モデラーの休日
和哉たちは新しく砦を占領したが、重苦しい空気が彼らを覆っていた。
「喜久姉、本気で怒ってたよな?」
和哉が佐藤に尋ねると、彼は無言で頷く。
「喜久姉のお仕置き、キツイんだよな」
「……二人がそれだけ恐れる人物か」
武藤も善戦したとは言え、やはり薙刀に対しての圧倒的劣勢は覆せず、危機一髪を和哉と佐藤の二人に救われたことから意気消沈していた。
「三人とも、元気出しなよ」
クリスが明るく振る舞っているのが唯一の救いだ。本拠地に戻って来ると、ジョアンヌらも帰還したところだった。
「そちらは、どうでしたか?」
景気の悪い表情を浮かべている三人に、ジョアンヌは少し気後れしている。
「砦は落としたけど、勝負には負けた気分だ」
「そうですか、それなら良かった」
ジョアンヌと尾藤、兵士たちがゾロゾロと本拠地に戻って来るが、モリモットの姿はなかった。
「浩はどうした?」
まさかという表情が武藤と佐藤に浮かぶ。ジョアンヌは溜息をついた。
「女戦士部隊の損耗が激しいからと、一足先に戻っているはずです」
彼女の言葉に、一同はホッとする。しかし女戦士部隊の損耗が激しいとなると、今後の戦略にも影響が出るだろう。
「浩の様子を見て来る。先に広間に行っててくれ」
「私も行きましょう」
和哉にジョアンヌが同行した。
「浩殿は、いつもこのような行動ですか?」
ジョアンヌが和哉に問い掛ける。
「あいつ、自分の好きな物事には夢中になるタイプで、悪く言えば空気の読めない奴だが、良く言えば一途で純粋ないい奴だよ」
「一途、ですか」
和哉の返答に、ジョアンヌは頷いている。モリモットには特別に作業部屋を与えていて、そこで人形の制作やその他諸々を任せていた。ソッと中を覗くと、彼は黙々と修理を行っていた。いや、耳を聳てると、何やら呟いているのが聞こえて来る。
「痛かったでござろう、チエ。今、直すでござるお」
和哉は思い出す。モリモットが自作人形には名前を付けて管理していたことを。
「二文字ということは、初期ロットか」
「どういうことだ、和哉?」
意味が分からないジョアンヌが尋ねて来る。和哉はその場から離れるよう促した。
「作業の邪魔はしない方がいい。あいつは人形を大切に思うからこそ、名付けて管理しているんだ。最初は二文字の名前、次が三文字の名前と長くなってゆく」
「そうなのか、最大で何文字まで行くんだ?」
「俺の知っている限りではエリザベートだから六文字だな」
和哉の頭の中には寿限無(注1)が思い起こされていたが、そこまで到達することはない。
「浩殿に大切に扱われる人形たちは幸せ者だな」
ジョアンヌの何気ない一言に、和哉は思わず口元が綻ぶ。
「後で、コーヒーを持って行ってくれ」
ニヤリと笑った和哉に、ジョアンヌは力強く頷いた。
二人が広間に戻ると全員が着席していた。本日は兵士が少し増えただけのようだ。
「それでは、主の降臨です」
クリスが宣言すると中央の空席に、あの老人が出現する。
「今宵も晩餐会を開く喜びを皆と分かち合おう」
一同は酒杯を手に立ち上がった。
「我らに勝利の栄光あれ」
唱和して、一気に酒杯を空ける。後は食事の時間だ。いつもと同様、卓上にはパンが一つあるのみ。
「父と子と聖霊の御名に於いて、皆さんを祝福します」
クリスの祈りの文句を受けて、全員が黙ってパンを食べる。
「それでは、明日も勝利を我らに」
老人とクリスが退席した。それを待っていたかのように兵士たちの期待に満ちた視線が和哉に集まる。彼はまずコーヒーを出すと、それをジョアンヌに渡した。
「浩に持って行ってくれ。あいつは人形たちのことになると集中力が半端ないからな」
「分かった」
水筒に入ったコーヒーを手にジョアンヌが出て行くと、それからは宴の始まりだ。照美の要望に応えて、主菜は炭火焼肉だ。
「バーベキュー(注2)、久しぶりですぅ」
「フェアフィールド(注3)にいた頃は庭でバーベキューなんて毎週末だったな」
はしゃぐ照美と、慣れた手つきで肉を焼く尾藤。こんなこともあろうことかと、和哉は大型の排気設備を準備していた。焼肉のタレ(注4)は拘りの逸品で、肉に絡んで旨さ倍増である。
「うむ、旨い。酒が進む」
「和哉の用意周到さには脱帽するしかないな」
意気消沈していた武藤と佐藤も、元気を取り戻してモリモリと食べている。
「お前ら、今夜の本当の主菜は、これからだぞ」
「何ぃ」
「まさか」
「バカな」
和哉が自らの目の前にある網をめくり、燃え盛る炭を崩すと、中から鉄鍋(注5)が現れた。鉄鍋を持ち上げて網を鉄板に置き換える。和哉は持ち上げていた鍋を鉄板の上に降ろすと、蓋を開けた。
「鶏の丸焼きだ。それぞれの炭火の中にも仕込んである。取り出して、切り分けろ」
「おお!」
一斉に各テーブルで鉄鍋が姿を現す。先に切り分けていた和哉はコッペパン(注6)に鶏肉とレタスを挟んで、即席のホットドッグを作った。
「浩に差し入れして来る。後は任せたぞ」
シュガー四天王に後事を託して、和哉はモリモットの作業部屋に向かう。彼が到着するのとジョアンヌが出て来るのは、ほぼ同時だった。
「ジョアンヌ……」
「私はこれで失礼する」
不機嫌な彼女はそのまま行ってしまった。どうせモリモットが塩対応(注7)したのだろうと予測して、和哉は室内のコーヒーが置かれた卓上にホットドッグを置いて、モリモットを一人にした。
「浩の奴、相変わらずだな」
生身の女性より二次元と人形をこよなく愛するモリモットに、和哉は呆れていた。
声の想定
・桐下 和哉 鈴木達央さん
・聖女クリス 小林ゆうさん
・ジョアンヌ 河瀬茉希さん
・モリモット 関智一さん
・武藤 龍 玄田哲章さん
・尾藤 大輔 稲田徹さん
・佐藤 竜也 櫻井孝宏さん
・山岡 次郎 下野紘さん
・藤井 照美 伊藤かな恵さん
・藤井 羅二夫 うえだゆうじさん
・佐藤 由貴 芹澤優さん
・ペンテシレイア 日笠陽子さん
・樋口 鞆絵 喜多村英梨さん
・井ノ元 喜久代 丹下桜さん
・謎の老人 石田彰さん
注1 寿限無
落語の一つで、縁起の良い単語を全て繋げた長助を巡る話である。
なお正式名称は「寿限無寿限無五劫の擦り切れ、海砂利水魚の水行末・雲来末・風来末、喰う寝る処に住む処、藪ら柑子の藪柑子、パイポ・パイポ・パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの、長久命の長助」である。
本来の結末は「過ぎたるは及ばざるが如し」という皮肉であった。
どうせなら長久命のチョムスケと名付けるのは如何だろうか?
注2 バーベキュー
本来のバーベキューは燻製やローストなどの時間がかかる調理を意味する。焼肉など短時間の調理はグリルと呼ばれるが、日本ではバーベキューと言えば専ら屋外での炭火焼きを指す場合が多い。
最近はキャンプブームに伴い、様々な調理器具や調理方法が流通している。
注3 フェアフィールド
アメリカ合衆国東北部、コネチカット州にある郡、または町。
非常に治安の良い地域でグリニッジ町には日本人学校も存在するが、概して高級住宅地である。
なおグリニッジの日本人学校は「ニューヨーク日本人学校」である。
注4 焼肉のタレ
「焼肉焼いても、家焼くな」の強烈な売り文句が記憶に残る人もいるだろう。
戦後間もない頃、焼肉の旨さを追究する一人の男性がいた。
彼は幾つもの焼肉屋を食べ歩き、焼肉の旨さの秘訣がタレにあると気が付いた。
そこで焼肉のタレの作り方を研究し、ついに独自のレシピを開発して販売するに至る。
こうして各社が熾烈な開発競争を極める、焼肉のタレ戦国時代が幕を開けたのである。
注5 鉄鍋
ダッチオーブンのこと。
和哉はこの鍋にビールを入れて、鶏を蒸し焼きにした。
昨今のキャンプブームを追い風に我が国でも市民権を得つつあるが、その隆盛はアメリカ大陸の開拓時代にある。
焚き火で調理ができて、丈夫で長持ち。更に蓋をして重ねて一度に調理ができる利便性もあった。
名前の由来はオランダ人が開発したから、或いはオランダ人が販売していたからとも言われるが、英語で「Dutch」というのは「もどき」の意味があり、「オーブンもどき」の意味で命名された説も捨て難い。
注6 コッペパン
実は日本独自のパンである。
小型のバゲットのような姿形をしているが、バゲットよりも遥かに柔らかい。またアメリカのホットドッグバンとも似て非なるパンでもある。
切り込みの入れ方が東日本では横に入れる「腹割り」、西日本では上部に入れる「背割り」が主流となっている。
切り裂いた部分には、クリーム、餡、惣菜を挟み込むが、焼きそばを挟んだ「ヤキソバパン」や、切り込みを入れずに油で揚げて砂糖をまぶした「揚げパン」、きな粉をまぶした「きなこパン」は人気商品で、争奪戦が始まる場合が多い。
注7 塩対応
しょっぱい対応のこと。
元々は大相撲の用語で、すぐに負けてしまう弱い力士を指したが、やがて意味が変化して「つまらない」となった。
その「つまらない」対応が更に変化して、「愛想がない」、「素っ気ない」などに意味が広がっている。
筆者も塩対応する時があるので悪しからず。