ヒコイチ たのまれる
「・・・サネさんは、このところセイベイさんに会いましたか?」
「いいえ。若旦那が・・・セイイチ坊ちゃまが、 『大旦那様はボケてきて、人が変わったような振る舞いをするから、離れには勝手に行ってはいけない』と。 食事も自分が運ぶから用意してくれと、・・・ですので、しばらく大旦那様には、お会いしてません」
「そうですか。じゃあ、サネさんは、セイベイさんが『ボケた』という話を、どう思いますか?」
さげていた顔をさっとあげた女が言い切った。
「どちらだって、いいんです」
「 ――― 」
「あたし、大旦那様が心配で、勝手に、離れに行きました。・・・そのとき、ひとりごとをつぶやく大旦那様の姿も、はじめて見ました。 声をかけたら、いつもの大旦那様で、見つかったら坊ちゃまに怒られるから、来るなって、言われました。 たとえ、本当はボケてたとしても、そういうこと言ってくれるんです。大旦那様は、そういう人なんです。 ただ・・・、そういうのが、セイイチ坊ちゃまには、うまく伝わらない。伝わって、ないんです。 あたし、・・・はがゆくて、 でも、 これは、 あたしが言っていいことじゃあ、なくって ―― 」
両手をせわしなく揉み合わせることも止め、サネがくるりと首をまわした。
「―― だから、ヒコさん。たのんだよ」
なにかの覚悟をのせたように、サネが言う。
なにをだよ、と口にする前にまたしても代わりのように、「まかせてください」と請け合うお坊ちゃまは、その自信にあふれた笑顔をこちらへむける。
二人に見つめられたまま、動けなくなったヒコイチは思った。
―― やっぱり、ろくでもないことになりそうだ・・・。




