⑦
グーパンではなかったのが不幸中の幸いだった。
ビニール袋で作った即席の氷嚢を頬に当て、職員通用口から外へ出る。
時刻は、まだ朝の五時半。
これから一日が始まるという時間に、颯斗は既にとてつもない疲労感を覚えていた。
男に「キス」された。
いや、違う。
アレは触れただけで、事故だ。
「キス」なんかじゃない。
全部、忘れよう。
颯斗のファーストキスはこの男ではなく、これから先、好きになる相手とするものなのだ。
「あーあ。今日はもう帰ろうかな」
どうにも、やるせない思いが胸に燻る。
特待生故、品行方正、皆勤賞を意識し三年まで頑張ってきたが、さすがに誰が見ても問題があっただろう姿で通学する勇気と気力は、もう颯斗にない。
通用口の脇に停めてあったママチャリという名の年季の入ったシティサイクルを、ため息つきながら力なく解錠した。
「おい」
背後で低い声がした。
朝早くから活動しているもの好きもいるのだなと思いながら、颯斗は自転車のスタンドを外す。
「おい」
やや苛立ちを感じさせるその声に、興味本位でちらりと後方へ視線を向けた。
あ、と颯斗は息を呑む。
例のあの男がそこへ立っていたからだ。