⑧
無意識に警戒心を覚え、全身にぎゅっと力が入る。
何しに来たのだろうか。
困惑した颯斗の思いをよそに、男は一歩ずつ距離を詰めてくる。
「どうして先ほどチップを受け取らなかったんだ」
咎めるようなもの言いに、颯斗は口封じのために来たのかと察する。
「あの、金銭など関係なく先ほどのことは口外する気がありませんので、ご安心ください」
「それでは俺の気がすまない」
しつこい男だ。
余程、あの女優との関係を口外されたら困るのだろうか。
金なんて積まれなくとも、そもそも颯斗には個人情報を洩らすつもりは毛頭ないのだ。
「いえ……だから、本当にチップなど関係なく、私共はカフェでのことは外部に口外致しませんので」
サングラス越しからでもわかる。男の目が怪訝そうに眇められていることを。そして、相手にノーと言わせない威圧的なオーラを放っていることも。
そんなにもあの女優との修羅場を口外されたくないんだったら、もっと人目のつかない場所で済ませればよかったんだよ、と内心で悪態をつく。
ああ、もう今日は絶対に学校はサボろう。
特待生の制約を思うともの凄く気が引けるが、決めた。
絶対に学校は休む。
初めての自主休校だ。
「だったら、せめてこれだけでも貰ってくれ」
無理やり薄い紙のようなものを颯斗の手へ握らせる。
この期に及んで、まだ別の方法で口封じしようとしているのだろうか。
店長直伝の超接客スマイルも、苛立ちからとうとうヒビが入りそうだ。
とりあえず掌の感触が諭吉ではないことを告げている。
少しだけ颯斗は安堵し、それでも恐る恐る手の中にあるものを指を広げて確認した。
「──携帯の、番号?」
三桁の文字から始まる番号が書かれた紙切れに、颯斗は男の真意がつかめず、きょとんとしてしまう。
「プライベート用の番号だ。俺のせいで今日はもう上がりになっただろう? もしこの後、風邪ひいて病院行くことになりそうだったら、遠慮なくこの番号へかけろ」
「……どうして、ですか?」
「今日働けなかった時給分も含め、慰謝料割り増しで俺に面倒見させてくれ」
やっぱり金で解決ですか、と颯斗はため息をつく。
たしかに給料問題は大事だが、こういったもらい方はなんとなく好きじゃない。
むしろ、絶対にもらいたくない類の金だ。
たとえ風邪を引こうが引かまいが、絶対にこの番号へ電話なんてかけるわけがない。
「今、名刺の持ち合わせがなく申し訳ないのだが、俺は龍ヶ崎翔琉という者だ」
「……はあ、そうですか」
流行に疎い颯斗でも知っている、人気俳優と名前が同じような気がする。
顔はどうだったっけ、と言われると曖昧になってしまうのだが……。
でもたしか「龍ヶ崎翔琉」という俳優は、日本とどこかの国のクォーターだと、クラスの女子が騒いでいたっけ。
日本人と比べて色素は薄く、ガラス玉のような特徴的なグレーの透き通った瞳を持つ男。
当時既に十代で完成された彼の相貌を、海外の某超有名オートクチュールのデザイナーが億の金を積み、俳優として活躍する現在でも、専属モデルとしてなんとか永続的に契約させたのは有名な話らしいというエピソードも、クラスの女子たちからの受け売りだったような。
同時に、とにかく顔が良すぎるせいで女癖がすこぶる悪く、爛れた私生活を送っていることも国内外問わず、暴かれていたのものこの男だったようなと記憶する。
まさか世界を股にかけたような超人気俳優が、会員制カフェとは言っても、こんなところでせせこましくいちアルバイト店員の口封じを行うものなのだろうか。
だからこそいま、目の前のこの男があの「龍ヶ崎翔琉」とは結び付かない。
外見だって……と思う。
流行りの、少し長めの薄い髪色は染めているのか、はたまた地毛なのか。
肌はたしかに白そうだが、肝心な本人と識別できる目許は漆黒のサングラスで覆われて、確認できない。
やはり同姓同名、もしくは本人を騙った詐欺かもしれない。
再び警戒を強めたところで、まるで颯斗の心の中を読んだように、目の前の男はすっと洗練された手の動きを見せながらサングラスを外した。
……って、ぇええええええええええええ?!!!!!
声にこそ出さなかったが、颯斗は心の中で大絶叫する。
グレーの瞳だ。
間違いなく目の前の男は両目とも、透き通ったグレーの瞳をしている。
ホンモノ、だ。
この人、もしかしなくてもホンモノの「龍ヶ崎翔琉」かもしれない。
激震からの確信を持った颯斗は卒倒しそうになる。
たしかこの人、今年二十八歳でもうすぐハリウッドで撮影があるとかなんとか、って早朝の情報番組で言ってたような……。などと、何の脈絡もない自分が知っている僅かな「龍ヶ崎翔琉」情報を、次から次へとひたすら脳内に並べていく。




