エリカ
「尾藤、立て! 立つんだ、尾藤!」
「……燃え尽きちまったよ」(注1)
尾藤の耳には和哉の声が届いていたが、娘に投げ飛ばされた心の傷は深かった。和哉は軽く舌打ちして、襟元に右手をやる。
「お姉さんと遊びましょう」
自衛官故の油断と言って良かった。男子高校生ぐらいは簡単にあしらえると高を括っていたのだ。和哉は襟元から金属バットを抜くと、走って来た勢いのまま弥生の頭へ振り下ろす。
「なっ……」
脳天を打ち抜く正確な狙いと、想像を超える速さに弥生は驚く。しかし自衛隊で鍛えられた経験が身体を無意識に動かした。右手で軍用ナイフ(注2)の柄を握り左手を刀身に添えて和哉の渾身の一撃を受け止め、身を捩って自身の左側に受け流す。和哉の金属バットは地面を叩いた。そこに大きな穴が開く。
「危ないでしょうが」
「流石、尾藤の娘。自衛官というのは本当のようだな」
弥生は距離をとって軍用ナイフを逆手に構えた。目の前の男子高校生は危険な香りがプンプンする。
「只者ではないわね」
「そりゃどうも」
油断なく構えた弥生には、まさに一分の隙もない。和哉は攻め手のキッカケが掴めず睨み合いしかできなかった。二人が睨み合いを続けている横で残存の黒松千代が、尾藤と赤松千代を抱えて去って行く。
緊張漲る場面を崩したのは戦場全体に響き渡るほどの高笑いだった。
「オーホッホッホッホッホッホ、この長野恵梨香が加勢に来たからには、勝利は間違いございませんことよ」
「な、何だ?」
和哉は思わず目の前の弥生から注意を逸らした。当然、その隙を見逃す弥生ではない。訓練された通り(注3)に身体が動く。低い姿勢から和哉の懐に飛び込むと、右手の軍用ナイフで切り上げる。和哉は仰け反って躱すがその左頬を浅く切られた。振り切ってがら空きになった弥生の右脇腹に攻撃を加えようとした和哉だったが、首筋に悪寒が走り反射的に後ろへ跳ぶ。
「よくぞ躱しました」
両手で握られた弥生の軍用ナイフは、和哉が立っていた地面に根元まで突き刺さっていた。
「えげつないな」
「これでも陸士長(注4)でしたから」
微笑む弥生。地面に突き刺さっていた軍用ナイフを引き抜きながら、土を和哉に向けて飛ばす。それを予測していた和哉は土の塊を金属バットで打ち返した。
「ぶっ」
打ち返された土塊は弥生の顔面に命中する。追撃を加えようとした和哉の頬を熱気が襲った。咄嗟に横へ跳ぶと、和哉のいた場所を中心に炎が逆巻く。その炎の中で弥生は燃えていた。
「エリカの炎を避けるなんて、生意気ですこと」
高飛車な物言いに相応しい、縦巻きロール(注5)の傲岸不遜な態度の女性が向かって来る。先程の高笑いもこの恵梨香が発したものだ。メリハリの利いた体型を惜しみなく晒すように、黒いビキニタイプの衣装に外套を羽織っただけの姿は、目のやり場に困る。
「次は有り難く受け止めなさい」
恵梨香が手にした杖の先に炎が渦巻く。轟然と噴き出す炎は和哉の髪を焦がした。
「嘘だろ?」
炎の魔法を使う恵梨香に、和哉は手も足も出ない。飛び込もうにも、杖から噴き出す炎が相手では焼き尽くされるのが明らかだ。炎に包まれていた弥生は既に息絶えている。
「オーホッホッホッホッホッホ、このエリカの前に平伏しなさい」
噴き出す炎で薙ぎ払いながら近づいて来る彼女に、和哉は逃げ回ることしかできなかった。人間火炎放射器とでも形容するしかない恵梨香の攻撃の前に、和哉は反撃の糸口を掴めない。
「和やん、助太刀するでござるお!」
「浩? やめろ!」
猛然と突進して来るモリモット。恵梨香はその彼に向けて炎を浴びせる。しかしモリモットは止まらない。炎に包まれたまま、恵梨香に抱き着いた。(注6)
「何を……!」
自らの炎にモリモット諸共包まれる恵梨香。和哉は目の前の光景を信じられずにいた。
「浩ーっ」
和哉の絶叫と、フラッシュバックする記憶。茫然自失とする彼の目の前でモリモットと恵梨香は炎の中に崩れ落ちる。
「済まない和哉、遅れた」
正気を取り戻した尾藤が駆け付け、その後ろにはクリスたちも続いていた。和哉はヨロヨロと立ち上がる。
「砦を落とそう」
残っていた敵兵に向けて進軍を開始した。残存敵兵を蹴散らして砦を占拠した和哉たちだったが、親友を失った和哉は意気消沈していた。クリスも何と声を掛けて良いのか分からない。
「今は、そっとしておいてやろう」
尾藤の言葉に従って、クリスたちは本拠地へ帰還した。南へ出征していたジョアンヌたちも無事に帰還する。
「お帰りなさいですぅ」
照美が出迎えるが、すぐに和哉の異変に気付いた。小声でクリスに尋ね掛ける。
「何かあったんですか?」
「実は……」
モリモットが戦死した経緯を説明すると、横で聞き耳を立てていたジョアンヌの顔色が変わった。
「浩殿が?」
「あれあれ、もしかしてジョアンヌさん、モリモットさんのことが?」
恋愛話は女性の好物の上、照美はマスコミ関係者特有の野次馬根性が表出する。
「ば、バカなことを言うな。誰があのような朴念仁を」
耳まで真っ赤に染めて否定するジョアンヌ。その様子を照美はニマニマしながら愉しんでいる風だった。
「桐下さんがすぐに取り戻してくれますよ」
その何気ない一言に触発されて、和哉の瞳に生気が戻る。
「そうだな、浩は必ず取り返す」
和哉の宣言に一同は大きく頷いた。
その頃、モリモットは北方陣営の本拠地で目覚める。
「さ、寒いでござるお」
「はにゃ、お目覚めかしら?」
寒さに震えるモリモットに、埴輪が近づいて来た。
「喜久代姉さん、何をしているでござるか?」
「浩くんこそ、どうしてここに?」
質問に質問で返す喜久代。
「炎の魔法で燃やされたでござるお」
「ほえ~、熱かったでしょう?」
「その熱さから、この寒さは堪えるでござるお」
二の腕を擦って暖まろうとする彼の様子は滑稽だった。
「浩くんは相変わらずだね」
「喜久代姉さんに頼みがあって来たでござるお」
モリモットの頼みに、喜久代は真剣に聞き入っていた。
声の想定
・桐下 和哉 鈴木達央さん
・聖女クリス 小林ゆうさん
・ジョアンヌ 河瀬茉希さん
・モリモット 関智一さん
・武藤 龍 玄田哲章さん
・尾藤 大輔 稲田徹さん
・佐藤 竜也 櫻井孝宏さん
・山岡 次郎 下野紘さん
・藤井 照美 伊藤かな恵さん
・藤井 羅二夫 うえだゆうじさん
・佐藤 由貴 芹澤優さん
・ペンテシレイア 日笠陽子さん
・樋口 鞆絵 喜多村英梨さん
・井ノ元 喜久代 丹下桜さん
・尾藤 弥生 沼倉愛美さん
・長野 恵梨香 原由実さん
注1 「立て! 立つんだ、尾藤!」「……燃え尽きちまったよ」
原作・高森朝雄(梶原一騎)さん、画・ちばてつやさんによる漫画『あしたのジョー』で、ダウンを喫した矢吹丈に対して、セコンドの丹下段平が「立つんだ、ジョー」と叫ぶ場面がある。
その『あしたのジョー』の有名なラストシーンが、燃え尽きて真っ白になった丈の姿である。
注2 軍用ナイフ
64式銃剣のこと。刃渡り29cm、全長41cmの銃剣。新ゴボウ剣とも呼ばれる。64式7.62mm小銃に着剣して扱われる。
現在の陸上自衛隊では主力自動小銃は89式に更新されており、本来であれば89式多用途銃剣になるはずだが全長27cm、刃渡り15cm程度の89式多用途銃剣では金属バットの一撃を防げないと思い、作中では旧式の64式銃剣とした。
注3 訓練された通り
平成二十年より自衛隊では「新格闘」に術技が変更となり、この「新格闘」は基礎技術以外の具体的内容は明らかにされていない。
その為、弥生の動きは筆者の想像で描写した。実際の自衛官の動きとは違うことを明言しておきたい。
注4 陸士長
自衛隊の階級の一つで、軍隊の兵にあたる。
任期制隊員は契約雇用に近く、陸上自衛隊では二年を任期満了とする。
その二年間、二等陸士として六か月過ごした後、一等陸士に昇任し、一年後に陸士長に昇任するので、ほとんどの場合で陸士長に至る。
任期中に曹候補生選抜試験に合格すると非任期制隊員として「曹候補生たる士長」に指定される。
それから陸曹候補生課程及び三曹昇任試験を受け合格し、初級陸曹特技課程の教育を受けた後、三等陸曹に昇任できる。
これが叩き上げと呼ばれる隊員だが、概ね曹長ぐらいで定年を迎える。
注5 縦巻きロール
主に女性の髪型で、結ばない髪の毛をカールして、螺旋状にした様相。
御令嬢の髪型としての認知度を上げたのは山本鈴美香さんの漫画『エースをねらえ!』の登場人物、お蝶夫人こと竜崎麗香であろう。
近世の欧州貴族階級でもこの髪型は流行した。
最近では名古屋嬢が縦巻きロールを愛好し「名古屋巻き」とも呼ばれている。
だでぇ縦巻きロールを見たぁ人は名古屋に行りゃあせ。ようさんのでらぁ別嬪さんがおるんだわ。モーニングに、いっぺん行ってみやぁー。
注6 炎に包まれたまま、恵梨香に抱き着いた
漫画『北斗の拳』では南斗五車星の一人、炎のシュレンが全身に炎を纏ってラオウに肉薄する描写がある。ラオウは傷一つ負わなかった。
なお、火達磨になった人物の死因は窒息死が多いが、結局は全身火傷によるショック死を迎える。
全身火傷で助かった架空の人物と言えば、巻来功士さんの漫画『ミキストリ』の主人公・江島陽介と、同じく『メタルK』の冥神慶子がいる。




