145話
7月18日 午後8時。
私、山口沙希は夕飯を食べ終えて、自室で中学からの友人である哲也に電話をかけていた。
英雄に電話しても良かったんだけど、結局、彼には通話する事ができず、逃げるように哲也に電話していた。
「うん、それじゃ…英雄にもよろしく伝えておいて」
そうして少し雑談をしたあと、彼との通話を終えて、携帯電話を胸に抱いたままベッドに寝転がった。
今日の城東高校との試合で投げた英雄。格好良かった。なんか、本当に英雄? って思っちゃうぐらい格好良かった。
今日のピッチングを見て、ますます英雄に恋慕を抱く女子生徒が増えるだろう。そう思うと私は不安になってきた。
英雄は本当に最低な男だ。
鵡川さんや、岡倉さん、藤川さんだって…。英雄に近づいてくる女子はみんな、英雄の事好きなのに英雄は気付いてすらいない。
いつも馬鹿みたいにテンション高くて、場の雰囲気を盛り上げてるくせに、一人になると不安そうな顔を浮かべて…。
「なにが誰にも心配させたくないよ…」
中学時代に英雄に言われた言葉を、私は思わず呟いていた。
自然と、あの日の情景が脳裏に浮かんだ。
中学三年生の学校総合体育大会県大会決勝戦。
野球部はそれまで英雄の孤軍奮闘で勝ち続けた。全打点を英雄が叩き出し、全試合英雄が完封に抑え続けた。
そして決勝戦。その日も英雄が自身で得点をあげて、最終回まで1点のリードしていた。
しかし、最終回に英雄は一つのミスから崩れて敗北した。
英雄は、試合後落ち込む選手達に「お前らは悪くない! 悪いのは俺だ! だから落ち込むなよ!」なんて笑顔で言って、選手達を励まし続けていた。
翌日の学校でも、英雄は未だに落ち込んでいた選手達を元気づけていた。
お前達はは悪くないと、悪いのは全て自分だと、試合の負けた原因を全て背負い込んだ英雄。それでも笑顔を浮かべて誰よりも空元気で一日を過ごした。
その日の放課後の事だ。
私が忘れ物を取りに教室に行った時、教室の自分の椅子に力無く座りながら、今にも泣きそうな顔をした英雄が居た。
今でもあの日の英雄の言った言葉を覚えている。
忘れたくても忘れられない、私の初恋を覚えた瞬間。
「あっ…沙希…か…」
教室に忘れ物を取りに行った私に、英雄は気づき、ゆらりとこちらを見てきた。
力無い声、力無い表情、人前で見せていた自信に満ちた顔は無く、不安がらせない笑顔もそこには無かった。
今にも泣きそうな、そんな顔を浮かべていた。
「あ、えっと、ごめん。その…忘れ物取りに来ただけだから…」
普段見せない英雄の表情を見て、私は気まずくなり、しおらしい態度を見せながらそそくさと教室に入る。
「…そうか」
私に対して興味なさそうに英雄は言って、また一人うなだれた。
その普段見せない英雄の表情に気になった私は、忘れ物を探す間に英雄に話しかけていた。
「英雄でも落ち込むんだ」
「まぁな…。だけど、こんな姿、人前じゃ見せられねぇよ。心配かけられたくねぇもん」
そういって 英雄は後頭部を掻いた。
思わず、忘れ物を探す手が止まった。
「負けたのは俺が原因だ。なら、尚更落ち込んでられない。そんな姿見せたらきっと周りは俺を励ます。そんなのは嫌だ。俺は誰かを心配させたくないんだ」
これは間違いなく英雄の本心。
普段の英雄なら、心配されるのは恥ずかしい事だと口にしていただろう。だけど本当は、周囲の人間を心配させたくないと言う思いやりから来ているのだろう。
「それに、試合負けて落ち込んでるのは俺だけじゃない。仲間はみんな打てなかった自分の責任だと思うだろう。そんなあいつらの責任を背負ってやれるのは俺しかいない。現に昨日の試合は、俺が最後抑えれば勝てた試合だ。俺の弱さが原因で敗れたんだ。悪いのは俺だ」
同時に、英雄の異常なまでの責任感の強さを私は感じ取った。
いつもは馬鹿で、アホで、空回りしてるぐらいのハイテンションで、いわゆるこの世は俺中心に回ってみたいな、そんな俺様みたいな奴なのに、実際は誰よりも責任感が強く、陰ながら周りに気を配り、自分が決めた信念は、絶対に曲げない…そんな頑固者というか負けず嫌いというか、ちょっと面倒くさいところもあって…。
だけど、その男らしい一面を見た私は、この時から英雄には惹かれたのだと思う。
「…って、なにお前にこんな事話してんだ俺は…。情けねぇな。…もう帰るわ。沙希も美術部頑張れよ」
「あ、うん」
独り言のように呟いて英雄は立ち上がり、すぐさまカバンを取って、そそくさと教室から出て行った。
夕暮れの教室、一人取り残された私は、今まで見えなかった英雄の本心や男らしい一面を見て、胸がドキドキしていたのを覚えていた。
かつての情景を思い出した今も、胸はドキドキしていた。
あの日見た英雄の横顔。あれほど格好いい英雄を今まで見ていない。
今年の夏、私はどれくらい英雄に恋しなおすのだろうか?
「…あっ」
ここでふと別の事が思い浮かんだ。
そういえば明日の朝ごはんの食材が無いんだった。なんで英雄のことから、こちら側に派生したのだろう? よくわからない。
時刻は8時、まだ近所のスーパーマーケットは開いているだろう。
気分転換に行こう。ベッドから起き上がり、私は財布を手にした。
スーパーマーケットで買い物を終え、店を出る。時刻はまもなく9時。
10時からは熱闘高校野球が始まる。今日の特集は山田高校だと哲也が言っていたし、なんとか見たいなぁ。
「あれ? 山口?」
ふと後ろから声をかけられたので、振り返る。
そこには懐かしい中学時代の同級生が立っていた。
「あっ…加瀬君…」
「やっぱり山口だ! 久しぶり!」
そういって笑うのは加瀬久遠君。中学の頃の同級生で英雄と同期の野球部員。
相変わらず、どこか裏のありそうな含みのこもった笑みを浮かべていて、私はぎこちなく笑顔を返した。
正直、彼には会いたくなかった。中学三年の10月、私は彼に告白され、それを断ったからだ。
放課後、近所の公園に呼び出されて告白された。
もうその頃から英雄の事が好きだったから、「好きな人がいる」と言って断ったが、加瀬君はそれでも絡んできた。
正直加瀬君は苦手だ。彼の笑顔はどこか裏がありそうで怖い。きっと裏なんてないのだろうけど、どうしても私は好きになれない。
結局、彼が龍獄高校に進学すると聞いて、私は龍獄から山田に志望校を切り替えたりもした。
たまに後悔することはある。龍獄高校は美大への学校推薦もあり、美術コースと言う学科もあって、将来絵を描き続けたい私にとってみれば、山田高校よりも絵の道が開けていたと思う。
だけど、やっぱり加瀬君とは同じ学校には通いたくない。それぐらい、私は彼を嫌っている。
「久しぶり! 山口相変わらず可愛いな!」
などと笑顔で言う加瀬君だが、正直言われても嬉しくない。
大体、久しぶりにあった同級生への第一声がこれなのは、どうなのだろうか? 彼は悪い意味で遠慮がないから、どうしても距離を取りたくなる。
「久しぶり…」
「そういや山口って、山田高校に行ったんだよな?」
「うん…」
私は相手が気付くぐらいに、声のトーンを下げて話す。
それでも加瀬君は、積極的に話しかけてくる。中学卒業して三年経った今でも、相手に遠慮せずグイグイ話しかけてくるところは変わっていないようだ。
「じゃあ次は俺の学校と戦うのかぁ~。中国大会優勝チームだし、お手並み拝見と言った所かな? ははっ」
などと言いながら笑う加瀬君。
明らか山田高校を見下している言い方だ。少々ムッとしてしまった。
「あ、そう…」
しかし反論はしない。反論すれば加瀬君と話す時間が長くなる。
私は早く帰りたいし、加瀬君とはあまり会話をしたくない。
ここで沈黙が訪れる。
このまま帰りたいのだが、帰らせないといった雰囲気になっている。
「…あのさ、俺はまだお前の事好きなんだ。…その、付き合ってくれないか?」
急に加瀬君は話し始めたと思ったら、そんな事を言い出した。
え? 久しぶりに会ってそれ言うの? …ごめん、さすがに相手の事考えなさすぎなんじゃないかな?
急な告白に一瞬戸惑ったが、すぐに答えは見つかり、口を開いた。
「ごめんなさい、私は好きな人いるから」
あの頃と変わらず、即答した。加瀬君が嫌だったからと言う気持ちもあったけど、やっぱり英雄の事が好きだし、この思いはブレないから。
加瀬君の顔が、明らか引きつっていた。即答しちゃったし、しょうがないかな…。
「そ、そっかぁ~! んじゃ仕方ないなぁ~!」
空元気に加瀬君は、引きつった笑顔のままで、そんな事を言った。
「あ、そうだ! じゃあ連絡先だけ交換しない?」
「ごめん、私急いでるから」
なおも呼び止めようとする加瀬君にきっぱり一言断り、次の彼の言葉が出てくる前に私は足早でその場を去った。
そのまま急ぎ足で家に帰ったのだった。
加瀬君と別れ、帰宅したのは9時半。
明日の朝ごはんの準備などをしていたら、いつの間にか時刻は10時を迎えていた。
「健太、テレビ変えるよ」
「えぇ! やだよー」
「文句言わないの。だいたいもう10時! 早く寝なさい!」
などと私は言いながら、チャンネルを健太が見ていた番組から、熱闘高校野球に切り替える。
後ろから健太の批判が来たが、軽く受け流してテレビを見る。
≪こんばんわ! 大会5日目を迎え、本日ベスト16が揃いました。今日も青空の下、球児達が甲子園出場をかけて熱いプレーを繰り広げておりました! まずは今日の特集コーナー! 今日は優勝候補、創立初の春の県大会、そして春の中国大会優勝を果たした山田高校の特集です!≫
可愛いらしい笑顔をふりまくアナウンサーの女性が、明るく陽気な声で話していく。
この人、胸が大きいなぁ。
思わず私は、自分に存在しない胸を触る。
せめて、この人の4分の1でも欲しいくらいだ。
…なんか、無性に虚しくなった。
なんて事を考えてると、山田高校の特集へと移る。
≪山田高校は昨年の夏、初戦コールド負けでした。そんなチームが、わずか1年でここまで強くなれたのは、エースの佐倉君のおかげだと、佐和監督は語ります≫
山田高校の練習風景を映しながらも、アナウンサーの明るい声が流れる。
≪ここまで強くなれたのは、限界を決めずに、ひたすら練習をした選手達のおかげです。特に選手の心を動かした英雄が、一番の功労者だと思います≫
画面の向こうで、佐和先生が笑みを浮かべながら話す。
…英雄って、やっぱり信頼されてるんだ。
≪っと語る佐和監督。チームメイトからは…≫
続いて映像は野球部員に切り替わった。
≪英雄はやばいっすね。ハンパないっすよ!≫
そう語るのは英雄の悪友の一人嘉村君。
映像が誰が見てもカット編集されているのが分かった。おそらくカットされた部分は、嘉村君特有の下ネタが連発したに違いない。そう推測できるほど、私の嘉村君への印象は酷いものだ。
≪英雄先輩のおかげでチームの雰囲気は変わりましたね。なんていうか本気で甲子園目指せるかもってみんなが思えるようになったんです!≫
続いて語るのは一つ年下の榛名君。
彼は中学時代から、英雄と仲良くしていた後輩だ。
私も度々、彼と英雄が話しているところを見かけたことがある。
≪監督からも、そしてチームメイトからも信頼される佐倉君。この夏に懸ける想いを語ってくれました≫
そうアナウンサーが言うと、画面に英雄が映る。
…なんか、顔が強張ってる。これまた普段見せない英雄の表情。
凄く見ていて面白い。
≪ここまで来れたのも、佐和監督やチームメイトのおかげです。そんな奴らと、もっと野球をしたいので、目指すは、全国制覇です!≫
凄くぎこちない…。まるでロボットが喋ってるような抑揚のない声だ。
映像から伝わるぐらい、英雄が緊張しているのが分かった。そう思うと笑いそうになる。あの英雄が緊張するなんてね…。
≪全国制覇と語る佐倉君。その佐倉君は、今日の試合で活躍したのか! まずは山田高校対城東高校の試合をダイジェストでお送りします!≫
ブルペンで投げる英雄の姿が映る中、アナウンサーの声が聞こえる。
そして映像は試合へと切り替わった…。
熱闘高校野球も終わり、私は自分の部屋へと向かう。
そしてパソコンを開き、インターネットで「佐倉英雄」と言うキーワードを調べた。
検索結果はすぐに表示された。
「…凄い」
思わず驚きの声が口からこぼれ落ちた。
前よりも検索結果の件数が増えてる。
ニュースの記事から個人ブログ、あらゆるメディアが英雄について取り上げている。
それを見るたびに、英雄がだんだんと遠くなっていくように感じた。
…でも英雄は、ずっと傍に居てくれると約束してくれた。
今は、それに信じるしかない。
「次の試合は20日。明日終業式だし、応援にいけるか」
思わず独り言を呟く私だった。




