第33話 最近のレオと、私だけが知っている温度。
最近のレオさんは、少しだけ変わった。
大きく変わったわけじゃない。
笑顔も、声の調子も、立ち居振る舞いも——以前と同じように見える。
でも、毎日一緒にいる私には、分かる。
ほんのわずかな違和感。
言葉と沈黙の間に生まれる、ほんの一拍のズレ。
それが、少しずつ積み重なっていた。
◇ ◇ ◇
「ただいま」
その日も、レオさんは静かな声で帰ってきた。
「おかえりなさい」
私がそう言うと、彼は必ずこちらを見る。
子どもたちがどんな様子かを、まず確かめるように。
ルナは床に座って積み木を並べていて、
ソラは揺りかごの中で、小さく寝息を立てている。
それを見たレオさんは、ほっと息を吐いた。
「……よかった」
その声が、最近は少し低い。
疲れている証拠だと、私は知っている。
「今日は、長かったんですか?」
そう聞くと、彼は一瞬だけ言葉を探した。
「まあ……少しだけ」
少しだけ、なんて嘘。
私は何も言わず、彼の上着を受け取る。
肩に触れた瞬間、はっきり分かった。
いつもより、力が入っている。
◇ ◇ ◇
最近のレオさんは、「大丈夫だよ」と言わなくなった。
代わりに増えたのは、
「ありがとう」と「助かるよ」という言葉。
それは、弱くなったわけじゃない。
むしろ逆だ。
責任を背負うことに、慣れてしまったのだと思う。
夕食の席でも、彼はいつも通りだ。
ルナの話を聞き、ソラの様子を気にして、私の体調を尋ねる。
でも、ときどき——
ふっと、視線が遠くなる。
「……レオさん?」
そう呼ぶと、すぐにこちらを見る。
「何?」
「……何でもありません」
そう言うと、彼は少し困った顔をして笑う。
最近、その笑顔が増えた。
“心配をさせないための笑顔”。
◇ ◇ ◇
その夜。
子どもたちを寝かしつけたあと、
私は寝室でベッドを整えていた。
背中に、気配を感じる。
次の瞬間、そっと腕が回された。
強くもなく、乱暴でもない。
でも、逃がさない抱き方。
「……」
言葉はない。
最近、この“無言の抱擁”が増えた。
「レオさん?」
小さく呼ぶと、耳元で低い声がした。
「……最近、ちゃんと君を見てなかった気がして」
胸に、顔が埋められる。
「家に帰っても、頭の中が外にあって……」
少し、声が掠れている。
「でも、それが怖くなった」
「……怖い?」
「君に、見失われるんじゃないかって」
心臓が、強く跳ねた。
「そんなこと、ありません」
私はすぐに答えた。
「私は、ちゃんと見てます」
「……」
「疲れてることも、無理してることも」
私がそう言うと、
彼の腕が、きゅっと強くなる。
「君だけだ」
「え?」
「僕のこと、そんなふうに分かってるのは」
◇ ◇ ◇
私たちは、そのままベッドに腰を下ろした。
レオさんは、私の髪に顔を埋める。
「……正直に言うと」
ぽつり、と言葉が落ちる。
「最近、怖いんだ」
「何が、ですか?」
「失うこと」
答えは、短い。
「昔は、何を失ってもいいと思ってた。でも今は」
彼は、私の手を握った。
「君と子どもたちがいる」
「だから、全部が——賭けみたいになる」
私は、そっと彼の背中を撫でた。
「無理しなくていいんですよ」
「……簡単に言うな」
苦笑まじりの声。
「でも、君が言うと——許される気がする」
それが、彼の弱さ。
そして、私だけに見せる顔。
◇ ◇ ◇
「最近な」
レオさんは、天井を見ながら言った。
「みんな、僕の肩書きしか見ない」
「顧問で、改革派で……期待されて」
「それが嫌なわけじゃない。でも」
一度、息を吸って。
「“レオ”でいられる場所が、ここだけになった」
私は、その言葉を胸に受け止めた。
「それで、十分です」
私がそう言うと、彼は驚いたようにこちらを見る。
「ここでなら——」
私は、ゆっくり言葉を選ぶ。
「弱くても、依存しても、甘えてもいいんです」
沈黙。
次の瞬間、額に口づけられる。
優しく、確かめるように。
「……だから離れないで」
子どものような、素直な声。
「離れません」
私は即答した。
「私は、レオさんの味方です」
今度は、彼の方が深く抱きしめてくる。
◇ ◇ ◇
その夜。
レオさんは、珍しく早く眠った。
私の手を握ったまま、
指を絡めて。
「……おやすみ」
その声は、とても静かで——
とても、甘かった。
私は、その寝顔を見つめながら思う。
この人は、強くなった。
でも同時に、
私に頼ることを、恐れなくなった。
それが、嬉しい。
◇ ◇ ◇
外では、きっと嵐の気配がある。
でも、ここでは。
私は、彼を受け止める。
彼は、家族を守ろうとする。
それだけで、いい。
最近のレオさんは——
前よりずっと、深く静かに溺愛している。
それを知っているのは、
たぶん——私だけ。




