上客
段々と沈むこちらの気も察することなく、お坊ちゃまは、表へとまわりなおして『とめや』と染められた店の暖簾をくぐり、慣れた様子で挨拶をした。
大番頭はじめ、店のものが一様に立ち上がり、男を迎える。
オマケのようにひかえたヒコイチは、ここで帰りたかった。
若旦那である息子とは、普段会っても、話はしない。
その息子が、いちばんに薄ら笑いを浮かべ、こちらに寄ってくるのがなんとも嫌だった。
「これはこれは、一条様」
隠居の紹介で訪れた男のことは、既に調べてあるのだろう。
明らかに上客とふんだ対応だ。
革の履物をぬいであがった洋装の男の帽子と外套を、女中に渡し、呉服屋の若旦那は、自分と同じほどの歳の男を、馬鹿丁寧に奥へと案内し、上座に通した。
「わあ、ここに来るのは久しぶりだなあ」
広い部屋を見回して、お坊ちゃまは部屋に入ろうとしないヒコイチをまねく。
「ほら、この床の間の傷。 実は、ぼくがつけちゃったんです」
床柱の低い位置にある、確かめないと見えないほどの跡を、男はしめした。
父に買ってもらった十徳ナイフをためしたくてねえ、と語る男が、やはり子どものころからろくでもねえ、と考えたヒコイチはやぶにらみすることで答える。
「 この傷、セイイチさんが疑われなかったですか?」
笑って聞かれた若旦那の、白い顔が硬くなった。
「 ―― わたくしは、十七になるまで、この部屋に入ることを許されませんでしたので」
その返事に、この親子の今までの関係全てがしるされているようだと、ヒコイチは小さく息を継いだ。




