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その7 残涙

 八月十五日の夕方。長野駅前のターミナルで桜子がバスを待っているところへ、雅が近づいてきて声をかけた。


「あれ?桜子」


 振り返る桜子。


「あ、雅ちゃん」


「思ったより早いわね。結城くんとのデートはもういいの?」


「うん。今日はなんとなく早く帰りたくて。――雅ちゃんもいいの?大輝くんともっとゆっくりしなくて」


「次の約束はしたし、帰ってご飯を作らなきゃ」


「ご飯って言っても、お素麺でしょ?茹でて冷やすだけだから、すぐに出来るじゃない」


「いや麺だけじゃなくて、冷やし中華風に具も盛りつけるから。お盆だし、少しは華やかにしないと」


「そっか」


「予約で洗濯機も回してきたから、干さないとだし」


「ごめんね。やらせっぱなしで」


「好きでやってるんだから謝らないで。あたしは世の中がジェンダーフリーになろうが男に媚びてると批判されようが、女性らしい女性を目指してるの。それはあたしの個人的な望みなんだから、桜子が気にすることないのよ」


「は…はあ……。じぇんだふり……」


「あと、これ言うとよく笑われるけど、マンガの『メイドイン千石家せんごくけ』って知ってる?」


「あ、アニメは見たよ。ライフハックがいっぱい出てくるヤツだよね」


「そ。あれに出てくるスーパーメイドの沙彩さあやさんみたいになりたいの」


「沙彩さん、すごいよね。次々に起こる千石家のピンチをライフハックとかいろんな知識で華麗に解決していくの」


「うん。憧れちゃう」


「あ、でも雅ちゃんは既にスーパーメイドだと思うよ。家事もコスプレ衣装を作るのもパソコンだって、まるで魔法みたいだもん」


 雅は最上級に照れた。


「大袈裟だよぉ。それ程でもないってば」


「謙遜しなくていいよ。茉莉花ちゃんが『それ程でもない』って言う人ほど自信満々だって言ってたよ」


 雅の眉間にシワが寄った。


「あの子だけはホントに余計な事を言う…」


 そこへバスが入ってきた。



 家の最寄りの停留所で雅と桜子はバスを降りた。ふと桜子があっちの方を見ると、高そうな車から降りてくる茉莉花が見えた。


「あ…茉莉花ちゃん」


 雅も振り向く。


「どこ?」


「ほらあそこ」


 桜子の指さす方を見る雅。目を細める。

 そこには去っていく車に手を振る茉莉花がいた。おそらく父親の車だろう。実家から帰ってきたところらしい。

 家の前で降ろしてもらわなかったのは、この辺りの店にでも立ち寄るつもりだろうか。


「あ、ホントだ。桜子、目がいいわね」


「あはは…。山の中で育ったからかな?」


 けれども視線の先の茉莉花は家とは反対の方へ歩いていく。雅は首を傾げる。


「あれ?」


 桜子は駆け出した。


「早く、雅ちゃん。行っちゃうよ」


「え?え?ちょっと……」


 雅も追いかけた。


 茉莉花は表通りから奥へと入っていく。雅と桜子もあとを追いかける。

 入り組んだ道で見失いかけつつも、なんとか茉莉花についていく。そして、少し行った所で茉莉花は立ち止まった。

 声をかけようと近づこうとする桜子を引き止めて、雅は陰に隠れた。引き込まれた桜子は雅に訊いた。


「なんで?」


 陰から茉莉花の方を見ながら、雅は答えた。


「あたしたちには見られたくない用事かもしれないでしょ?まずは何をしてるのか、確かめよう」


「あ…うん」


 茉莉花の様子はというと、なぜか道の角から何かを見ている。その視線の先を確認すると、そこにはメゾネットタイプと思われる集合住宅が建っていた。

 茉莉花はじっと動かない。ひたすらに建物を見つめている。その顔は、普段の茉莉花からは想像も出来ないような、まるで小学生みたいに幼く不安げな表情をしていた。


 そのとき、建物のドアが開いて女性が出てきた。茉莉花は咄嗟に身を引いて隠れた。

 女性はドアの外の何かを手に取って中へ戻っていった。茉莉花は閉まったドアをしばらく見つめていたが、両手を胸の前で祈るように握りしめ、下を向きつつ苦しそうな顔をした。

 茉莉花はもう一度ドアの方を見てから、寂しそうに歩きだした。


 桜子が首を傾げた。


「あれ?どこ行くの?茉莉花ちゃん」


 雅は陰から出ながら言った。


「あっちって、たぶん家の方だ。行こ」


「あ、うん」


「見たこと茉莉花に言っちゃダメよ。なんとなくその方がいい気がする」


「うん。わたしもそんな気がする」


 二人はゆっくり茉莉花の去った方へ歩きだした。





 八月十六日。茉莉花は朝食のあとから、ずっとおばあちゃんの部屋に籠っていた。

 昼食の用意ができ、雅が呼びにいった時には茉莉花は畳の上にごろりと横になっていたが、声をかけてすぐに動いたところをみると眠ってはいなかったようである。


 昼食のあと、茉莉花は言った。


「ちょっとコンビニ行ってくる」


 珍しい事だった。

 コンビニで何かが欲しい時には茉莉花はたいてい雅に買ってきてと頼むか、一緒に来てと言う。雅が嫌な顔をしてもお構い無しなのだ。


 茉莉花が家を出ると、雅は窓の外を見た。案の定、茉莉花はコンビニとは別の方へ向かって歩きだした。昨日の集合住宅がある方向だ。再び見に行くのは明らかだった。

 横から桜子も覗き込む。


「昨日のおうち?」


 頷く雅。


「そうみたいね。会いたい人が帰ってきてないか見に行くんでしょうね」


「誰かな?」


「さあね。――コーヒー飲む?それともアイスコーヒー?」


「う~ん。ホットかな?」


 雅はキッチンへ向かった。



 リビングでくつろぎながら、雅は訊いた。


「桜子は実家の家族以外で、どうしても会いたい人っている?」


 飲んでいたコーヒーのカップを胸元あたりに持ったまま、桜子は答えた。


「亡くなった人でだよね」


「亡くなった人でも、なかなか会えない人でもいいけど」


「ただ会いたいってだけなら実家の方に沢山いるけど、どうしてもってどのぐらい?」


「う~ん。茉莉花がおばあちゃんを思うくらい?」


「難しいなぁ。……あ、でもいて言うなら、お父さんかな。わたしが物心つく前に亡くなっちゃってるから全く覚えてないんだけど、どうやらわたしの能力はお父さん譲りらしいんだよね」


「へぇー」


「お母さんが詳しく教えてくれないからホントは離婚したのかなって思ってたんだけど、思いきって訊いてみたら違った。ラブラブだったらしいよ」


「はは…。そうなんだ」


「わたしが成人したらお父さんのこと詳しく教えてくれるって」


「そう…」


「あ、でもお父さんは家族だから、会いたい人に入れちゃダメ?」


「入れちゃダメなのは実家に今いる家族ね。茉莉花のおばあちゃんだって家族だけど実家にいないから会いたい人に入れてるじゃない」


「あ、そっか。でも、実家の家族を入れていいなら、いちばん会いたいのは妹なんだけどな」


「あら。妹さん、いるの?」


「うん。可愛いよ。会いたいなあ」


「わかる。あたしも弟に会いたいもん」


「だよねぇ」


「妹さん、おいくつ?」


「十歳。小学五年生だよ」


「そう。五つも離れてると、それは可愛いよね」


「うん、そうなの」


「五歳差かぁ………………あれ?」


 雅は不意に違和感を覚えた。その違和感の正体を探るように桜子に質問した。


「お父さんって、桜子がいくつの時に亡くなったの?」


「ん?知らない。――そういえば聞いたことない。わたしは覚えてないから物心つく前って事ぐらいしかわかんない」


「あー…………そう……」


 違和感は覚えたものの、それを説明できる確信の持てる答えは何も無い。おまけに桜子の父親が亡くなったというデリケートな話であり、赤の他人の自分が踏み込むべきではない。雅はそう思って考えるのをやめ、話題を変えた。


「あたしね、実家にいる家族以外でどうしても会いたい人っていないのよね」


「おじいちゃんとかおばあちゃんは?」


「生きてる人も死んでる人も含めてあまり会ったこと無いから、全く思い入れがないの」


「じゃあ、ホントにご両親と弟だけなんだ」


「あ、父には会いたくない」


 目を丸くする桜子。


「え?」


 平然としている雅。


「ウチの両親、離婚してるから」


「あっ、ゴメン」


「なんで謝った?」


「なんか触れちゃいけなかったかと…」


 雅は鼻で笑った。


「全然いいよ。離婚の原因、あたしだし」


「ええ?!」


「察しはつくでしょ?あたしを認めない父と、あたしを守ってくれた母。父はあたしに死ねとまで言ったのよ。家族でいられるわけないよ」


「ひどい…」


「別にいいわよ。父とは一生、会うつもり無いし」


「それでも…」


 雅は手を一つ叩いた。


「はい、この話は終わり。気分悪いだけだから」


「……うん」


「あたしね。今は会いたい人っていないけど、いつか会いたくなる人はわかってる」


 桜子は首を傾げた。


「誰?」


「茉莉花」


「ええ?茉莉花ちゃんを殺さないで」


 笑う雅。


「いや、もし何かで簡単に会えなくなったとしてよ。ずっと一緒にいられるとは限らないでしょ?将来の事はわからないんだから」


「ああ……うん」


「でも最近、いつか会いたくなる人が一人増えたのよね」


「え?誰?」


 雅の苦笑い。


「うそでしょ?わからないの?桜子に決まってるじゃない」


「わたし?」


「ホントに天然だなぁ。そういうところ、嫌いじゃないけど」


「あ、だったらわたしもいつか会いたくなる人、雅ちゃんと茉莉花ちゃん」


「急に取って付けたわね」


「急じゃないですぅ」


「いいわよ。あたしの事は、そこまで思ってくれなくても」


「残念でしたぁ。もう手遅れですぅ」


「ああ~。もう手遅れかぁ」


 悔しがる仕草を見せる雅の心の中は、本当は嬉しくて仕方がなかった。



 茉莉花はようやく帰ってきた。コンビニにしては長い時間だったし、手には買い物袋も何も持っていなかったが、雅も桜子も何も言わなかった。


 茉莉花は帰るなり、再びおばあちゃんの部屋に籠ってしばらく出てこなかった。

 夕方になり、雅は茉莉花に声をかけた。


「そろそろかんば焚くでしょ?」


 座ってスマホ画面を見つめていた茉莉花は、顔を上げて頷いた。



 玄関先にかんばをセッティングすると、雅は茉莉花にチャッカマンを手渡した。


「つけて」


 茉莉花は黙ってチャッカマンを受け取った。

 かんばに火をつける茉莉花。オレンジ色の炎が上がり、真っ黒な煙が昇っていく。戻っていく魂を追うように、煙を目で追う茉莉花。

 少しして再び炎に目を落とす茉莉花。オレンジ色をしばらくじっと見つめていたが、その目からは涙がこぼれ落ちた。

 雅と桜子はオレンジに照らされた茉莉花の寂しそうな顔を見つめていた。二人ともその顔を美しいと思った。


 かんばの炎は徐々に小さくなっていき、そして消えた。炎は消えたが、茉莉花の目には涙の跡が残っていた。

 茉莉花はハッと我に返り、雅と桜子に見つめられている事に気がついた。手で涙の跡を拭いながらポツリと言った。


「かんばの煙が目に……」


 桜子がくすりと笑った。


「茉莉花ちゃん。そのセリフ、昭和っぽいよ」


 雅が小さく吹き出した。

 茉莉花は膨れた。


「もう。少しは余韻に浸らせてよ」


 そして笑った。



第九話 会いたい人

――終わり――


次回からは「第十話 おうちに帰ろう」が始まります。

「その1 ロン毛パイセン」は5/16(金)に投稿する予定です。

5/9(金)にはおまけの話を投稿する予定です。

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