第31話 揺れる王都と、父としての覚悟。
ソラが生まれてから、半年が経った。
新しい生活には慣れてきたはずなのに、
レオの心だけは、まだ忙しなく揺れていた。
夜は細切れの睡眠。
昼は会議と書類。
帰れば、泣く赤子と、甘えたいルナ。
――忙しい。
でも、不思議と苦しくはなかった。
家族がいるからだ。
ソラが泣けば、ミレイが胸に抱いてあやす。
ルナが拗ねれば、レオが膝に乗せて話を聞く。
そんな当たり前の積み重ねが、レオの心を――少しずつ救っていた。
けれど。
王都は、穏やかな家庭の時間だけでは許してくれない。
この国は今、変わろうとしている。
変わるということは、必ず――反発が生まれるということだ。
◇ ◇ ◇
その日、レオは朝から宮廷の会議に出ていた。
「新しい税制の調整案、こちらが最終案です」
エドワードが書類を並べる。
若い宰相の瞳は、疲れを隠しきれていない。
「地方の負担を軽くし、王都の贅沢税を――」
「待っていただきたい」
低く、鋭い声が会議室に落ちた。
発言したのは、年配の貴族――ローレンス伯だった。
古い派閥の中心にいる男で、グレゴリー時代から影響力を持つ。
「贅沢税など、王都の商人が反発します。
結果的に税収が落ちれば、軍も治安も保てない。
それは国を弱らせることになる」
「反発は予想できます」
エドワードは落ち着いて言った。
「ですが、民の生活が持ち直せば、長期的には――」
「長期的、長期的と。
あなた方は夢を語るばかりだ」
ローレンス伯は鼻で笑った。
「そして、その夢を語らせているのが――」
視線が、レオに突き刺さる。
「“元影武者”の顧問。
外の空気を吸っただけで国政を語る、都合のいい看板だ」
空気が、凍った。
会議室の誰もが息を止める。
エドワードの顔が強張った。
「伯。言葉が過ぎます」
「過ぎる? 事実でしょう。
国を動かすには血筋と格がいる。
彼にあるのは――偶然の役割と、世間受けする物語だけだ」
レオは、静かに拳を握った。
怒りよりも先に、胸が冷たくなった。
――まただ。
――また、“役割”で測られる。
影武者として五年間。
完璧を強いられ、失敗すれば切り捨てられた。
今は違う。
そう思っていた。
けれど、王都の奥深くには――まだ“あの頃”が息をしている。
「レオ殿」
エドワードが、助けるように名を呼ぶ。
レオは、深く息を吸った。
「……伯の懸念は、理解できます」
会議室がざわつく。
「反発も起きるでしょう。
だからこそ、緩衝策が必要です」
レオは書類を指差した。
「贅沢税の一部を、商人に還元する形にしている。
代わりに、地方の流通税を軽くすることで――
王都の商業も、結果的に利益が増える」
「理屈だ。机上の空論だ」
「では、現場の声を出します」
レオは、淡々と言った。
「僕は、フェルトハイムで暮らしていました。
商人が何を怖がるか、民が何に怒るか――見てきた。
国は、上から見れば“数字”ですが、下から見れば“生活”です」
ローレンス伯が、眉をひそめる。
「生活など、統治の末端の話だ」
「末端じゃない」
レオの声が、少しだけ強くなった。
「末端が崩れれば、真ん中も、上も崩れる。
僕は――崩れる瞬間を見てきた」
――影武者の頃、何度も。
国民の不満が蓄積していくのを。
それを“隠す”ために、自分が演じさせられたことを。
レオは、言い切った。
「この改革は、国を弱らせるためじゃない。
強くするためです。
“支える土台”を作り直すために」
沈黙が落ちた。
エドワードが、ゆっくり頷く。
「……ありがとうございます、レオ殿。
伯、議論は続けましょう。
感情ではなく、民の未来で」
会議は再開された。
けれど、レオの背中には、冷たい視線が残ったままだった。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
レオは王宮の回廊を歩きながら、ふと足を止めた。
窓の外。
王都の街角に、人だかりができている。
旗のようなものが揺れ、怒号が微かに届く。
「……また、か」
小さく呟いた。
最近、改革への不満を煽る集団が動いていると聞いていた。
“古い秩序を壊すな”
“血筋を尊べ”
“王国を侮辱するな”
そこに、必ず混ざる言葉がある。
――“影武者”。
レオの胸が、ぎゅっと縮む。
今、僕は顧問だ。
もう演じていない。
僕は、僕として生きている。
それでも、彼らの目には――“物語の道具”に映るのか。
「レオ殿」
背後から声がした。
振り返ると、エドワードが立っていた。
疲れた顔だが、眼差しはまっすぐだ。
「先ほどは……助けてくださって、感謝します」
「いえ。僕は、ただ――」
言いかけて、止まる。
ただ、何だ?
ただ、正しいと思うことを言っただけ?
ただ、家族を守りたいだけ?
その“ただ”は、誰かの怒りを買うかもしれない。
エドワードが、ぽつりと言った。
「ローレンス伯の派閥が、動いています。
あなたを、“改革の象徴”として叩けば――
改革そのものを揺らせると考えている」
「……僕が、標的になる」
「はい。申し訳ありません」
エドワードは、短く頭を下げた。
レオは、苦笑した。
「謝らないでください。
僕が――選んだ道です」
言いながら、胸が痛んだ。
僕が選んだ道。
でも、その影響は――家族にも及ぶ。
ミレイ。
ルナ。
ソラ。
あの人たちを、もう危険に晒したくない。
「安全については、警護を増やします」
エドワードが言う。
「屋敷にも、あなたのご家族にも。
絶対に、守ります」
レオは頷いた。
けれど、心の奥の不安は消えなかった。
守る。
誰が?
どこまで?
――僕は、守れるのか。
◇ ◇ ◇
夜。
部屋に戻ると、ミレイがソラをあやしていた。
ルナは絵本を抱えたまま、うとうとしている。
「おかえりなさい」
ミレイが、ほっとしたように微笑む。
「ただいま」
レオは靴を脱ぎ、ルナの頭を撫でた。
「ルナ、眠いね」
「……ぱぱ……」
小さく呟いて、ルナは目を閉じる。
ソラが「ふにゃ」と泣き、ミレイが優しく揺らした。
この光景だけで、胸が温かくなる。
――帰ってきた。
――僕の、居場所に。
けれど。
ミレイは、レオの顔を見て気づいたらしい。
「……何か、ありましたか」
「うん……少し」
レオは椅子に腰を下ろし、息を吐いた。
「会議で、伯爵に言われた。
僕は看板だって。
物語だけだって」
ミレイの表情が曇る。
「そんな……」
「それだけじゃない」
レオは窓の方を見た。
「街で、改革反対の集団が動いてる。
僕を叩けば改革が止まると――思ってる人がいる」
ミレイは、ソラを寝かしつけながら、静かに言った。
「……怖いですか」
レオは、少し迷ってから頷いた。
「怖い」
正直に言うと、言葉が震えた。
「僕が前に出ると――誰かが傷つく気がする。
あの頃みたいに。
僕が“役割”になった瞬間、全部が歪む気がする」
ミレイが、ソラをそっと布団に寝かせた。
そしてレオの隣に座り、手を握った。
「レオさん」
ミレイの声は、優しいのに強い。
「レオさんは、“役割”じゃありません。
私の夫で、ルナのお父さんで、ソラのお父さんです」
「……でも、僕のせいで――」
レオは、言ってしまった。
「……僕のせいで、家族が危険に巻き込まれたら」
ミレイは、レオの頬に手を添えた。
「“せい”じゃないです」
きっぱりと言う。
「危険があるなら、一緒に考えましょう。
逃げるなら、一緒に逃げましょう。
戦うなら、一緒に戦いましょう」
レオの目が揺れた。
「ミレイ……君は……怖くないの?」
「怖いです」
ミレイは、素直に言った。
「王宮は、やっぱり怖い。
でも――レオさんが一人で抱えるのが、もっと怖いです」
レオの胸の奥が、じんと熱くなる。
「僕は……守りたい」
レオは小さく言った。
「君を。子どもたちを。
それだけなんだ」
「知ってます」
ミレイは微笑んだ。
「だから、守り方を――一緒に作りましょう」
その言葉が、レオの背中を押した。
――僕は、父だ。
――夫だ。
そして今は、顧問でもある。
全部を捨てるんじゃなくて。
全部を抱えて、道を選ぶ。
それが――今の僕の生き方だ。
◇ ◇ ◇
次の日。
王宮に向かう道中、レオは護衛の数が増えているのに気づいた。
エドワードの手配だろう。
執務室に入ると、エドワードが待っていた。
「レオ殿、昨夜のうちに情報が入りました」
机の上に、封書が置かれる。
中には、粗い紙に書かれた文字。
――改革を止めろ。
――影武者は国を汚す。
――家族を守りたいなら、退け。
レオの指先が冷たくなる。
エドワードが、低い声で言った。
「脅迫です。
あなたのご家族に危害を加える意図がある可能性があります」
「……っ」
レオの喉が詰まった。
けれど、エドワードは続ける。
「ですが、恐れる必要はありません。
警備は強化しました。
犯人の特定も進めています」
レオは、息を整えた。
「……エドワード様。お願いがあります」
「何でしょう」
レオは、まっすぐ見た。
「僕の家族を守るために、僕自身がどう動くべきか――
一緒に考えさせてください」
エドワードが、頷く。
「もちろんです。あなたは一人ではない」
レオは、少しだけ肩の力が抜けた。
そして、言葉を続けた。
「僕は――逃げません」
「……」
「でも、無茶もしません。
守るべきものがあるから」
その瞬間、自分の中で何かが定まった気がした。
影武者の頃は、逃げることも、選ぶことも許されなかった。
今は違う。
選べる。
守れる。
誰かと一緒に。
「では、対策を立てましょう」
エドワードが言う。
「公の場での動きは警護を厚く。
情報の出どころを絞り――
そして、あなたの言葉で“改革の意味”を再び示す必要があります」
「僕の言葉で……?」
「はい。あなたは象徴になってしまった。
なら、象徴として“正しい姿”を見せてください。
恐怖ではなく、信頼を」
レオは頷いた。
「分かりました」
怖い。
でも、逃げない。
僕の背中を見ているのは、民だけじゃない。
ルナも。
いつか、ソラも。
父の背中が――子どもたちの“未来の安心”になるなら。
僕は、立つ。
◇ ◇ ◇
その夜。
部屋に戻ると、ミレイが待っていた。
表情で分かる。何かあったと。
レオは、正直に封書のことを話した。
ミレイは一瞬だけ青ざめたが、すぐにレオの手を握った。
「……一緒に、守りましょう」
言葉が、ぶれない。
レオは、ミレイを抱きしめた。
「ごめん」
「謝らないでください」
ミレイは、レオの胸に頬を寄せる。
「私たちは、家族です。
怖いなら――怖いって言い合って、手を繋いでいればいい」
隣の部屋から、ルナの寝息が聞こえる。
ソラの小さな息も、かすかに。
レオは、目を閉じた。
守る。
絶対に。
守るために――逃げない。
守るために――無理をしない。
守るために――一人にならない。
レオは、ミレイの髪を撫で、静かに言った。
「僕はもう、“役割”じゃない」
ミレイが、小さく頷く。
「僕は、レオだ。
君の夫で、あの子たちの父親で――
この国の未来を、少しでも良くしたいと思った一人の人間だ」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥の霧が少し晴れた。
◇ ◇ ◇
翌朝。
ルナが目を擦りながらレオにしがみついた。
「ぱぱ、きょうもおしごと?」
「うん。でも、すぐ帰るよ」
「ほんと?」
「約束」
レオはルナを抱き上げ、額にキスをした。
ソラが泣き、ミレイが微笑む。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
扉を出る直前、レオは振り返った。
ミレイがいる。
ルナがいる。
ソラがいる。
――だから、大丈夫だ。
外はまだ冷たい。
王都は厳しい。
だけど、僕の中には温かい火がある。
家族という火が。
そして、決意という火が。
◇ ◇ ◇
こうして、レオの前に――新たな試練が姿を見せ始めた。
改革への反発。
脅迫。
揺れる王都。
けれどレオは、もう一人ではない。
守るべき家族がいて、支えてくれる仲間がいる。
そして何より――自分で選ぶ自由がある。
父として。
夫として。
顧問として。
レオは、次の一歩を踏み出す。
この国と、家族の未来のために――。
物語は、静かに、しかし確かに――次の章へ進んでいく。




