこかで誰かが視線を逸らす。


 でも、逸らしたところで理人の現実は消えない。


 それを消させないために、二人は言葉をやめなかった。


 健斗は最後に、机の上のパソコンへ手を置いて言った。


「音声データは、必要に応じて学校外にも提出します」


 その言葉に、何人かの保護者が明らかに反応した。


「学校外って、どういう意味ですか」

 神谷の母が聞く。


「必要なら、弁護士にも出します」

 健斗ははっきり答えた。

「もう“学校の中だけの話”で終わらせるつもりはありません」


 その瞬間、初めて加害者側保護者の表情に別の種類の緊張が走った。


 自分の子が悪者に見られることは嫌だ。

 でも、法的な外の目が入るのはもっと困る。


 その計算が、顔に出ていた。


 葵はその顔を見て、改めて思った。


 結局この人たちは、最後まで理人ではなく、自分の側を守ることしか考えていない。



 保護者会が終わっても、何かが解決したわけではなかった。


 むしろ、学校側の限界と、加害者側保護者の本音がはっきりしただけだった。


 伊達家にとって、それは絶望でもあり、同時に覚悟でもあった。


 もう、この人たちの“良識”を待ってはいけない。


 守らなければならないのは理人であって、

 学校の体面でも、

 他の保護者の気分でもない。



 家へ戻ると、理人はリビングのソファで膝を抱えるように座っていた。


 会議がどうなったのか、聞きたそうにしている。

 でも、聞くのも怖い。

 その迷いが、表情に出ていた。


 葵は少しだけ間を置いてから言った。


「謝る人は、ほとんどおらんかった」


 理人の目が、少しだけ揺れる。


 やっぱり。

 そう思ったのかもしれない。


「でも」

 健斗が続ける。

「俺たちはもう、引かない」


 理人は何も言わなかった。

 ただ、その言葉だけを静かに受け取っていた。


 謝らない大人たちの声は、まだどこか胸に残る。

 でも、それ以上に、

 父と母が被害を言葉にし続けてくれたことも、

 理人の中へ確かに残っていた。



 その夜、理人は布団の中で天井を見ながら思っていた。


 子どもたちだけじゃない。

 大人まで、自分を“なかったこと”にしようとするのかもしれない。


 その事実は重かった。

 でも同時に、

 父と母だけは、

 自分を消さないでいてくれる。


 それだけが、今の理人にとってはかろうじて世界とつながる糸だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ