199話
八月五日。
今日は明日の開会式に備えて、リハーサルを行ったあと、練習グラウンドに戻り、現在練習をしている。
夏の日差しは八月に入ってから、さらに厳しいものになった気がする。連日の猛暑日の中、俺はだるい気分になりながらもブルペンでボールを投じる。
だが調子の方は八月に入ってから上向き状態だ。投じるボールも走っており、キャッチャーを務める哲也のミットを軽快に響かせる。
これなら、明日の城南戦も見てられないほどの結果にはならないだろうと思う。
「里田ぁ! 行くぞぉ!」
隣のブルペンで投げる松見はそう宣言して投球フォームに入る。
入部してから数ヶ月、佐和ちゃんの的確な指導もあり、松見のフォームは見違えるぐらいに良くなった。と言ってもまだまだフォームを固め始めたばかり、ステップ幅も、リリースポイントも、その時その時で変動して、やはりボールは乱れがちだ。
だが、ボールに力を伝えやすいフォームへと変えたおかげか、だいぶ球速が上がってきた。入部当初は119キロだったのが、今では130キロを時折越すぐらいのスピードまで上がっている。
元々体格は一年生にしては大きかったし、フォームが固まれば伸びる素材だとは思っていたが、ここまで成長が早いと、こっちも危機感を覚えるほどだ。
亮輔の奴も頑張んないと、俺がいなくなったあと松見にエースナンバー奪われちまうんじゃねーか?
夜、ホテルにある会議室に選手たちが集まり、明日の城南戦に向けた作戦会議が始まった。
と言っても、作戦という作戦は話されない。
相手チームの地区予選の対戦成績から、試合運びや弱点などを口頭で聞くだけに留まる。
「エース福永は鹿児島大会で初戦、準々決勝、準決勝、決勝の4試合に登板して、防御率は1点台。ストレートを武器に強気なリードで攻めてくるピッチャーだが、コントロールは悪く、四死球は27イニングで12個とかなり多い。当然甘い球も来るだろう。それを狙い打つように」
「はい!」
佐和ちゃんが口早に相手のエースピッチャーの特徴について話していく。
福永は確かに球こそ早いが、四死球が目立っているのが大きい。川端に比べれば欠点が目立っているし、これは攻略しやすいだろう。
「それから時折投じるカーブは捨てろ。投じた瞬間から変化を始めるが、その分軌道も見やすく、ストライクゾーンに入りにくい。逆にチェンジアップはストレートとのフォームの違いから分かりやすい。狙うならチェンジアップだな」
佐和ちゃんの指示に選手たちが返事を返していく。
「バッターの方だが、やはり一番警戒すべきは四番の中村。だが、これに関しては英雄、哲也。お前らに任せた」
そうして佐和ちゃんは俺と哲也を交互に見る。
「はい!」
最初に返事を返したのは哲也。
キャプテンらしく力強い返事だった。頼むぜ女房、明日も強気なリード期待してるからな。
「英雄も頼んだぞ」
「了解した」
中村は前々から対戦したいと思っていたバッターだ。
だから素直に楽しみだし、良ちん以上のバッターであることを期待している。
「相手は確かに夏春夏と甲子園出場をしている強豪校だが、お前たちは県大会準決勝で選抜出場校、決勝で昨年夏の甲子園出場校を破っているんだ。十分全国クラスの力を持っている。だから、自信を持って挑めば絶対に勝てる」
佐和ちゃんらしい強気な宣言だ。
この宣言騙されて、というか躍起になって俺達はここまで来た。佐和ちゃんはもしかしたら言霊使いなのかもしれない。
「佐伯先生のほうからも一つ」
ここで佐和ちゃんが佐伯っちに話をふった。
今日の昼まで学校に残って馬鹿な生徒どもの補習を付き合っていた佐伯っちは、やっと本日から大阪に来て、このホテルで泊まる事となる。
急に話題をふられた佐伯っちは戸惑った様子を見せたが、すぐさま笑顔を浮かべた。
「正直俺はここまでお前たちがやるとは思わなかった。だけど、俺はまだ満足していない。もちろんお前らも満足していないと思う」
佐伯っちが笑顔で選手たちに語りかける。
相変わらずイケメンだなこの野郎。彼女持ち特有の余裕なオーラ出しやがって。
「甲子園に出たからって満足するな。ここまで来たんだ。やるなら全国制覇までしよう! 堂々と胸張って学校に帰ろうじゃないか!」
「おぅ!」
佐伯っちらしい激励に選手たちが笑顔で返事を返す。
これで今日の会議は終了。選手たちはそれぞれの部屋へと戻っていく。
自室に戻り、哲也と中村のリードについて話し合う。
「中村はボール先行で、カウントが悪くなったら最悪歩かせよう。城南の全選手の県大会の打率を見る限り、中村以外なら十分抑えられるし」
哲也がそんな提案をしてきた。
ちょっと待て? なんだその逃げの姿勢は?
「弱気だな哲也。せっかく甲子園に来たんだから強気に行こうぜ」
「そうだけど…相手は今大会屈指のバッターだよ? 高校野球のバッターの中でも1、2を争うバッターなんだよ?」
哲也の言いたいことは分かる。
目の前の強敵を前にして真正面からぶつかるのは得策じゃないのはわかっている。
だけど、こればかりは譲れない。
「だからこそ強気で行くんだよ。そんなバッターと戦えるなんて滅多にないんだ。俺たちの実力を確かめるには良い機会だろ?」
「それも分かるけど…相手は全国クラスの…」
うじうじ悩み出す哲也。
一度決めると強気になるくせに、決めるまでが長い。
だいぶキャプテンらしくなってきたが、誰かに背中を強く押してもらわないと前に進めないのは相変わらずか。
「哲也、俺が中村に劣ってるって言いたいのか?」
「え? そういうわけじゃないけど…」
「なら逃げの配球じゃなくて、真っ向勝負していこうぜ? 俺が中村に劣ってるならまだしも、俺は中村に劣ってるつもりはない! だから強気で行こう」
うじうじ悩む哲也の背中を押すように、俺は力強く哲也に言い聞かせる。
「壁を回り道し続けて手に入れた優勝旗なんて意味がねぇだろ。壁を乗り越えて手に入れるからこそ意味があると俺は思う。何より、初戦から逃げの姿勢じゃ甲子園勝ち上がれねぇって」
俺の想いを熱く語ったところで、ようやく哲也の心が動いたようだ。
「…確かにそうだね。うん、でも…やばい時は…」
「ビビるなよ。俺の調子が今最高潮なの分かってるだろ?」
そうしてウインクしてみせた。
正直、野郎にウインクなんてしたくなかったが、余裕綽々な所を見せたかったので致しかたなかったんだ。
俺の余裕ある姿を見て、やっとの事哲也の首が縦に動いた。
「わかった。英雄を信じるよ」
「おう!」
相変わらず決めるまでがチンタラしているが、まぁ良い。
あとは明日に備えて寝るだけだ。
風呂も入り、いざ寝ようというところでメールを受信した。
メールの送り主を確認する。鵡川だった。
英雄君! 明日応援に行くね! 頑張れ!
可愛らしい絵文字も織り交ぜつつ、俺にエールを送る鵡川の文面。
思わず顔の筋肉が緩み、口元がほころんだ。
ありがとう
ここまで文章を打ったところで、一度悩んでからメール画面を閉じて、通話画面を開いた。
アドレス帳から鵡川の名前を探し出して、鵡川に電話をした。
数度のコールの後、電話は繋がった。
≪もしもし? どうしたの英雄君!?≫
慌てたような鵡川の声。
「いや、メールありがとうと言いたくてな」
≪あ、そうなの…でも、どうして電話? メールでも良いと思うんだけど…≫
「確かにメールでも良かったんだけど、こういうのはしっかりと感謝しときたくてな。それに…」
鵡川は俺にとっての勝利の女神みたいなもんだし、メールよりも声聞いたほうがパワーになるかもと思ったんだ。
まぁここまで口にしたら、間違いなくキモイので口にはしない。
≪それに?≫
「いやなんでもない。明日30度超えるらしいから、熱中症には気をつけろよ」
≪うん。英雄君のほうこそね≫
「あぁ」
電話越しに軽く会話をし終えて通話を切った。
「英雄、誰と電話してたの?」
ユニットバスから顔を出す哲也。ちょうど歯を磨いていたところだ。
「それは乙女の秘密だ」
「…英雄は乙女じゃないでしょ」
俺の回答に呆れる哲也。
哲也の視線から逃れるように、俺はテレビへと視線を向けた。
テレビはちょうど、ニュース番組のスポーツコーナーへと突入したところだ。
≪さぁいよいよ明日から全国高等学校野球選手権大会が甲子園でおこなわれます! 清水さん! 今年もこの季節がやってきましたね!≫
≪そうですね! 私も高校球児のハツラツとしたプレーを見るのが毎年楽しみなんですよ!≫
女子アナとコメンテーターが、大げさに高校野球の話題に切りかえている。
番組内のコメンテーターやアナウンサーなどが少し高校野球の話題で盛り上がったあと、本題に突入した。
≪さて、明日の対戦カードはこちらになります≫
そうして映像は明日の対戦カード三試合が映される。
≪明日の三試合は全て、春に甲子園を経験した春夏出場校と春夏通じて初出場となる学校同士の対決となります≫
女子アナの言葉を聞いて、確かにそうかと初めて気づいた。
明日の第一試合は和歌山の弁天学園紀州と新潟の越後農業、第二試合は我が校と城南、第三試合が阪南学園と函館実業。
弁天学園紀州と城南、阪南学園は春夏連続出場校であり、越後農業、函館実業、そして我が校は春夏通じて初めて甲子園出場を果たした学校だ。
だからどうしたというわけではないが、春夏通じて初出場校が三校も揃ったんだし、みんなで仲良く強豪破ってダークホースしてぇな。
そんな事を思いながら、俺は明日に備えて就寝するのだった。




