第8話「プレイヤーキラー」
プロセルピナの世界から脱出するべくクエストを開始した俺達は順調に消化していた。
スタビリスの街中で完結するクエストは全て終わらせ、周囲に点在する討伐クエスト。そして二体のネームドモンスター「ホーンド・サーペント」と森林に潜む意思を持ち人を襲い捕食する巨木「ミスティルテイン」を撃破し、ついにスタビリス領地からさらに外の世界へと範囲を広げることになった。
その領地にはスタビリスの街を中心とし、小さな町と緑が生い茂る森林地帯とホーンド・サーペントが潜む洞窟があった。小さな町は村人NPCしかおらず特に情報も何もない。スタビリス領地と外の世界とを隔てる境界線には石でできた壁が設置され、地平線の彼方までどこまでも続いていた。
境界線には鎧を着込んだ衛兵NPCが物言わぬ人形のように立っている。俺は彼を一瞥すると石でできたアーチをくぐった。
はじめてみる外の世界は一面、草の絨毯が広がっていた。遠くには山脈が連ね境界線から一本の道が地平線まで続いている。近くには川が流れているのだろう。水の足音が囁くように耳元に届いていた。
俺達はここまで歩いてきたがスタビリス領地を出るだけでもかなりの時間を要した。外の世界を探索するには乗り物が必要だと思えた。俺は傍らに漂うスマートフォンへ向け語り掛ける。その脇をウォルガンフとシャルルが通り過ぎていった。プリムは真横に立ったままだ。
「次の街までの距離は?」
歩きながらスマートフォンを一瞥し後ろを振り返る。距離が離れていくにつれ立っていた衛兵の姿はみるみるうちに小さくなっていった。
一本道の脇には木々が寄り添っていた。草原を優しく撫でる風が木の葉を揺らしざわめく。
『徒歩だと二時間以上かかりまス。それとここから先はプレイヤーキラーが可能なエリアとなっていまス。ご注意くださイ』
シーリスの声が響いた瞬間だった。
言葉にならないほど短い声が響いたかと思うと前を歩いていたウォルガンフの体が崩れ去る。彼は脇腹を押さえ地面に膝をついた。その押さえた指の間から鮮血が流れ出ていた。
長身のウォルガンフが屈んだことでその黒い人影が視線上に浮かび上がる。右手にはナイフのように鋭利に尖り先端が湾曲した刃物のようなものを持ち、全身を真っ黒いゆったりとしたローブに身を包んでいた。
頭からすっぽり黒い奇妙な紋章が刻まれた布をかぶっていて中身が人間なのかどうかもわからない。ただ理解できることはこの黒い何かがウォルガンフを斬りつけ、そして次の標的にシャルルを狙っていることだけだった。
人影が素早く動く。鈍い光を放つ短い刀身でシャルルを切り裂くべく大地を滑るように疾走した。シャルルは目の前で起きていることに反応できないのか目を見開き動く気配がなかった。
白刃が空間を裂く。しかしその刃は彼女を切り裂くことはなかった。頭部に纏った黒い布にツインテールの美少女が突撃していた。咄嗟に投げつけたノアトークンが無表情のまま頭部を弾丸の如く撃ち抜き、その衝撃で相手は倒れ込む。
「シャルル! ウォルフさんを連れて衛兵の所まで走れ!」
張り上げたその声にムチで打たれたかのように体を震わすとシャルルは、血を流すウォルガンフの体を支え衛兵の元へと歩き始めた。
その光景を確認すると慌てふためくように羽ばたくハピネスを視界に収め再び声を張り上げる。
「プリムとハピネスさんはアルカナ起動!」
俺がそう叫んだ瞬間に「できませン」というシーリスの言葉が飛ぶ。その言葉を裏付けるかのように愚者も不死鳥も目の前に舞い降りることはなかった。
『アルカナ抑制の領域魔法がプレイヤーキラーから展開されていまス。アルカナを起動することはできませン』
シーリスの言葉に俺は地面へ一瞬、視線を落とした。よく見ると草の絨毯の上に僅かだが発光している図形が刻まれている。これが恐らく領域魔法というものなのだろう。
アルカナが起動できないということは自分の身を守るものは自分でしかない。鳥のアバターであるハピネスは論外だしシャルルも無理だろう。ウォルガンフは傷を負っている。この場を切り抜けるには自らの拳とノアトークンを駆使するしか道はなかった。
咄嗟に横に立つプリムと視線が交わる。アメジストの輝きは奮戦の高揚を湛えていてその表情は真剣身を帯びたものだった。
俺は短く「逃げろ」と言うが彼女は首を横に振る。
「ここで逃げてキミに何かあったら絶対、後悔すると思う。それにいくらキミでも背中に目はついていないでしょ?」
本当は逃げて欲しかった。彼女に傷ついて欲しくはなかった。しかし彼女は恐らく強情だ。言っても無駄だろうという気持ちが俺の心の中に芽生えていた。
俺は「戻れ!」とノアトークンに指令するとまるで糸で結んでいるかのようにトークンが手元に引き寄せられる。
「武器はあるのか?」
「うーん。とりあえずは……」
プリムは小首を傾げると、何かを思いついたのか足元に落ちていた石を拾うと振りかぶった。そして頭を抱え起き上がったプレイヤーキラー目がけて石を投げつける。彼女の手を離れた剛速球は頭部を撃ち抜き、黒い影は再び倒れた。
「投石……かな?」
『プレイヤーキラーへダイレクトアタック。耐久値二十パーセント減少しましタ』
シーリスの戦闘ログを耳にして俺は驚嘆の声をあげた。
「……お前、強くね?」
「元々、このアバターは身体能力高いみたい。それにね」
彼女は懐から一枚の紙を丸めた巻物を取り出した。印を外しその白い手からだらりと紙が垂れ下がる。そこには見た事がない奇妙な文字が書き綴られていた。
プリムはそれを俺に見せながら微笑んでみせる。
「これは商人NPCから購入したものなの。アルカナを起動しなくても一時的に魔法を使える魔法道具みたい」
彼女は鋭い視線を前へ向け、その整った唇がある言葉を紡いだ。
「全能力強化」
プリムの言葉とほぼ当時に紙に火が付き燃え上がる。それは一瞬で灰となり消え去った。その瞬間、全身に力が漲るのを俺は感じた。
ノアトークンが右手に戦斧「バイルエグゼキューション」を召喚する。元のサイズとはかけ離れた小さい物だが今の状況ではそれが頼もしく思えた。
プリムの投石を受け倒れた黒い人影は再び大地に足をつける。太陽の光の下、取り残された夜の残滓のような漆黒はその体を震わせたかと思うと残像を生み出し焦点がずれた。一人だった影が二体に二体が四体へと増えていく。まるで分裂しているかのようだった。
それを睨みながら俺はシーリスへ語り掛けた。
「こいつらは何者だ? 人間なのか?」
『違いまス。大陸に配置されたNPCでプレイヤーキラーとしてプレイヤーを狙うムービングオブジェクトでス』
「……それを聞いて安心したぜ。NPCなら遠慮はいらねぇな」
その言葉が開戦の合図であったかのように黒い影が迅速に距離を詰めてくる。俺はそっとノアトークンに耳打ちした。
「絶対にプリムに奴らを近づけるな。彼女に傷一つ負わせるな。いいな?」
普段、無表情なトークンだがその時、こくんと頷いたように見えた。
その瞬間、俺はトークンを掴み投げつける。黒いドレスをなびかせトークンは空中で体を回転させると回転力で上乗せされた戦斧の刃がプレイヤーキラーの体を切り裂いた。
鮮血をまき散らし倒れた後にトークンを手元に戻させる。ムチのようにしならせたその勢いでプリムへ迫っていたもう一体の影を背後から胴体を分断させた。血を流し倒れた黒い人影はしばらくすると空中に溶け込むように消えていく。
その時、俺の背後に何かが動く気配がする。振り向いた瞬間に目の前に刃が銀色の光を放っていた。
咄嗟にプリムが俺の近くで漂っていたスマートフォンを掴む。美しい桜色の髪が彼女の動きに呼応するかのように揺れ、プレイヤーキラーの頭部めがけてそれを投げつける。
全能力強化により上昇した膂力は凄まじい速度でスマートフォンを弾丸のように撃ち出した。
『プリムさまああああああああああ!』
シーリスの悲痛な叫び声と同時にらせん状の風を纏った「俺」のスマートフォンは、黒い影の頭部を撃ち抜く。
その瞬間、視界の中に漆黒の残滓が浮かび上がった。ナイフをかざし闇はプリムの背後へ迫っていた。俺は素早く彼女の体を後ろへ引っ張ると銀色の刃の前に立ちはだかった。
全能力強化により動体視力も強化されているのだろうか。ナイフの動きはまるでスローモーションのようにゆっくり動いて見える。
緩やかな時の流れの中で、左手で刃をさばくと右手を構えまっすぐ打ち出す。現実世界で空手の稽古をした時、何度も反復して身についた動きだった。
強化された拳は黒い体へめり込みくの字に曲げる。うずくまるかのように下がった頭を腰の回転により加速した左拳が打ち抜いていった。
衝撃音と共にプレイヤーキラーが地面へ崩れ去る。そして黒い体は跡形もなく消え去った。空中を漂いスマートフォンが俺の手元へ戻ってくる。
『プレイヤーキラーの撃退に成功しましタ。現在、周囲に存在は確認できませン』
安堵感を促すシーリスの言葉を耳にした途端、力が抜け俺は地面に座り込む。その背中にぴったり張り付くようにプリムも座り込んでいた。
気張っていたのだろう。現実世界ではまずこんなことはしないのだから。俺も「腰が抜けた」と言えば恥ずかしい表現だがシーリスの言葉を聞いた途端、力が抜けてこの様だ。
できればもう二度とプレイヤーキラーなんかとは戦いたくないなと俺は思った。自分が傷つくのは勿論、嫌だがそれ以上に彼女が傷つくのはもっと嫌だからだ。
地面につき体を支えている俺の手にプリムの手が添えられた。俺はそっと握り返した。