プロローグ
魔力で溢れたこの世界で俺は魔法の才を持たずに生まれた。人間も魔族も植物も皆、魔力を持っている。羨ましくないのかって? まぁな、俺にはこの頭脳と右手のコイツがある。自慢の自作ガントレットを左手で撫でながら深緑の森を歩いていた。
その森を抜けると、どこか陰鬱な空気が漂う辺境の村だった。
「……まったく、最悪のタイミングで立ち寄っちまったな」
旅装束の俺――オグン・アルケムは、額に付けたゴーグルを指先でクイッと頭へ押し上げる。村の露店で買った獣肉串を齧りながら中央広場を遠巻きに眺めて深いため息をつく。
年に一度の『生贄の儀』。
露店の店主曰くこの村では、山の神の怒りを鎮めるという名目で、最も若い娘を捧げる陰湿な因習が残っているらしい。実際に広場では、涙を浮かべた可憐な少女が、神官風の男たちによって仰々しい神輿へと乗せられているところだった。
だが、俺の視線が釘付けになったのは、少女を涙ながらに見送る村長の顔だ。悲痛な面持ちを装っているが、その口元は僅かに歪み、ニヤついていた。
「神に捧げる、ねぇ。……カビの生えた不合理な理論だ」
俺は腰の多機能ベルトから小さな解析レンズを取り出すと、カチリとゴーグルへ装着した。魔力の波長を視覚化する、自作のガジェットだ。
村長の背後をこっそりついていく、すると――村長から伸びる赤黒い魔力の糸が、村長邸へと繋がっているのがハッキリと視認できた。
「はぁ。ただの休憩と補給だけで、さっさと次の街へ向かうつもりだったんだが……」
俺は不敵に口角を上げた。
「まぁ欠陥のあるシステムを見過ごせないのが、職人の性でね」
その日の夜。
赤黒い魔力の糸を辿り、俺は村長邸の庭の影に潜伏していた。小さな村の割には無駄に豪勢な屋敷だ。裏手の窓から中の様子を窺うと、村長が床の隠し扉を開け、地下へと下りていくのが見えた。
「――ビンゴ」
思わず漏れ出そうになった声を両手で慌てて抑え込む。あぶないあぶない、せっかくの潜入が台無しになるところだった。
すぐに自作の万能キーピックを鍵穴に差し込み、わずか三秒で解錠。静まり返った館内に滑り込み、地下へと続く石造りの階段を音もなく下りていく。
底から響いてきたのは、ねっとりと粘りつくような不快な声だった。
「ひひっ、今年の生贄の娘も極上じゃて……。山の神様、お口に合いますかな?」
「フハハ、上出来だ村長。人間の若い肉はいつ食っても美味い。これからも我ら魔族に衣食住と娘を提供し続ければ、お前をこの地域の支配者として据え置いてやる」
豪華なベッドの上では、洗脳されて虚ろな目をした昼間の少女が薄着で横たわっていた。その傍らには、禍々しい角を生やした下級魔族が、ワイングラスを傾けながら醜悪な笑みを浮かべている。
村が崇めていた『神』の正体は、ただの魔王軍の手下だったというわけだ。
「――おい悪党ども。ゲロが出そうなほど胸糞悪い構図だな」
暗がりから、壁に背を向け、腕を組み静かに言葉を投げかけてやった。
「誰だ!?」
驚愕する魔族と村長の前に、俺は堂々と歩み出た。
「通りすがりの第二の勇者さ」
「勇者だと? 勇者はすでに魔王様が討った! ほざくな小童が!」
魔族が跳ね起き、その両眸が妖しく紫に発光する。視線が合致した瞬間、視界がぐにゃりと歪み、脳の伝達回路が強制的に停止させられそうになった。広域洗脳魔法の類だ。
「ハハハ! 愚かな人間め、我が支配の術に抗えると思うな――」
「……クソッ、こん……な、バカな……」
朦朧とする意識の中、俺はあらかじめ左手に握りしめていた試薬瓶のコルクを歯で引き抜いた。そして、中の液体を一気に喉奥へ流し込む。
「……なんてなッ! ってあ"あ"あ"っ!! 辛"ーい"ッ!!」
「なに!? なぜ意識を保っていられる!?」
「こんなっ……! バカみたいに……辛いのか!!」
口元から血と激辛香辛料が混ざった赤黒い液体を噴き出しながら、俺は涙目で狂ったように笑ってみせた。
「こいつはな、高濃度の激辛香辛料とワイルドハーブを限界まで濃縮した特製ポーションだ! 強い精神干渉は、アドレナリンの過剰分泌と激痛のショックで上書きできる!」
一気飲みした瞬間、内臓が灼熱で焼き切れるような激痛が身体を駆け巡る。だが、その強烈すぎる痛打が、魔族の洗脳魔法を完全に打ち消した。
「おえぇ、それにしても不味すぎる……! 胃袋が溶ける……っ!」
「ぐぬぅ、洗脳が効かぬなら、肉体ごと細切れにしてくれる!」
激昂した魔族が腰の長剣を引き抜き、凄まじい脚力で突進してくる。魔族は人間よりも優れた肉体を持つだからこそ想定内の動きだ。そして、こいつはこの地下室から裏で村長と手を組み村人たちを洗脳し操っていた。つまり、正面切っての戦闘能力は魔族の中でも大した数値ではない。確率にして八割以上、ただのチキンだ。
剣を振りかざして肉薄してくる魔族に向け、俺は右腕のガントレットをまっすぐ突き出した。
「ワイヤーガン――射出!」
シュルルッ!
鋭い駆動音とともに放たれた鍛冶屋一族の仕込みの高耐性ワイヤーが、一瞬で魔族の全身をがんじがらめに縛り上げる。
「な、身体が……動かん!?」
「それは、数種類の鉱石を混ぜ合わせて作った合金のワイヤーだ。そして、お前らクズ共が娘たちに与えた恐怖を百倍にして返してやるよ」
ガントレットの小さな蓋を開き、腰のポーチから赤い高純度魔石を取り出して装填する。直後、ガントレット後部の排気口から凄まじい熱風と排気音が吹き荒れた。
「小癪な人間がぁッ!」
魔族が咆哮し、力任せにワイヤーを千切り飛ばし、鋭い爪を立てて飛びかかってくる。腐っても魔族、バカみたいな力だ。だが……
「戦いは腕力じゃない――想像力だッ!!」
ガントレットのバーニアから、激しい爆炎が噴射される。
ドォン!!
地下室を揺るがす爆発音が響き、俺の身体ごとガントレットの推進力で前方へと吹っ飛んでいく。その瞬間、背筋に冷や汗が吹き出す。
(やべぇ! 推力計算を間違えて魔石の出力を三倍にしちまった……!)
「貴様! 止まれ、ひひぃ!?」
「止まりたくても止まれねぇんだよッ!!」
制御不能の爆炎に押し出され、俺の右拳が魔族の張った魔法壁ごと、そのブサイクな顔面を叩き割った。
「ごほぉっ!?」
骨の砕ける不快な音が地下室に響き渡る。石壁を突き破り、奧の岩盤まで吹き飛ぶ魔族。……と一緒に、その推進力の余波で頭から突っ込み、ひっくり返る俺。
「ひ、ひぃぃぃぃぃっ!?」
ベッドの隅でガタガタと震える村長に、俺は痛む腕を撫でながら冷徹な視線を向けた。
「さて、村長。お前には『社会的処刑』の舞台に立ってもらう。本当に殺しはしないさ。ただ……これまでの悪事を全部村人の前で晒し上げて、二度と社会復帰できないようにしてやるだけだ」
俺は逆さまになったまま、何食わぬ顔を装い、両足をブラブラとさせながら、額のゴーグルを指先でクイッと直してみせた。
……ふぅ。それにしても頭と腕が痛ぇ。あ、いや、カッコつかないのは分かってる。
翌朝、村の中央広場。
すべての悪事が白日の下に晒され、全財産を没収された村長は、村人たちの怒りの罵声と生卵を全身に浴びていた。文字通りの社会的な死である。
真相を知り、涙を流して感謝を捧げる少女や村人たちを背に、俺はすでに村の出口へと足を向けていた。
「おい、待ってくれ! 君の名前を聞かせてくれ!」
遠くから呼びかける声に、俺は足を止めることなく、右手の親指をキュッと高く掲げてみせた。
「俺の名前はオグン・アルケム。世界を救う――第二の勇者だ」
背中には、伝説の聖剣も光り輝く加護もない。だが、誰よりも泥臭く、誰よりも確実に理詰めで勝つ。
俺は村長の家からくすねた金貨を指で弾き、空を見上げる。
「まずは砂漠の大国、エジプティアだ!」
俺の英雄譚は、ここから始まる。




