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その6 お寿司はサビ抜きで

 八月十四日の夕方。茉莉花は家を出ようとしていた。玄関まで見送りにくる雅と桜子。

 茉莉花は靴を履きながら言った。


「二人とも、ホントに実家に帰らなくていいの?」


 雅が答える。


「六月に帰ったばっかりだしね。大輝くんもほっとけないし」


 桜子も答える。


「わたしも五月の終わりに来たばっかりだもん。もうちょっと結城くんと夏を楽しみたいし」


 茉莉花は荷物を持つと言い放った。


「リア充どもめ。爆発しろ!」


 雅は最上級の苦笑いを見せた。


「なんて事を……」


 茉莉花は笑って手を振った。


「じゃね。いってきます」


「いってらっしゃい」


 茉莉花は家を出た。外には父親の車が待っている。これから実家へ帰るのだ。

 とはいえ、明日の夕方には戻ってくる。一日だけの里帰りである。



 茉莉花が行ったあと、雅はすぐにキッチンに立った。桜子はリビングだとなんとなく寂しくて、ダイニングの椅子に座って料理をするメイド服の後ろ姿に話しかけた。


「昨日の天麩羅てんぷら、美味しかったあ」


 雅は振り向かずに答えた。


「あら、ありがと」


「長野のお盆の定番って言ってたよね」


「うん」


「今日は何なの?」


「お寿司よ」


「え?お寿司?」


「そ。にぎり寿司。好き?」


「大好きだし、すごく嬉しいけど、お寿司なんて作れるの?」


「作るって言ったって、すし飯を作って、買ってきたお刺身の盛り合わせと一緒に握るだけよ」


「だって、わたしなら上手に握れる自信ないもん」


「慣れよ。ホントは出来合いの寿司でもよかったんだけど、お供えもするし、気持ちを込めたくてね」


「ふ~ん」


「あ、桜子。ワサビは?」


「あー、抜いてください」


 雅がクスリと笑った。


「ダメなんだ」


「あーっ。子供っぽいとか思ったでしょ」


 雅は向こうを向いたまま首を振る。


「思ってない、思ってない」


「だって、ワサビ入りのお寿司って食べたこと無いもん」


「え?そうなの?」


「ていうか、ワサビの入ったお寿司ってどこで売ってるの?小袋のワサビが付いてたりはするけど、ご飯とネタの間に入ってるのなんてバラエティ番組ぐらいでしか見たこと無いよ」


「えっ?」


 雅は少し考えてから言った。


「ホントだ。あたしの知ってる限り、最初からワサビが入ってるのって、回らないお寿司屋さんくらいにしか無いかも」


 桜子は驚きの声をあげた。


「雅ちゃん、回らないお寿司屋さんなんて行ったことあるの?」


「あーまあ…」


「すごい!」


「すごくはないわよ…」


 桜子は唐突に話題の方向を変えた。


「そういえば、長野のお盆ってお寿司を食べるの?」


「えーと、特にお寿司って決まってない。仏教的には肉や魚系はどっちかっていうと避ける方が正しいのかも。ただ、長野ではお盆にお寿司を食べるっていうイメージをあたしが勝手に持ってる」


「へえ~」


「長野の人にとってお寿司ってご馳走なのよ」


「海が無いからでしょ?」


「そうよ。で、お盆には人が集まるからご馳走を出すっていう感じなんじゃないかしら」


「なるほど」


「で、明日の夜はお素麺そうめんよ」


「え?なんで?」


「なんでかは知らないわよ。これは長野限定じゃない気がするけど、十五日にはお素麺なんだって。なにしろウチの実家はお盆らしいこと何もしないから、こっち来て初めて知ったわ」


「雅ちゃんでも知らない事あるんだね」


「なに当たり前のこと言ってるの?」


 雅の眉はハの字になったが、桜子からは見えていない。



 ダイニングテーブルに座って寿司を食べながら、桜子は隣の雅に顔を向けて訊いた。


「そういえば、明日は大輝くんとデートなんでしょ?」


 雅も桜子に顔を向け、少し照れた。


「あ…うん。大輝くん、祝日あたりで頑張ったから、ここでお休みもらえたんだって」


「よかったね」


「桜子も結城くんとデートするでしょ?」


 桜子は頷いた。


「そのつもり。ここのところLINEのやりとりだけで、会えてないから」


「じゃあ、楽しみだね」


「うん。楽しみ」


 そこで雅が急に吹き出して笑った。

 結城とのデートを楽しみにしている自分が笑われたのかと思って、桜子は弱々しく訊いた。


「え~。なぁにぃ~?」


 雅は笑いながら手を横に振った。


「ごめん、違う、違う。LINEで思い出したんだけど、茉莉花が面白いほど困っててね」


「困ってるのに面白いの?」


「ほら、このあいだ流星を見に行ったじゃない?」


「うん」


「あのとき会ったここちゃんとLINE交換してたでしょ?茉莉花」


「あぁ、そういえば」


「色々と送られてきてるのよ」


「それで困ってるの?」


「後輩に相談とかされるの初めてなんでしょ?」


「茉莉花ちゃん見識があるし、言葉も上手なんだから困る事なんてなさそうだけど…」


「直接的に言ったら傷つかないかとか、上から言ったら偉そうじゃないかとか、色々と考えちゃうのよ。あたしにどう返したらいいか、いちいち訊きにくるんだもん」


 苦笑いする桜子。


「あらら」


「今じゃ未読スルーしてるのよ」


「恋々菜ちゃん、かわいそうじゃない」


「――って言ってもねえ。そもそも茉莉花自身、面倒臭いと思ってるし」


「じゃあ、なんでLINEの交換したの?」


「あの場面で茉莉花が断れると思う?」


「あー無理か…」


「でしょ?」


 桜子は首を傾げた。


「何を相談されてるの?」


「それがね。外面そとづらを作っててつらくならないんでしょうか?って、最初はそんな質問だった」


「茉莉花ちゃん、なんて答えたの?」


「それが『別に』って答えるつもりだったみたい。だから止めたの。なんか突き放してるみたいだからって」


「うん」


「でね。そんなこと訊いてくるなんて悩んでるからでしょ?」


「うん、うん」


「だから、あなたは辛いの?って茉莉花に返信させたの。そしたら、辛いですって。それに対して、どうして辛いのに外面を作るの?って茉莉花に訊かせたら、周りが、特に母親が優等生な態度を求めるからだって」


「優等生?」


「うん。桜子もちょっと思ってない?身体障害者ってみんな前向きに生きてるとか、ずるい事は考えないとか」


「う~ん、どうなんだろ。なんとなくだけど、言われてみればそうなのかも」


「うん。そんなイメージを多くの人が持ってるし、そうしないと生きていけない立場なんだからそうすべきみたいな無用なかせをはめようとする傾向が社会的にあるのよ」


「それは辛いね」


「でしょ?だから茉莉花は、周りなんか無視していいって。これはあたしに訊かずに即答したの」


 桜子は苦笑いした。


「茉莉花ちゃんなら、そう言いそう」


「うん。でもそのあと恋々菜ちゃんから、ずっと優等生を演じてたからどうしたらいいかわからないって。お母さんを裏切るみたいで怖いって」


「そうだよねぇ」


「なんて返事していいかわからないって茉莉花が言うから、自分らしく生きる方が大切かお母さんや周りの期待に応える方が大切かは自分が決める事だし、どちらが正解でどちらが不正解とかも無いんだよって答えさせたの」


「うん、うん」


 雅は渋い顔をした。


「でも、それっきり茉莉花は未読スルーなのよ。向こうからは送られてきてるのに」


「読むだけ読んであげればいいのに」


「読んだら応えずにはいられないのよ、茉莉花は。既読スルーしてると思われるのもイヤだし」


「そっか」


「茉莉花は茉莉花でお盆に会いたい人の事でいっぱいみたいだしね」


「おばあちゃん?」


「――だけじゃないみたいなんだよね」


「おじいちゃん?」


 笑う雅。


「そういえば、おじいちゃんの話って聞いたこと無いなあ」


「でも、実家に帰ったよ。あ、おばあちゃんが実家の方に帰るかもって思ったのかな?」


「あの実家はおばあちゃんが亡くなったあとに引っ越したので、それは無いんじゃないかな。茉莉花、ホントはこの家にずっといたかったんだと思う。去年も一昨年おととしもそうしてたから」


「ご両親に興味を持とうとして帰ったんだよね」


「そう言ってたね。あたしに、おばあちゃんが帰ってきたらすぐに教えてって言ってたから、すごいジレンマなんじゃないかな」


 家の中を見回す桜子。


「わたし、あした出かけるのやめようかな」


 雅は桜子の頭を撫でた。


「それはダメよ」


「なんで?」


「茉莉花が知ったら怒るからよ。だったら自分が実家に帰らなかったのにって」


「……そうか。そうよね」


「それに、あたしが出かけにくい」


 笑いながら言う雅に、桜子も笑って頷いた。



 食事が終わって、食器を片付けながら雅が言った。


「お風呂、いまお湯を張ってるから、溜まったら入っちゃったら?」


 桜子が訊き返した。


「雅ちゃん、あとでもいいの?」


「今日は茉莉花もいないし、あとでゆっくり入るわ」


「ああ、そっか。茉莉花ちゃん、いないのか」


「うん」


「あ、じゃあさ。わたしと一緒に入らない?」


「――!」


 雅の片付けの手が止まった。

 雅の唖然とした顔に、桜子は首を傾げた。


「……?」


 雅はその表情のままで訊いた。


「一緒に入りたいの?……あたしと」


「そりゃ、一緒に…………ああっ!」


 桜子は自分の言っている事の意味に気がついた。しどろもどろに弁解した。


「あ……えと、その……ち、違うの。雅ちゃんの体に興味があるとか……そういうのじゃないの。全く忘れてただけなの」


「忘れてたんだ」


 無表情な雅を見て、桜子は早口になる。


「だ…だって雅ちゃん、どう見たって女の子なんだもん。わたし、仲のいい子とお風呂に入るの好きだから。あっ、仲のいい子って言っても女の子だけだよ。さすがに男の子に裸を見られるのは嫌だもん」


「わかってるわよ」


「……あっ!違う違う。雅ちゃんに裸を見られるのは全然イヤじゃないよ。だって雅ちゃんは女の子だから」


「そう?」


「逆に見る事に抵抗があるというか……あ、違うよ。嫌悪感があるわけじゃないよ。男の子の裸には嫌悪感があるけど、雅ちゃんは女の子だから大丈夫なの」


「そう…」


「でもでも、雅ちゃんは見られたくないんでしょ?だから、手術したら一緒に入ろ」


「…………」


 雅は少し考えてから、椅子に座り直して言った。


「基本的にあたしは自分の裸を女性に見せる気はないの。桜子は嫌悪感が無いって言ってくれたけど、あたしが自分を女の子だっていくら主張しようと、外性器は男の子よ。男性の裸が好きっていう女性も一部いるけど、多くの女性は好きでもない男性の外性器なんて嫌悪感しか持たないでしょ?」


「うん」


「あたしだって男性の外性器なんて見たくないもん。自分が嫌な事は人にもしたくないから、あたしは自分の外性器を他の女性に見せる気はない」


「なるほど!すごい説得力」


「だから、手術もしてないのに女湯に入らせろとか主張してるトランスジェンダーの人とか理解できない。トランスジェンダーがみんなそんなのだと思われるのは迷惑でしかないわ。ほんと、早くトランスジェンダーを卒業したいな」


「な、なるほど。色々あるのね」


「勿論あたしはクローゼットだから、そもそも見せられないんだけどね」


「ク、クローゼット?」


「あ、ごめん。秘匿してる人のことね。――でも、知ってる人にも、嫌悪感は無いって言ってくれる人にも、ほんと言うと見せたくないの。あたしに限らず誰だってコンプレックスに思ってる体の部分なんて、人には見せたくないものでしょ?」


「そうかぁ。そうよね」


「だからゴメンね。できれば桜子と一緒にお風呂に入るのは今は遠慮したいの」


「ああ、いいよ。気にしないで。ホントに忘れてただけだから。いつも茉莉花ちゃんと一緒に入ってる事に違和感が無さすぎて」


「茉莉花と一緒に入るようになったのも、まあ色々とあったんだけど、そもそも茉莉花はあたしの股間に全く興味ないのよね。あまりにも茉莉花の態度が自然すぎて、あたし自分がさらけ出してること忘れるくらいよ」


「ああ…そう……」


 桜子は、その時の茉莉花の様子を想像できすぎて苦笑いした。


次回「その7 残涙」は5/2(金)に投稿する予定です。

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