第32話 静かな違和感と、小さな決断。
気づけば、夜泣きに追われる日々は、少しずつ遠ざかっていた。
ソラの夜泣きは減り、寝返りをうち、時折「うー」「あー」と声を出すようになった。
ルナはすっかりお姉ちゃんで、朝起きると真っ先にソラの顔を覗き込み、「おはよ」と声をかけるのが日課になっている。
王都での生活は、表面上は平穏だった。
――少なくとも、家の中では。
◇ ◇ ◇
「……おかしい」
朝の執務室で、レオは書類を置いた。
ここ数日、同じような案件が増えていた。
改革案に対する“修正要望”。
表向きは穏やかな文言だが、読み込むと共通点がある。
――すべてが、「改革の速度を落とす」方向だ。
「レオ殿、どうされましたか?」
エドワードが、気づいて声をかけた。
「……いえ。ただ、少し気になる点が」
レオは書類を並べた。
「この三件です。提出者は違いますが、文面と論点が似すぎています」
「……なるほど」
エドワードは、静かに眉を寄せた。
「王国は変わりつつある。その流れに、不安を覚える者も増えています」
「抵抗派、ですか」
「ええ。ただし――」
エドワードは一瞬、言葉を選んだ。
「彼らは声を荒げません。もっと、静かです」
レオは、胸の奥で嫌な感覚が動くのを感じた。
グレゴリーの時代なら、反発は露骨だった。
だが今は違う。
水面下で、ゆっくりと――。
「見張る必要がありますね」
「同感です。ですが」
エドワードは、ふっと表情を緩めた。
「あなたが一人で抱える必要はありません。最近、少し疲れて見えます」
「……そうでしょうか」
「ええ。父親の顔をしている」
その言葉に、レオは思わず苦笑した。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
いつもより少し早く、レオは帰宅した。
「ただいま」
「おかえりなさい」
ミレイは、ソラを抱きながら微笑んだ。
「今日は早いですね」
「うん。少し、頭を整理したくて」
「ぱぱー!」
ルナが駆け寄ってくる。
「どうした?」
「きょうね、ソラがね、ころんってした!」
「寝返り?」
「うん! みたの!」
「それはすごいな」
レオはルナの頭を撫で、ソラを覗き込んだ。
ソラは、不思議そうに父親を見ている。
「大きくなったな」
半年前、あんなにも小さかった命。
それが今は、確かにここにいる。
その現実が、胸を満たす。
でも同時に――。
「レオさん?」
ミレイが、そっと声をかけた。
「何か、ありましたか?」
隠しきれないものを、彼女はいつも察する。
「……王国のことだ」
「はい」
「大きな問題じゃない。まだ」
レオは、正直に言葉を選んだ。
「ただ、少しだけ……違和感がある」
ミレイは、黙って耳を傾けた。
「改革が進めば進むほど、静かに距離を取る人が出てくる」
「反対、ですか?」
「正確には……拒否だな。声を上げず、従うふりをして、足を止める」
ミレイは、少し考えてから言った。
「……怖いですね」
「ああ。怒りより、ずっと」
レオは、ソラの小さな手を指で包んだ。
「でもな」
「はい?」
「だからこそ、目を逸らしたくない」
ミレイは、その言葉の重さを理解して頷いた。
◇ ◇ ◇
夜。
子どもたちを寝かしつけた後、二人は並んで座っていた。
「私……」
ミレイが、ぽつりと言った。
「王都に来た頃は、正直、怖かったです」
「うん」
「でも今は……守りたい、と思える場所になりました」
レオは、彼女を見た。
「ルナとソラが育つ場所として」
「……ありがとう」
レオは、静かに答えた。
「その気持ちが、あるなら」
「はい」
「僕は、逃げない」
ミレイは、微笑んだ。
「知ってます」
「知ってる?」
「だってレオさん、そういう人ですから」
レオは、肩の力が抜けるのを感じた。
◇ ◇ ◇
その夜、レオは一通の覚書を書いた。
改革案の優先順位。
抵抗が予想される分野。
そして――
「家族を守れなくなる選択は、決してしない」
顧問として。
父として。
夫として。
全てを天秤にかける覚悟。
◇ ◇ ◇
窓の外で、王都の灯りが静かに揺れている。
変わりつつある国。
揺らぎ始めた空気。
だが、家の中は温かい。
寝室から聞こえる、子どもたちの寝息。
それがある限り――。
「大丈夫だ」
レオは、静かに呟いた。
小さな違和感は、やがて大きな波になるかもしれない。
それでも。
家族と共に歩く選択だけは、
決して、間違えない。
物語は、次の局面へ――。




