鈴木くんと山葉さん、朝を歩く光を灯す
プラパックの輪ゴムを弾く音が、換気扇の回るキッチンに小さく響いた。
コンロの上には、山盛りの焼きそばと、スーパーで買ってきた鶏肉を串に刺してタレで焼いた手作りの焼き鳥。百円均一で透明なフードパックを買ってきて、それらを律儀に詰め込んでいた。
屋台の味を完全再現、とまではいかないが、少し焦げたソースの匂いと甘辛いタレの香ばしさは、それなりに夏祭りのジャンクな空気を醸し出していると思う。食べたかった、と言ってた山葉さんの要望を少しは満たせるだろうか。
パックを重ねてレジ袋に入れ、スマホと缶ビールを数本掴んで、自室のドアを開けた。
夏の終わりの夜風が、外廊下を吹き抜けていく。他の住人たちはまだ帰省から戻っていないのか、アパートは気味が悪いほど静まり返っていた。
隣の部屋、山葉さんのドアの前に立ち、インターホンのボタンを押す。
ピンポーン、という間抜けな電子音が鳴ってから数秒後。
ガチャリ、とドアガードの音とともに、重たい鉄の扉が開いた。
「ん。いらっしゃいませ?」
「お、お邪魔します?」
なんか、互いに変な感じだ。ただ、部屋が違うだけなのに。
俺はレジ袋を持ち上げたまま、息を呑んで固まった。
そこに立っていたのは、見慣れたオーバーサイズのダル着でも、ロックテイストな服装でもなく。
紺地に大ぶりな朝顔が描かれた、艶やかな浴衣姿の山葉さんだった。
髪はゆるく後ろでまとめられ、うなじが綺麗に抜けている。足元は素足に下駄ではなく、ペディキュアを塗っただけの無防備な足先がフローリングを踏んでいた。
「お祭り、行けなかったからさ」
彼女は少しだけ視線を泳がせながら、帯のあたりを指先で所在なさげに弄っている。頬が微かに上気しているのは、暑さのせいだけではないだろう。
「どう? かわいー?」
上目遣いで、照れ隠しのように悪戯っぽく唇を尖らせる。
俺は数秒間、脳の処理能力を総動員して適切な言葉を探したが、見つからなかった。
結局、手元の焼きそばの匂いよりも強烈な視覚情報に殴られ、ただ正直な感想を口からこぼすことしかできなかった。
「かなり」
自分でも驚くほど、感情の抜け落ちた真顔での即答だった。
山葉さんは一瞬ポカンとした後、吹き出すように肩を揺らした。
「だから。こういう話の時に唐突に真顔になるのやめて」
口ではそう突っ込みながらも、彼女はタレ目を細め、少しだけはにかむように笑った。
「ってかそれ、なに?」
「あ、焼きそばとか焼き鳥とかです。食うかな、と思って。かき氷も作れますよ」
俺がそう答えると、山葉さんは、一瞬だけきょとんとして、それからふわりと笑った。
「ありがと。もちろん食う。……ほら、入って」
促されるまま、俺は初めて彼女の部屋へと足を踏み入れた。
同じ間取りのはずなのに、そこは俺の部屋とはまったく違う空気が流れていた。
家具は必要最低限で、背の低いベッドと小さなテーブル、白いラグマットがあるだけ
壁にポスターやポストカードをベタベタと貼って自己主張している俺の部屋とは対照的に、生活感がなく、ひどくシンプルだ。
なんだか、とても山葉さんらしいと思った。
ただ、その何もない空間の中で、唯一。
窓際の小さなデスクの端に、ざらついたクラフト紙の表紙が立てかけられているのが目に入った。俺が作った、あの百五十円のZINEだ。
「ベランダ行こ。椅子、出しといたから」
山葉さんがガラス戸を開けると、生ぬるい夜風が部屋の中へ流れ込んできた。
狭いベランダには、折りたたみのキャンプチェアが二脚、窮屈そうに並べられている。
俺たちは並んで腰を下ろし、間の小さなスペースにプラパックとビールを並べた。
「うわ、これマジで屋台っぽいじゃん。鈴木くん、芸が細かい」
山葉さんは嬉しそうに焼きそばのパックを開け、割り箸を割った。
プルタブを開け、缶ビールで軽く乾杯をする。
「んー。うまー。ソースの味濃くて最高」
浴衣姿の絶世の美女が、ベランダで缶ビールを片手に焼きそばをすする。そのアンバランスさが、なんだかおかしくて、俺もつられて笑ってしまった。
「焼き鳥もありますよ。串から外さないで食べてくださいね。屋台っぽさが減るんで」
「わかってるって。……あー、なんか、これはこれでめっちゃお祭り気分かも。たのしー」
緩やかな会話を交わしながら、俺たちはジャンクな手料理とアルコールを胃に流し込んでいった。
缶ビールが二本空き、パックの底が見え始めた頃。
俺はレジ袋の底から、細長い紙の束を取り出した。
「他の住人、誰も帰ってきてないみたいだし。やりません?」
取り出したのは、スーパーの隅で売られていた線香花火だった。煙が少なく、マンションのベランダでもできるという触れ込みの、少しだけ値の張るやつだ。
「え、花火? やるやる」
山葉さんは目を輝かせ、身を乗り出してきた。
俺は小さなキャンドルに火を灯し、二人の間に置いた。
紙の束から細い一本を抜き取り、彼女に手渡す。オレンジ色の炎に、震える手先で火薬の先端を近づけた。
ジッ、という小さな音の後。
パチパチと、儚い火花が暗闇に咲き始めた。
「いいね。こういうの」
山葉さんは息を殺し、火の玉が落ちないようにじっと手元を見つめている。
オレンジ色の繊細な光が、彼女の顔を淡く照らし出していた。
浴衣の襟元、すっきりと伸びた首筋、そして、満ち足りたように微笑む横顔。
その静かな表情を見ていると、花火の光よりも、彼女自身が発光しているように見えて、俺は火をつけることも忘れて、ただ「綺麗だ」と見惚れてしまっていた。
春先。
あの頃は、このベランダの薄い曇りガラスのパーティション越しに、警戒しながら言葉を交わすだけの関係だった。
『いい匂いしてんね』
そう言って、彼女がひょっこりと顔を出した、あの夜。
それが今では、パーティションを越えて、彼女の部屋のベランダで、こうして肩が触れ合う距離で同じ光を見つめている。あのときはコーヒーの香りだったけど、今はソースの匂いだ。
ぽとり、と。
山葉さんの火の玉が、コンクリートの床に落ちて消えた。
時を同じくして、ドンッ、と。
遠くの空で、重たい空気を震わせるような腹に響く音が鳴った。
二人で同時に顔を上げる。
アパートの屋根と電線の隙間、海の方角の夜空に、巨大な光の華が咲いていた。
「……あ、打ち上げ花火」
山葉さんが、ぽつりと呟いた。
中止になった夏祭り。でもこれだけは決行された打ち上げ花火。
ここからでは建物の影に隠れて、半円しか見えない。見切れた、不完全な花火だ。
だけど、人混みに揉まれて汗だくになりながら特等席で見る完全な花火よりも、浴衣姿の彼女と並んで、ビールと焼きそばの匂いに包まれながら見るこの欠けた花火の方が、ずっと特別で、完璧なものに思えた。
ふと、隣をみる。花火を見つめる山葉さんの横顔。彼女も、俺と同じように感じているといいな、と思った。
「そういえば」
ドーン、という遠い音の隙間で、俺は口を開いた。
「銭湯行って、夜更かしして、ソーメン食って……今日で夏祭りもどきと花火もやりましたね」
「あ」
山葉さんはこちらを向き、にんまりと笑った。
「ほんとだ。夏休みっぽいことリスト、全部コンプリートじゃん」
「ですね。夏休み、楽しかったです」
俺が少しだけ名残惜しむように言うと、山葉さんは「そうだねぇ」と呟き、立ち上がった。
「あ、思い出した。ちょっと待ってて」
彼女は部屋の中に戻ると、すぐに何かを手に持ってベランダへ戻ってきた。
デスクに飾ってあった、俺のZINEだった。
山葉さんはそれをパラパラと捲り、最後のページを開いて俺の前に突き出した。
「前から聞こうと思ってたんだけどさ。この最後のページのやつ。フランス語だよね?」
そこには、俺がタイプライター風のフォントで印字した、一文だけのフレーズが書かれている。
『J’ai tenu ta main, consumant le temps de la nuit. La chaleur restée dans cette paume devient la lumière pour marcher vers le matin.』
「これどういう意味?」
「……あー、いや。それは、その……」
俺は露骨に視線を逸らし、首の後ろを掻いた。
自分の気持ちを気取ったポエムにして、あまつさえそれをフランス語に翻訳して載せるという、痛さ最上級みたいな行為。それを音読して翻訳するなど、恥ずかしすぎて拷問に近い。
「別に、大した意味じゃないですよ。ただの雰囲気っていうか、デザインの一部っていうか……」
言葉を濁す俺を見て、山葉さんはジト目で口を尖らせた。
「えー、教えてよ。鈴木くんが自分で考えたフレーズなんでしょ? いいじゃん教えれ」
「いや、本当に……」
「教えれ」
ずい、と顔を近づけられ、逃げ場を塞がれる。
数秒の攻防の末、俺は深い、深いため息を吐き出して、観念して空を仰いだ。
「……笑わないでくださいよ」
「うん、笑わない笑わない」
絶対笑う顔だ、と思いながらも、俺は観念して口を開いた。遠くで、またドンと花火の音が響く。
俺はため息をつき、観念した。綴っていた言葉を、思い出す。
これは、あの言葉の、続きだ。いつか、雨の日に山葉さんと笑いあった例のフレーズの。
『最も美しく消費された時間とは、あなたと何もしなかった夜のことだ』。
妙に印象に残ったあの文章。
――その、俺なりの続き。
「……貴方と手を繋ぎ、夜の時を消費した。そのてのひらに残る熱が、朝を歩く光になる」
言い終わった瞬間、全身の毛穴から火が出るかと思うほど恥ずかしかった。
沈黙が落ちる。
山葉さんは目を丸くしたまま、手元のZINEと俺の顔を交互に見比べた。
そして。
「ぷっ」
彼女は腹を抱え、肩を震わせて俯いた。
「笑ってるじゃないですか」
「笑ってない」
「いやいや」
「だってさ……。ぷっ……うぶぶぶ」
「だから言いたくなかったんですよ!」
「キザすぎ。カッコつけすぎ。てかなんでフランス語。あーもう……笑うってこんなの」
俺は顔を熱くして抗議したが、山葉さんの笑いは止まらない。
だけど、ひとしきり笑った後、彼女は目尻に滲んだ涙を指で拭い、ふぅ、と小さく息をついた。
その表情は、笑いすぎたせいだけではない、胸がいっぱいになったような、柔らかくて優しいものに変わっていた。
彼女はZINEを胸に抱き寄せるようにして持ち、真っ直ぐに俺の目を見た。
「でもさ」
遠くの花火の光が、彼女のブルーのインナーカラーをほんのりと染め上げる。
「やっぱり、すっごい鈴木くんって感じ」
微かに震える、艶を帯びた声。
「あたしは、大好きだよ」
それは、俺の書いた痛々しいフレーズへの評価なのか。それとも。
ドーン、と。
今日一番大きな花火の音が鳴り響き、ベランダを一瞬だけ明るく照らした。
光の残像の中で、彼女は少しだけ悪戯っぽく、でもどうしようもなく愛おしそうに微笑んでいた。
夏が終わる。
モラトリアムの極致のようだった長い休みが終わり、また新しい季節がやってくる。
だけど、この手のひらに残る熱があれば、多分、大丈夫だ。
俺は、目の前で笑う彼女と、これから先も消費していくであろう途方もない日常を想い、ただ、深く息を吸い込んだ。
夏の夜の匂いがした。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
区切りとして綺麗ですし、本作はこれにて完結となります。
もちろん、この二人の物語はまだまだ続いていきますし、書きたいエピソードもあるので、もし機会があれば(書籍化とかも含めて!)、また続きを書きたいです。その際はよろしくお願いします。
また、今日でこれが完結なので、新作も投稿してみました!
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■ 新作情報
タイトル:
「今更戻ってきてももう遅い」と曇らせた元カノギャルが、全然諦めてくれない
キャッチ:
振ったくせに一途すぎるんだが。
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酷いフラれ方をした主人公が、実は一途だった元カノに猛烈に迫られる青春ラブコメです。
隣のお姉さん同様、甘さとじれったさ、匂いや体温なんかは意識して書いていますので、興味を持っていただけたら、ぜひ新作の作品フォローをしていただけるととても嬉しいです!
▼ 新作はこちらからお読みいただけます
https://ncode.syosetu.com/n4203mh/
それでは、ありがとうございました。




