第9話「女心と秋の空」
ウォルガンフの傷は深くはなかった。
獣の勘と言うべきか。彼は仄暗い水底から自分を引き込もうとする手が伸びてくるような暗い予感に襲われ、咄嗟に身を捻ったそうだ。もしその動きが無ければウォルガンフは、もしかしたら水底という名の死へ引き込まれていたのかもしれない。
彼はプレイヤーキラーの領域魔法の範囲外で「太陽」のアルカナである「ファイアロート・サンバード」の自動回復により、血は止まり傷もみるみるうちに塞がっていく。元々ウォルガンフのアバターは回復力も高いようだ。
俺は「プレイヤーキラーは撃退した」と告げると彼は目を丸くして驚いていた。
シーリスの話だと大陸に配置されているMobであるプレイヤーキラーの存在は相当、危険に思えた。しかしスタビリス領内から出て外の世界を探索しないことには「全てのクエストクリア」は不可能だ。それだと「現実世界へ戻る」という目標への扉も閉ざされてしまう。
一度、戻り協議した方がいいと判断した俺は「康寧亭」へ戻ることを提案した。その時、スマートフォンからシーリスの声が耳に届く。
『近くにプレイヤーの反応がありまス』
「詳細は?」
『男性二名。こちらに向かってきまス。接触まであと二分』
「……なんだ。野郎か」
俺とウォルガンフがほぼ同時にため息と共に肩を落とす。その様子を見てシャルルが「あんたら。わかりやすいのね」とケラケラ笑っていた。
シーリスの言葉通りどこからともなく声が聞こえる。それは聞き取れないほどの小さな囁きから徐々に音量を上げ、はっきりとした絶叫となって耳にこだました。
「のぉおおおおおお!」
どうやら男が叫んでいるようだった。
声のする方向を見ると一人の白いスーツを着た男と一匹の二本足で立つ獅子を思わせる獣人がこちらの方向へ全力疾走していた。風を切って走る彼らの後を二体の黒い影が追う。どうやらプレイヤーキラーに襲われているようだ。
当然だがプレイヤーキラーはプレイヤーしか襲わない。つまり彼らも俺達と同じく「現実世界からここにきた」人間だということだ。
俺はノアトークンを空高く舞い上げた。空中で弧を描くように跳んだ彼女は体を回転させ戦斧をプレイヤーキラーに叩きつける。黒いドレスが舞うと同時に黒い体は肉塊と化し、地面を血で赤く染めたかと思うと霧散して消え去った。
もう一体は目の前の惨状に怖れを抱いたかのように一目散にその場から逃げ出し、黒い姿は目に霞がかったように空気中に溶けていった。
ノアトークンが「戻れ」という指令と共に俺の手元に引き寄せられてくる。走っていた二人のうち獅子を思わせるたてがみを揺らし金色の毛を持つ獣人が俺に近づいてきた。どうやら走るのに夢中で自らの後ろで起きていた凄惨な状況は見ていないらしい。
「助かった。ちょっと外へ出てみようと思ったらこの様だ。彼には本当に困る」
獅子は肩をすくめてみせると俺に手を差し出した。
「ウィルトだ。そして後ろの彼がオラクル」
「レヴィ。一応、ここのメンバーのリーダーをしている」
俺は出された毛むくじゃらの手を握り返すと、息切れし肩を大きく動かしていた白いスーツの男へ視線を移す。どうやら呼吸が整ったのか彼はすっと立ち上がった。
見ると髪も白く頭から獣を思わせる尖った耳と尻尾も見える。人と虎を合成したら彼のような姿になるのではないだろうかと想像させる姿だった。
彼は近づく俺に対して突如、奇妙な行動を取る。それはまるで話しかける相手が違うと言わんばかりに手を左右に振る動作だった。
「ノンノン。メンズなんてノーウェイ! ボクはレディと話したいな」
「は?」
心の中にどこからともなく苛立ちが芽生える。
「そうか。女がいいのか」と俺はぼそりと呟くとシャルルを手招きして呼んだ。何事かと首を傾げつつも彼女が俺の元に歩み寄ってくる。俺はそんな彼女に耳打ちした。
「そこの彼が女性であるあんたと話をしたいってさ」
「あらぁ。ナンパ? 悪くない男ねぇ」
髭を生やした顔をほんの少し上気させ、見た目が中年男の彼女が白いスーツの男であるオラクルに近づいていく。彼にしてみたらそれは悪夢に近い光景だったことだろう。
俺はそんな彼らに手を振り背中を向ける。その瞬間に「のぉおおおお!」という絶叫が響き渡ったが振り向くことはしなかった。
歩きながら何かの通知音を耳に拾い漂うスマートフォンへ視線を移す。そこにはハピネスからのWhisperが表示されていた。俺はスマートフォンを手に取りタップすると耳に当てる。
「どうしたんですか?」
「なんかね。プリムさんが激おこなんだけどレヴィ君。何かしたの?」
「覚えがないです。つーかさっきまでにこやかにPKにスマホぶん投げてましたよ?」
「そう。まぁ女心と秋の空って言うからね。女の怒る理由なんて男にはわからないものよ」
そこでハピネスからの囁きは止まる。プリムに視線を移すと彼女は少し離れた位置に立っていたので表情ははっきりとは見えなかったが、全身からまるで怒りの炎を噴き出しているかのように俺の目には揺らいで見えた。
顔から血の気が引くのを感じながらおそるおそる彼女へ囁きを飛ばす。第一声は短く「何?」だった。明らかに怒っているのが口調から感じられた。
「……なんか、あった?」
「何も」
「いや何か怒ってない?」
「はぁ? 何言ってんの? 意味わかんないし!」
ブツンと囁きが切られる。俺はスマートフォンを眺めながらため息をついた。今までの経験上、こうなってしまっては会話は通じない。触らず離れずさりげなく接する。そしてほとぼりが冷めるのを待つ。それが鉄則だ。
俺はスマートフォンを口元に当てるとパーティメンバーに「康寧亭」へ戻る旨を伝える。ウィルトとオラクルとも話をしたいしアルカナの能力も知りたいからだ。
歩き出しふと空を見上げる。「プロセルピナ」の空は青く美しい湖のように澄んでいて今日は雲一つない晴天だった。
「……女心と秋の空……か」
康寧亭に戻った俺は、ウィルトとオラクルをパーティに加え他のメンバーと今後の方針について話し合った。
時間は昼前で長いテーブルには俺と向かいにウォルガンフとその隣にウィルト。テーブルの上にはハピネス。嫌そうな面持ちのオラクルの隣に妙に上機嫌が伺えるシャルルが座り、俺の隣にはトークンを抱いたプリムが座っている。トークンは他のメンバーだとすぐ離れ俺の元へ戻ってくるが何故かプリムだけはその場に留まっていた。
彼女を一瞥すると今だ機嫌は直ってないようで視線を合わせようともしない。少し眉根を寄せ怒った表情の彼女も可愛らしいがそれを今、口にしても火に油を注ぐだけだろう。俺は構う事無く話を続けた。
外の世界を踏破するにはプレイヤーキラーを何とかしなければならない。しかし奴らはアルカナを無効化してくる為、倒しながら進むのは困難が予想された。
シーリスの話だとプレイヤーキラーが配置されているエリアはどこまでも広がっているわけではなくスタビリス周辺のみで、そこをくぐり抜ければ一時的に安全地帯となるそうだ。
そこで俺はクエストで貯めた「ベリル」を使用してガチャを回し、不要なものを商人NPCへ売り「ビル」を稼いで乗り物を購入することを提案した。今の俺の持ち金だと二人乗りの乗り物しか買えない。パーティごと移動するにはさらに大きな移動用車両が必要だった。
話を進める中、それを遮るかのように突如シーリスの言葉が部屋に響いた。
『お話し中、申し訳ありませんがクエストの一覧をご覧くださイ。新しいクエストが追加されていまス。このクエストは想定外の突発的なクエストでス。「全てのクエストをクリア」の内容には含まれませン』
俺はスマートフォンのクエスト一覧に視線を落とした。そこには見慣れぬクエスト名が表示されている。「図書館にてある資料を探してきてほしい」クエストにはそう書かれていた。依頼者は「ノア」と表示されている。
どうやら戦闘系のクエストではないようだが依頼者の名前が気になった。シーリスが「想定外」と言うからにはこの「プロセルピナ」の世界に干渉している存在だ。それはプレイヤーではないだろう。恐らくNPCか何かだ。
ノア。その名前を目にして俺の脳裏にある少女が浮かび上がる。長い黒髪を揺らす美しい少女の姿。彼女の名前も「乃愛」だった。
思案している俺に語り掛けるようにシーリスが再び言葉を紡ぐ。
『ただしこのクエストは対象が固定されていまス。受諾できるのはレヴィ様とプリム様。お二人だけでス』
「限定クエスト!?」
「聞いたことないわね。不特定多数が参加するMMORPGで受託できるプレイヤーを限定するなんて」
ハピネスも驚いたかのように声をあげた。
二人だけはさすがに危険だと俺は判断した。プリムの「愚者」のアルカナであれば守りは鉄壁だと言える。しかし攻撃手段が乏しい。俺のトークンだとプレイヤーキラーなら何とか倒せるが、強いMobやましてやネームドモンスターなどが相手ではとても太刀打ちできない。
ブラッディノアなら簡単に屠れるだろう。でもそれはパーティメンバーの死を意味する。つまりプリムの死だ。それだけは避けたかった。
「……気になるクエストだけどさすがに二人は危険だと思う。状況が整うまで見送りに……」
そこまで口にした俺の言葉を遮るかのように視界の脇で、プリムが指でスマートフォンの画面をタップするのが見えた。その瞬間シーリスの言葉が響き渡る。
『クエストの受諾を受け付けましタ』
場が騒然となる中、余りに突然の出来事に彼女へ振り向いて固まる俺を尻目に、プリムは「よし」と短く呟くと椅子から立ち上がった。そしてアメジストに輝く瞳を俺に向ける。
「レヴィは二人乗りでもいいから乗り物を買ってきて。私は他のこと準備するから」
「ちょっと待て。勝手に決め……」
「買ってきて」
有無を言わさぬ口調で彼女はその美しい顔を俺にずいっと近づける。その見えないが明らかに自らを抑え込む謎の圧力に俺は思わず「はい」と口にした。
プレイヤーキラーとの戦闘でもそうだったが彼女は一度言い出したらおそらく止まらない。俺は諦めて彼女の言う通り動くことにした。
商人NPCの元へ行く為、部屋を出ようとした俺はプリムの姿を一瞥する。彼女は何故かキッチンへ向かっていたがその顔はどこかほころんでいるように見えた。
部屋を出るとスマートフォンにWhisperの通知が鳴る。相手はハピネスだった。
「仲直りのデートも悪くないんじゃない?」
チャット欄にはそう書かれていた。




