194話
翌朝、俺はいつものように朝食を食べる。
「今日から、また英雄とはお別れね」
母上殿がどこか寂しそうな顔を浮かべて俺を見ている。
普段は妹二人を可愛がってばかりの母上だが、やはり息子がいなくなると寂しいものなのだろう。こういう何気ないところで母の愛を感じてしまう。
本当、感謝だな。
「そういや英雄、阪南学園が決勝進出したぞ」
ここで親父殿がニヤニヤ笑いながら話しかけてくる。
そんなに母校の決勝進出が喜ばしいか。いや確かに阪南学園が夏の府大会決勝戦に進出したのは十何年ぶりではあるけどさ。
「もし阪南学園が甲子園進出したら、英雄よりうちを応援するからな」
待て父上、息子より母校を優先するというのはちょっと父親としてまずいのではないだろうか?
「俺は英雄を応援するからな!」
兄上殿は俺を応援してくれるようだが、俺は渋い表情。
「できればその言葉、女の子から聞きたかったな」
「じゃあ英兄! 私も応援するね! 頑張ってね!」
「ありがとう恵那。お前は本当良い子だな」
先ほどの兄には見せなかった笑顔を恵那へと向けた。
それを見て兄上は舌打ちをした。
「本当可愛くねぇ弟だなお前」
「じゃあ今恵那に向けた笑顔を兄貴に向けてやろうか?」
「それはそれでキメェからやめろ」
どっちなんだよ。
こんな感じで我が家の朝の風景を楽しみつつ、朝食を取り終えた。
荷物を片手に玄関で靴を履く。
「英雄、なんかあったら電話しなさいよ」
「はいよ」
母上はめちゃくちゃ心配している様子。
山田高校の合宿所に行く時はここまで心配されなかった。やはり近所の学校と大阪のホテルでは距離が違うからだろうか?
普段はここまで心配されないから、こっちまで不安になってくる。
「そこまで心配するなよ母ちゃん。英雄がホームシックで泣くかよ」
そういってガハガハ笑う兄貴。
事実を言われているのだが、なんか腹立つ。
「英兄、甲子園楽しんできてね」
「おぅ恵那。お前は本当可愛い妹だ。それにくわえて…」
千春の野郎、見送り一つしてこねぇ。
いや玄関まで見送りにきたの、母と兄と恵那の三人で、父上と千春はまだリビングにいるのだが、千春の奴、一度も俺に頑張れなんて言わなかった。
まぁ思春期の妹だし、これぐらいが普通なのかもしれんが、なんかお兄ちゃん的には悲しい。
それとも今は恭平に夢中なのだろうか? …それはそれでお兄ちゃん的に悲しい。
「まぁいいや。それじゃあ行ってきます」
立ち上がり、一度三人のほうに振り向いてから、俺は笑顔でそういった。
「行ってらっしゃい」
「おぅ! 楽しんでこいよ!」
「行ってらっしゃい英兄!」
三人の言葉を耳にしてから、俺は自宅を後にした。
朝の山田市街地を歩く。
まもなく訪れた十字路。信号待ちをしながら、何気なく左折方向へと視線を向ける。
すぐそこには山田駅のロータリーと駅舎が見える。
駅舎にかけられた巨大な白い垂れ幕には「祝!山田高等学校甲子園出場!」と赤い文字で書かれている。
甲子園出場が決まった翌日から、山田市内では大きな盛り上がりを見せている。
市役所にもおんなじ感じの垂れ幕が垂れ下がってたし、駅前商店街では山田高校県大会優勝セールなんつうものまで実施していた。
佐和ちゃんの話だと、山田高校卒業生からの寄付金よりも、市民からの寄付金のほうが多かったらしい。
それだけ我が校は注目されているということなのかもしれない。
今まで地域密着型の文化祭を催したりしたおかげで、市内にある他の高校よりも我が校は市民から親しまれてるのかもしれんな。
やはり甲子園でも無様な試合はできないな。負けるにしても納得できる負け方をしないと…。
まもなく山田高校に到着した。
ここにも「祝!野球部甲子園出場!」の垂れ幕が掲げられている。
校長が夏の大会開始前から用意していたと言っていた垂れ幕だ。あのまま敗れて倉庫入りしなくて良かったよ。
そしてその垂れ幕の下あたりで部員たちが集合していた。
部員たちだけじゃない。
野球部を見送りにきた生徒や商店街の人、OBなんかが、かなり居た。
そんな中で俺の登場に商店街の人々や生徒が歓声をあげた。
「英雄ぉ! てっぺん取ってこいや!」
「優勝旗持って帰ってこいよ!」
そんな中で男友達が俺に激励を送る。
それに応えるように爽やかな笑顔を浮かべながら左手を挙げる。そして何故か女子からの黄色い歓声が上がる。
「英雄てめぇ! 負けてこぉい!」
「ピッチャー強襲受けて死ねやオラァ!」
さっきまで激励を送っていたはずの男友達が俺を罵倒してくる。酷い。
甲子園から戻ってきたら覚えておけよテメェら。
「英雄!」
男友達からの心無い罵倒にしょんぼりしていると沙希と鵡川がやってきた。
「おぅ沙希と鵡川か」
「頑張ってね!」
「英雄君! 頑張ってね!」
「おぅ、任せろ」
二人からの声援に俺は笑顔で頷く。
俺の笑顔を見て照れる沙希と天使の微笑みを浮かべる鵡川。相変わらずあざとい笑顔だな鵡川梓。
「そういや鵡川。良ちんはどんな感じだ?」
「良平? やっぱり悔しがってたよ。でも、自分なりに気持ちの整理はついてるみたい。今はもう大学のセレクション受ける準備を始めてる」
「大学のセレクションって、あいつ大学志望なのか」
セレクションとは、大学野球のチームによる入団テストと言うか、大学側が良い選手を見つけるための合同練習会みたいな、そんな感じのやつだ。
これに合格した選手は、大学にスポーツ推薦で入学できる。
「うん、英雄君に負けたのが理由かは分からないけど、大学行ってからプロ目指すって」
「マジか」
正直、良ちんのバッティングならドラフトで選ばれる可能性は高いだろう。
確かに実績はイマイチだが、二年の夏に甲子園出場しているし、高校通算本塁打は20本を越えている。野球名門校斎京学館で二年から四番を任されているし、スカウトの目にも止まっているはずだ。
それを蹴ってまで大学進学か。自分にはまだ何かが足りないと思ってるのだろうか?
「まぁ良ちんなら、六大学とか東都とか、有名なリーグの大学にいけそうか」
「うん、だから良平の事は心配してない。英雄君のほうはちょっと心配してるけど」
そう言い切った鵡川は照れたように笑う。
なんだそのあざとい発言は? 言っとくがこの程度で落ちるほどのやわな男じゃないからな俺は? プロの童貞なめんなよ。
「ふふっ、杞憂だぞ鵡川。安心しろ、優勝旗はちゃんと学校に持って帰ってやる」
最近覚えた言葉を交ぜつつ、男らしく豪語する。
それを聞いて鵡川は嬉しそうに笑った。
「ちょっと英雄、なに鼻の下伸ばしてんのよ…」
一方で沙希が機嫌悪そうな声で言ってきた。
あれ? 俺鼻の下伸びてた?
しばらくして、佐和ちゃんが到着し、バスも到着した。
最後に佐和ちゃんの指示のもと、野球部員が一列に整列し、哲也の号令のもと、見送りに来た人々に感謝の言葉と優勝旗を必ず持って帰ってくることを宣言し、選手一同深々と頭を下げて、バスへと乗り込んだ。
まもなくバスが出発する。窓を閉め切った車内からでも、外からの応援の声が耳に入る。
今日も朝っぱらから暑く、夏真っ只中だというのにこうして見送りに来た彼らに感謝をしつつも、期待に応えられるよう覚悟を改めた。
当然、誰もが覚悟を入れ直し、顔を引き締めている。
「へへへ、千春ちゃんのお守り…うへへ…」
…訂正、一人を除いてみんな覚悟を入れ直している。
あの野郎、マイシスターからお守りもらいやがって、あとで覚えとけよクソが。
宿泊地となる大阪へと向かうバスの車内では、甲子園へと向かうと言う緊迫感ある空気は無かった。どこか修学旅行に行くような柔らかい浮ついた空気に近い。
その中で、龍ヶ崎や哲也なんかは結構気を引き締めている。のだが、龍ヶ崎は岡倉と話しているせいか普段よりも柔らかい。
一方の俺はもう浮つきまくっている。恭平とバカ話しては大笑いをしてしまう。
「英雄、今日で49代表そろうね」
「ん? あぁそうだな」
そんな合間でも哲也と野球の話題は欠かさない。
本日、大阪と愛知で決勝戦がおこなわれる。どちらも降水確率は低く、雨天順延はまずないだろう。
大阪は、春の近畿大会優勝校愛国社と選抜準優勝校であり我が父上殿の母校阪南学園の対決。
前評判では阪南学園が有利とされている。現に阪南学園は準々決勝で同じく選抜出場校であった河内桐蔭をコールドで破るなど、近年の弱体化イメージを払拭する力を見せつけている。
戦力差から見ても阪南学園が来るのはまず間違いないだろう。
愛知は、甲子園最多優勝記録を持つ中宮大梅村と、昨夏の甲子園優勝校愛翔学園の一騎打ち。
こちらはどっちが勝つか分からないぐらい予想が分かれている。
どっちが勝ち上がってきても甲子園上位に食い込んでくるのは確実だろうな。
「どこも強そうだね」
今まで決まった出場校一覧を見ながら、哲也は苦笑いを浮かべた。
北北海道代表武翔館から沖縄代表浦添水産まで、どこも名のある強豪ばかり。
初出場校は我が校を含めて7校。それ以外は夏の甲子園に最低3回は出場経験がある強豪ばかり。
確かに哲也の言うとおり、どこも強そうだ。
「初戦、どこが良いかな…」
「決まってんだろ。選抜優勝校の隆誠大平安だ」
「あはは、英雄は相変わらず強気だね」
俺の答えに満足している様子の哲也。お前も野球の時だけは結構強気な性格してるよな?
隆誠大平安を選んだのはもう一つ理由がある。
楠木将成。隆誠大平安のエース。
そして…小学生の頃、全国大会決勝戦で投げ合ったピッチャー。
結果は俺のチームの勝利だったが、ピッチング内容では完敗だった。
奴の名前を聞いて、最近思い出したことだ。
思い出したら腹が立ってきたし、今度はピッチング内容でも勝ちたいと思う。




