164話
最後のバッターを三振に仕留める。
伊良部三振からのラストバッター三振。先程から歓声を上げ続けていたスタンドは、さらに大きな歓声と拍手を起こした。
両者の選手たちが、ホームベースをはさんで一列に整列する。
笑顔を浮かべる我が校と、涙を目に溜めて悔しそうに口元を歪める丘城高校。
5対2で我が山田高校は勝利をし、無事ベスト4に進出。準決勝へと駒を進めたのだった。
両者が主審の号令に従い、大きく頭を下げて試合終了の挨拶を済ませる。
「ナイスピッチ」
頭を上げて、両校の選手がベンチに引き上げようとしたところで、伊良部が俺を差し出してきた。
目に涙はなく、悔しさで表情歪ませてはいない。むしろ清々しい顔をしていた。
「あぁ」
差し出した右手を、俺は右手で握り締める。
「甲子園行けよ」
「はなっからそのつもりだ」
爽やかな笑顔を浮かべてエールを送る伊良部に、俺は不敵に笑って答えた。
俺の回答を聞いた伊良部は、どこか嬉しそうに頬を緩ませた。
ベンチに戻る前に応援団の前まで走り、俺達は一列に整列した。
歓声、拍手、歓喜に包まれたスタンドを前にして、哲也は一度「礼!」と声を張り上げ、それに従うようにベンチ入りメンバー18人が脱帽して頭を下げた。
「ありがとうございました!」
そして感謝の言葉。
拍手がまた起きた。鳴り止まない拍手と歓声に、俺たちは頬を緩ませた。
「おぅ英雄。お前、いつからフォークなんて覚えたんだぁ?」
試合後、佐和ちゃんがニヤニヤ笑いながら聞いてきた。
佐和ちゃんの言うとおり、伊良部に投げたのはフォークだった。
「広島東商との練習試合の後ですよ。あの時、自分に力が無いと思ったから変化球を覚えようと思ったんですよ」
丁寧に佐和ちゃんに説明する。
フォークは下に落ちる変化球だ。これまで横の変化のスライダーと緩急差のあるチェンジアップ、手元で曲がるカットボールを投げていた俺だが、下の変化のボールは投げれなかった。
だから覚えたとも言える。フォークを自在に投げれれば、投球の幅は大きく広がるだろう。
それに、メジャーリーグではフォークを多投しないと、前にどっかで聞いた覚えがあるからだ。
メジャーリーグではあまり投げないと言う事は、フォークの軌道を知らないと言う事。つまりメジャーリーグでも決め球として使える可能性が高い。
あとは単純に決め球で最初に浮かんだのがフォークだった。
フォークを覚えると決めてからは、哲也と話して一日に30球程度だが、練習していたわけだ。
まぁ実戦ではこれが初めて。上手い具合に落ちてくれて助かったぜ。
「ほぉ、なんにせようちの子がどんどん成長するのは見ていて楽しいものだな」
いつから俺は佐和家の子供になったんだ?
ダウンのキャッチボールを終えて、球場の外に出る。
ダグアウトを出ると、応援団が出待ちしており、拍手と暖かい声援で戦士達を迎え入れた。
いつもの事ながら、この瞬間が一番勝って良かったと思える。
ここから見える応援団の奴らの顔はみんな笑顔だ。俺たちの野球で笑顔を作れるなら、それは嬉しい事だ。
ここでも応援団に一礼して、少しの自由時間。
俺は哲也に背中を押される中、柔軟体操をこなす。
「英雄、今日のフォークボールなんだけど」
「完璧だったろ?」
「…ごめん、アレはただ落ちただけだったよ」
自分では中々良い球投げれたと自信あったんだが、キャッチャーの哲也からはダメ出しをもらった。
「伊良部が初見で、しかもボールを見えてなかったのが救いだったね。正直、今日のボールじゃまだまだ決め球で使うには不安かな」
哲也の酷評。
いや分かってる。正直俺もあのフォークボールは無かったと思うわ、うん。
やはり練習と実戦では感覚が違うな。
まぁそれはおいおいと調整すればいいか。これからも長い付き合いになる変化球だろうしな。
「佐倉」
哲也に背中を押されている所で声をかけられた。声のほうへと視線を向けると、そこには伊良部竜平が立っていた。
顔は笑っている。だが目元が赤い。おそらく一礼したあと涙をこぼしたな。まぁそこに言及するつもりはない。
彼の手には千羽鶴の束がある。
立ち上がり、伊良部と向き合った。
「今日は俺の完敗だ。最後にフォークを投げられるとは思わなかった」
「うっせ、こっちはホームラン打たれてんだ。1勝1敗だ」
俺の言葉に伊良部は「まぁな」と言って笑った。
「あぁこれ、うちの分と俺たちが破った学校が作った千羽鶴の束だ。受け取ってくれるか?」
そういって俺の前に差し出した千羽鶴の束。
ちなみに我が校にも同じものがある。同じものというのは語弊があるが、うちでも応援団が千羽鶴の束を作っており、俺たちが破ってきた学校のも貰っている。
「受け取り拒否するほど、俺も悪魔じゃねーよ」
軽口を叩きながら、俺は千羽鶴の束を受け取った。
ずしりと重い千羽鶴の束。
県大会上位を目指し、甲子園を夢見て、全国制覇に憧れて、そして敗れ散った高校球児たちの、応援団の思いのこもった千羽鶴。
重量以上の重みを確かに受け取った。
「俺らの分まで頑張ってくれよ」
「ああ。任せろ」
俺は力強く頷いた。その言葉に満足したのか、伊良部は歯を見せるぐらいの笑顔を浮かべる。
この野郎、イケメン爽やかスマイルを俺に見せやがったな。
クソ、こっちが勝ったのに負けた気分だ。どうせ伊良部はこの後彼女とか作ってイチャイチャするだろう? …やべぇ、考えたら腹が立ってきた。どんだけ小物なんだ俺。
「頑張れよ」
「お互いにな」
伊良部のエールに俺は笑顔で返す。
そうして彼は、この場を去っていった。
残された千羽鶴の束を見つめる。
奴らの思いもこれで背負った事になる。
無様な試合は出来ない。
「…ってか哲也」
「どうしたの?」
「こういうのって、キャプテンのお前の仕事だよな?」
「あ…」
口元を押さえる哲也。
本当、キャプテンに向いてねぇなこいつ…。
この後、スタンドに上がって第二試合を見る。
ノーシード佐々岡商業とAシード理大付属の試合だ。
「選抜出場校の理大付属か。はたまた県大会屈指のサウスポー風早擁する佐々岡商業か」
実況席に座るアナウンサーみたいな事を口にして、試合を待ち望む中村っち。
俺たちにしてみれば、準決勝の相手だ。じっくりと見たい。
まず理大付属。春の選抜甲子園出場校。秋の大会で俺を苦しめた学校だ。
昨秋は勢いで甲子園出場まで上り詰めた印象だったが、ひと冬越し、センバツ甲子園を経験したおかげか、今大会の理大付属はAシードに違わぬ実力を持っている。
大会前、選抜で投げたエース松尾が負傷し、今大会は二年生ピッチャー吉岡が主戦投手となっているのだが、中々粘り強いピッチングを見せている。
右のサイドスロー。最速は131キロ。スピードよりもコントロールを重視したタイプの技巧派。
二回戦丘城大宮を2失点、三回戦創育学園を1失点でどちらも完投勝利を収めている。
打撃の方は好調だ。
三番内藤、四番鳥越、五番土井のクリーンナップが強力で、選抜甲子園でもこの三人の活躍が目立った。
今大会でもバッティングの調子は良い。
さらに今年入学したばかりの一年生赤沢もバッティングが好調だ。
下位打線を任されていたが、丘城大宮、創育学園と二試合続けて長打を放っており、今日の試合では六番バッターまで上がってきている。
投打ともに安定した強さを誇っており、優勝候補の一角であるのは間違いないだろう。
対する佐々岡商業。
昨夏はベスト8、昨秋、今春は県大会に出場も果たしている。ノーシード校ではあるが実力は確かだ。
エース風早は大会前から今大会屈指の好投手と評判だったサウスポーで、今大会は彼の好投で勝ち上がっている感が否めない。
一回戦酒敷、二回戦山田商業、三回戦Bシード丸野と全試合で登板し、全試合完投勝ち。許した失点はわずか2点のみと、安定した投球結果を見せる。
一方でバッティングの方では、四番の馬場が活躍している。
初戦酒敷戦で逆転ツーランホームラン、三回戦丸野戦では三本のツーベースヒットを放っており好調。
理大付属のような横綱野球は出来ないが、小ワザを駆使したスモールボールを持ち味としている学校。
両者のどちらが勝ち上がっても、準決勝で苦戦するのは間違いないだろう。
「どっちが勝ち上がると思う?」
「理大付属が良いよなぁ。リベンジ戦してぇ」
目の前で亮輔と耕平君が話している。
「大輔はどっちと対戦したい?」
俺も隣に座っている大輔に聞いてみる。
「強いピッチャーがいるほうと対決したいな」
おっ俺と同じ考えだな大輔。
俺も強いバッターがいるチームと対決したい。
そりゃ去年の秋、さんざん嬲られた理大付属と再戦もしたいが、佐々岡商業の馬場とも対決したいし、風早とも投げ合いをしてみたい。
先攻佐々岡商業、後攻理大付属で試合が始まった。
試合は両者一歩も譲らぬ展開で進んでいく。
佐々岡商業の風早は快投を演じ、理大付属の吉岡は毎回ランナーを背負いながらも粘り強いピッチングで乗り切っている。
七回まで終わって1対1と引き分け。
八回の佐々岡商業の攻撃へと移る。
「どちらも戦力は互角だな」
俺の後ろの座席に座り、試合を見ていた佐和ちゃんが呟く。
確かに、総合的に見れば戦力は拮抗していると思う。
どっちが勝利してもおかしくない状態だ。
「それでも、理大付属がやはり一歩先をゆくか」
さらに佐和ちゃんは言葉を続けた。
「英雄、理大付属と佐々岡商業の差はなんだと思う?」
ここで俺に質問を投げかけてきた。
いや急に聞かれてもわかんねーよ。
「記録員が女か男かですかね?」
腕を組み、神妙な顔を浮かべて言ってみる。
ちなみに佐々岡商業は男、理大付属は女が記録員としてベンチ入りしている。
なんか後ろから深い溜息をつかれたが無視だ。
「試合経験と監督の差だ。もうちょい頭を働かせろ英雄」
なんか説教されたが、大体急に質問をしてくるそっちが悪い。
こちとら、試合での疲れと岡倉の弁当を食って、満身創痍なんだよ。
「理大付属は選抜も経験している。そういう経験は、こういう接戦で生かされる。甲子園に立った、甲子園で野球をしたという結果は、精神的に優位に立てるからな」
佐和ちゃんが優しく俺にレクチャーしてくる。
それを俺は黙って耳にする。
「次に監督の差。理大付属の監督の長尾さんは、御年61歳。昭和期から県内の公立校を転々としながら監督を務め、甲子園に何度も出場している。そして数年前、理大付属の野球部監督として招聘された」
佐和ちゃんの説明を耳にしながら、俺は試合を見る。
八回を迎えても、吉岡のピッチングは安定しているが、疲れは見え始めている。佐々岡商業は後ひとつ追い詰めれば、吉岡攻略ができそうだ。
「打倒三強を掲げる理大付属に、試合巧者の長尾さんが組み合わさった結果、今年の選抜出場だ。丘城のようにどんなに優れた選手を揃えようとも、それを扱う監督に能力がなければ、宝の持ち腐れだ。そういう意味では、設備を整えるより優れた監督を招聘した理大付属は賢い選択をしたとも言える」
佐和ちゃんの言いたいことは大体わかった。
ようは、監督ってのはスゲェ奴だから、お前は持って俺を敬えって言いたんだろう? 絶対にちゃん付けはやめないからな。
「監督の差は今に現れる。そうだな。裏だ。八回の裏に理大付属は間違いなく得点をあげるだろう」
まるで未来予知したかのように佐和ちゃんは自信を持って答えた。
これで無得点で終わったら腹抱えて笑ってやろう。
さて佐和ちゃんが得点が入ると言っていた八回の裏の理大付属の攻撃となった。
佐々岡商業のマウンドには依然エースの風早があがっている。
県内一二を争う好投手、今大会屈指のサウスポーと評される風早。最速145キロのストレートと大きく曲がるカーブの組み合わせで相手打線を抑えるピッチングスタイル。
俺という怪腕が同じ県にいなかったら、間違いなく大会ナンバー1左腕と呼ばれていただろう。
その風早は、この回理大付属の打線に掴まった。
それはまるで佐和ちゃんが予測していた通りに打ち込まれた。
結局この回5失点して途中降板。
あっという間の出来事に、俺は正直驚きを隠せていない。
「どうだ? 言うとおりになっただろう?」
後ろから佐和ちゃんの声が聞こえる。
おそらく顔は今頃ぶん殴りたいぐらいのしたり顔を浮かべていることだろう。
「どうして打ち込まれると分かったんだ佐和ちゃん?」
顔は見ずに聞いてみる。
「理大付属ははなっから終盤で勝負をかけるつもりだった。現にバッティングではバントの構えをするなど揺さぶりをかけたり、どのバッターも追い込まれてから粘ったりしていた」
佐和ちゃんは嬉しそうな声で説明する。
よっぽど、予測通りの試合になったのが嬉しいのだろう。
「待球作戦は好投手を崩すときには有効な作戦だ。球数を多く投げさせ、セーフティバントの構えをしたりして心理的にプレッシャーを与える。そうして摩耗し始めた終盤を狙う。どうだ英雄? 相手がそんな事してきたら嫌だろう?」
「あぁ嫌だ」
即答していた。それぐらい嫌だ。
さすがに毎回毎回バントの構えされたらウザイし、ダルイし面倒くさい。
「つまりそういう事だ。理大付属の選手は相手の嫌がることを嬉々として出来るわけだ。それは監督の長尾さんが指導してきた賜物だろう」
「なるほど、つまり理大付属の選手はプチ佐和ちゃんということですね?」
「英雄、なんか言ったか?」
口が滑ってしまった。
だが言ってることは事実だろう。佐和ちゃんだって俺たちの嫌がることをスゲェ楽しそうに指示してるし。
それにしても、相手の嫌がることをやるチームか。
サッカーやテニス、対人戦のスポーツなら、相手の嫌がる事をするのは当たり前の事だ。
俺も幼少期から野球の監督からそう教えられてきた。
理大付属か。よくよく考えたら去年の秋でも、俺もめっちゃ嫌なことされてたわ。
思い出したら沸々と怒りがこみ上げてきた。試合は6対1で理大付属がリードしているし、次の相手は間違いなく理大付属だろう。
見てろよ理大付属め。準決勝ではボコボコにしてやるからな。
試合はこのまま理大付属が押し切った。
最終回には怪我で離脱していたエース松尾が登板し三者凡退に抑えてゲームセット。
6対1で理大付属が勝利し、準決勝進出。次は我が校と当たることになる。




