181話
三回の表、我が校の攻撃は、秀平の空振り三振から始まった。
ベンチに戻ってくる秀平の表情は悔しさでゆがんでいる。
今の対決、川端は三球連続ストレートを投じ、秀平はその三球全てを空振りした。
秀平のバッティングは悪いわけではない。部内でも屈指の力をもってると思うし、一年生にしては十分すぎるものを持っている。
その秀平をストレート一本のみで抑え込む。改めて川端の凄さを痛感させられる。
現在八番の哲也が打席に入っているが、あいつじゃまず打てないだろう。続く九番誉も間違いなく打てないので、序盤三回我が校はヒット0で終わることとなる。
「なんとか攻略する方法があれば良いんだがな…」
誰かが呟いた。攻略手段の見えぬ相手を前にして絶望感が広がり、自然とベンチの空気が悪くなった。
普段なら恭平が馬鹿なこと言うなりなんなりして、空気を持ち直すのだが、今日の恭平は静かでイマイチ空気が良くならない。
ここは一つ、俺が馬鹿やって場の空気を変えるか?
…いや、この役目は俺の役目じゃない。
この役目は、哲也や龍ヶ崎、大輔、誉だって務まらない。
いつだってこの役目を担ってきたのはあの馬鹿だ。だから今日だってあの馬鹿がやらなきゃ意味がない。
誰かが代わりにやったら、場合によっては今よりもチームの状況が悪くなるだろう。
「兄貴」
ここで耕平君が兄貴である大輔に声をかけた。
グラウンドのほうを見ていた大輔が耕平君へと振り向く。
自然と部員たちの視線が二人に集まった。
「次の回、俺が絶対に出塁するから。…俺をホームに返して」
耕平君の力強い一言。珍しい。
普段はこういう強気な発言はしないのだがな。
おそらく彼なりに場の空気をなんとかしたいという思いからの行動なのだろう。
確かに強気な発言はチームの士気を上げる。
だが果たせなかった時、どれくらい落ち込むだろうか?
失敗すれば、自爆につながる恐れがある。
「そうか。分かった。頼むぞ」
大輔は弟の耕平君に任せる。
お前らな。失敗した時のリスク考えろよな。
「あと俺だけじゃなく、龍ヶ崎と英雄にも頼んどけよ」
いや待て大輔。そうやって俺を巻き込むなよな。
「お願いします! 龍ヶ崎さん! 佐倉さん!」
耕平君も笑顔で頼んでくるなよ。
「分かった」
龍ヶ崎、お前普段こういう自信満々な発言しねぇだろ。
なんで今日だけやる気満々なんだよ。
「あぁ任せろ! 俺がホームに返してやる!」
そして俺も強気発言するなよな?
耕平君の発言から、チームの主軸である俺と大輔、龍ヶ崎の発言へと波及し、自然とベンチのムードは良くなったような気がする。
これで次の回点が入らなかったら、場合によってはチームの空気は現状よりも悪くなるだろうな。
まぁいい。次の回点を入れちまえば良いんだし、気にしなくていいか。
三回の裏、斎京学館の攻撃はあっという間にツーアウトを迎えた。
七番藤江をサードゴロ、八番坂部を空振り三振に打ち取り、バッターは九番鏡原。
カウントは既にワンボールツーストライク。哲也のサインはアウトローへのストレート。
小さく頷き、投球動作に移る。これを抑えて、とっとと攻撃に移る。
ボールを投げる。
アウトローへと真っ直ぐに走るボール。それを鏡原は打ち抜いた。
「あ」
変な声が口から漏れた。
振り返ると既に打球はセンター前へと転がっていく。
センター前ヒット。この試合、両チーム通じて初のヒットだ。
「英雄! どんまい!」
中村っちからの声。
彼だけじゃなく内野を守ってる選手からそれぞれ励ましの声が飛ぶ。
うーむ、ちょっと急いで投げてしまった部分があったかな。よしよし、気持ちを切り替えて次だ。
≪一番センター浅海君。センター浅海君≫
前の打席はストレートとチェンジアップの組み合わせで抑え込んでいる浅海。
初球、ストレートを要求する哲也。まぁそうだな。前の打席、ストレートとタイミング合ってなかったしな。
グラブに左手を入れ、一度一塁ベース上の鏡原を睨みつける。
足も速い鏡原だ。いつ盗塁を敢行してきてもおかしくない。牽制球は入れないが、しっかりと目で牽制しておく。
そこからクイックモーションに入り、左腕を振るう。
外へのストレート。これを浅海は空振りする。
やはりまだストレートのタイミングが合っていないか。
これならもう一球、ストレートを決められるな。
汗をぬぐいながら一塁ベース上の鏡原を睨みつけてから二球目に移る。
二球目もストレート。今度も浅海は空振り。まったくタイミングが合っていない。
テンポよく追い込めた。浅海は悔しげに俺を睨んでいる。かなり頭に血が上ってるな。
なら、次はこれか。
三球目。俺と哲也が選んだのは緩急。低めに決まるチェンジアップ。
浅海は術中にはまり、崩れたスイングでボールを捉えたが、打球はファーストフライとなった。
ファースト秀平ががっちりとボールをキャッチしてスリーアウト。チェンジだ。
四回の表、我が山田高校の攻撃が始まる。
この回からふた回り目。打席には一番の恭平が向かう。
いい加減ヒットを打って欲しいところだ。ここまで我が校はノーヒット。
俺が打たれない限り、試合には負けないが、正直斎京学館を0点に抑える自信は無い。
先頭の恭平は、早速空振り三振に倒れた。
まぁそんな所だろうな。
相手のエースはふた回り目に入って、いきなり打てる程度のレベルじゃない。三回り目でやっと攻略できるかどうかのレベルだ。
「ドンマイ恭平!」
哲也がベンチに戻ってきた恭平を励ます。
恭平はなんとも微妙な表情を浮かべながら、バットとヘルメットを置いた。
「悪い英雄」
「は?」
なんか急に恭平に謝れて変な声出た。
「せっかく頑張って投げてくれてんのに…打てなくて…すまん…」
そういって頭を深く下げる恭平。
いや待てお前、それギャグでやってんの?
「…恭平、それ本気で言ってるのか?」
「当たり前だろ!」
マジかよ…。恭平に頭下げられるとか、スゲェレアなんだけど…。
どうしよう。今日の恭平なんかおかしいよぉ…。
ここで大輔が噴き出した。
「恭平が頭下げるとかありえねぇ」
そういってゲラゲラ笑う大輔。
大輔の笑い声に部員たちも笑いだした。
さらには佐和ちゃんも笑いをこらえている。
「なんだよお前ら! 俺が頭下げんのがそんなにおもろいのかよ!?」
事の発端であるはずの恭平だけがなんか機嫌悪そうだ。
なんだこいつ? なんで頭下げただけでチームの空気を良くするんだ?
マジで場を盛り上げる天性の才能かなにかを持ってるんじゃないか、こいつは?
ベンチが盛り上がる中で、打席には二番耕平君が入る。
先ほどの回で、出塁すると意気込んでいただけで期待がかかる。
「行け耕平! 平平コンビの力見せつけろぉ!」
なんか、やっと恭平の声が出始めたような気がする。
恭平の声がベンチに響きだすと、チーム全体の声が大きくなるような気がする。
四回に入って、だいぶ空気が良くなった気がする。
左打席に入る耕平君の顔は、一塁側ベンチからは見えない。だが背中から打つと言う意気込みはなんとなく感じた。
この打席の耕平君はとにかく粘った。
厳しいインコース攻めでも、カットし、必死に打球に食らいつく。
一球、二球とファールにし、三球目を見送ってボールにしてから、四球目、五球目、六球目と続けてボールをファールにする。
時折ファールにしたあと垣間見える耕平君の表情は、すごく真剣。目を大きく見開き、肩を上下に揺らして呼吸をしている。
それぐらい神経を研ぎ澄ませて集中しているということだろう。
マウンド上の川端は、ファールにされるたびに機嫌悪そうな顔を露骨に浮かべている。
七球目を見送ってボール、八球目をファールにした後の九球目を見逃してボール。フルカウントになった。
一球一球ごとに耕平君はフォームの構えを解いては大きく深呼吸をしている。
「耕平! よく見ろ!」
「ストライクは広く取れぇ!」
ベンチからは耕平君へとエールが送られる。
スタンドからも応援が送られる中、川端が十球目の投球モーションへと入った。
フルカウントから投じられたボールはフォーク。
手元で鋭利に落ちるそのボールに、耕平君のバットは…ついていかなかった。
寸前でバットは出ることなく、止まっている。
「ボールッ!」
球審のここぞとばかりに張り上げた声が、ベンチにまで届いた。思わず歓声と拍手がベンチに起こり、ついでスタンドにも広がった。
我が校初の出塁。これは大きい。しかもランナーは足の速い耕平君。
マウンド上の川端にしてみれば、追い込んでから粘られ、フルカウントになり、最後はフォアボールという一番嫌なパターンだ。
川端を揺さぶるならここ。当然、佐和ちゃんも分かっているはずだ。
佐和ちゃんの選んだサインは、盗塁。
やはり来たか。だが相手のキャッチャーは、全国でも中々お目にかかれないぐらいの肩を持つと噂の藤江。
一歩、一歩と一塁ベースから離れていく耕平君。それをチラチラと確認する川端。
空気が張り詰めている。相手も盗塁が来ると予測している。そんな気がした。
一球牽制が入った。川端のやつ以外に牽制も上手い。だが耕平君は並みのランナーじゃない。
帰塁する技術も、しっかり佐和ちゃんから叩き込まれている。まさに走塁のエキスパートだ。
頭から一塁ベースに戻りセーフになると、すぐさまリードを広げていく耕平君。心なしか先程よりもリードが大きい。さっきの帰塁で、もっとリードできると確信したのかもしれない。
攻めるな耕平君。
見ているだけなのに、こっちまで緊張してくる。
マウンド上の川端がプレートを踏み、サインを確認すると、グラブに右手をいれた。
一瞬の静止の後、クイックモーションに入る。上手いクイックモーションだ。
だが耕平君のほうが一歩早かった。投球フォームに入る直前には走り出していた。完璧にフォームを盗んでいる。
しかし、相手バッテリーもさすが数多くの修羅場をくぐっただけある。盗塁は予測されていて、ボールはウエストされた。
三番龍ヶ崎はキャッチャーを邪魔するように、そして耕平君を援護するようにスイングをした。
乾いたミットの音が響くと同時に、すでに藤江はスローイング体勢になっており、そして一瞬のうちにボールを放った。
低い軌道を描きながら、セカンドベースに入ったショートの奈良のグラブへと向かう。
まさにお手本にしたいぐらいのスローイングだ。
ベースに滑り込み触れた耕平君と、ボールを捕球しタッチする奈良。
ほぼ同じタイミング。
際どいタイミング。判定は…
「セーフ!」
二塁塁審が両手を大きく横に広げた。
その判定に、歓声をあげる我が校のスタンド。
俺は歓声よりも安堵のため息が漏れた。これでワンアウト二塁。得点圏にランナーが進んだ。
龍ヶ崎、最低でも耕平君を進塁させろよ。お前が打てなくても、後ろには大輔がいる。
三番の龍ヶ崎は、二球目のスライダーをライトまで運ぶも、打球はライトの守備範囲。落下点に簡単に入られ、危なげもなく捕球された。
だが、その間に耕平君が三塁へと進み、ツーアウト三塁のチャンスで四番の大輔を迎える。
チャンスでエース対四番の対決再び。
前の打席は三振に終わったが、大輔は試合中に必ず相手ピッチャーを攻略する。あいつの適応力は人間のレベルを超えている。まさに怪物だ。
相手バッテリーも大輔を警戒しているようだ。
そうして数度首を左右に振った川端が選んだ初球。ボールは外へのストレート。
金属バットの轟音が球場を支配したのはそのすぐ後だった。
打席でバットを振り抜いた状態で、打球の行方を確認する大輔。マウンド上の川端は慌てて打球へと振り返った。その様子を確認してから、俺も打球へと視線を向けた。
夏空を穿つように飛んだ打球は、レフトポールの左を大きく逸れていき、最後はレフトのファールスタンドすらも飛び越えて、球場の外へと消えていった。
さすが大輔。アウトコースのボールを、あそこまで運ぶか。打球の破壊力も迫力も全然違うな。
今の一撃で、相手バッテリーは大輔との対決を諦めたようだ。
この後は、一球もストライクが入らず、フォアボールで大輔は歩かされた。
ツーアウト一三塁。先制のチャンス。そして打者は、五番の俺を迎える。
「英雄! エースらしく決めてこい!」
「自分で楽にしろ英雄ー!」
ベンチからは俺へのエールが送られる。
分かってる。ここで決めねば男じゃない。
第一、ここで決めないと、これからの戦いが厳しくなるはずだ。
自分で自分を楽にするために、ここはなんとしても打つ!




