125話
屋上へと続く階段を上がり、外へと続く鉄製の重い扉を開けた。
途端、室内のどんよりとした空気は押し出されるように霧散し、外から新鮮な空気が流れ込んで、俺の体を包んだ。
空から降り注ぐ太陽の光は、屋上に反射し目が眩む。
夏の訪れを感じさせるような日の暑さに、俺は思わず嬉しくなった。
フェンスの向こうに広がる一面の青空。まだまだ夏のような空ではないが、深く遠く広がる青空に気分が高揚した。
夏のようなうだつ暑さもなく、ほんのり暖かい風に思わず眠気をそそられた。
どこか空いているベンチはないか? ゴロンと寝転がりたい。屋上を見渡してみる。
…空いてない。ってかカップルが多い。
どこか空いてるベンチは…。あれ? あそこに居るの沙希じゃん。
沙希は自分の特等席と言っていたボロいベンチに座っていた。
「よぉ沙希!」
ベンチに一人で座り、ボーっとしている沙希の頭を軽くはたきながら、名前を呼んだ。
「英雄」
普段なら怒声の一つや二つ飛び出るはずなのに、今日は元気ない声で名前を呼ぶだけに留まった。拍子抜けだ。そして沙希が元気ないのは確実となった。
俺の顔を見ているはずなのに、どこか虚ろな目で見ている。
「てめぇ、さっき俺が喋り終わる前に逃げやがって。ったく、人の話は聞けと親から教わらなかったのかぁ?」
なんて軽い調子で言いながら、俺は沙希の隣に座った。
今度の沙希は逃げなかった。俯き寂しそうな横顔を見せた。
「…英雄は、ここに居ちゃ駄目だよ。もう皆が英雄の事を注目してるんだからさ…。鵡川さんとか、私なんかよりも、もっと凄い人と話したほうが良いよ」
そううつむきながら、独り言のように沙希は話すと、俺の顔を見てほのかに笑った。
なに言ってんだこいつは? まったく、沙希は意味分からんとこでネガティブと言うか、元気がなくなる。そういう病んでるキャラは今のご時世流行らないぞ?
「なにが凄い人じゃ。俺が誰と話そうが俺の勝手だろうが」
「だけど…」
まだ何か言うつもりか。
まったく呆れるぜ。俺がちょっと人気になったからって、すぐしょんぼりするとはな。中学時代、男勝りと呼ばれていた頃じゃ考えられない姿だ。
「だけどじゃねぇよ。俺が誰と話そうが俺の勝手。俺はお前と話したいから話してるんだ」
もう面倒くせぇ。
マジな顔を作りながら、沙希を見つめる。
沙希は理解していないような顔を見せた。
「え?」
「なに不思議そうに見てんだよ。俺は、鵡川とか、お前的に俺に合ってる偉い奴らとも話すかもしれないけど、お前を無視するつもりはなし、これからもお前とも話すし、お前とも遊ぶ」
面倒くさすぎて、ちょっと機嫌悪くなったので、少々怒った口調になってしまった。
だけど沙希は理解していない。乾いた笑いをした。
「…心遣いありがとう。英雄は優しいね。でも、もう遠い存在なんだから、私とは関わんない方が…」
こいつ…。
今、めっちゃイラっときたぞぉ!
ガシッと沙希の手を握った。
「え!?」
当然のように驚く沙希。
先程まで見せていた虚ろな表情から、驚いた表情に変えた。やっと目に生気が灯った。
「うだうだうだうだうだうだ! なに意味わかんねぇ事、さっきからブツブツ言ってんだよ。俺が遠い存在だとか、意味わかんなすぎなんだよ。今俺はお前の手を掴んでる。それでもまだ遠い存在とかいうのか!? えぇ!?」
めっちゃイラっときた俺。声を荒らげて沙希に問い詰める。
その俺の姿に戸惑う沙希。
「…そういう遠いじゃなくて、世間からの注目とか…まるで英雄が芸能人みたいに、存在するけど、触れられない存在みたいな…」
視線を逸らしながら沙希が言う。
まだ言うか。一発平手打ちかましたろうか、おぉ!?
なんなんだよこいつ? 詩人気取りか知らんが、言いたいことあるなら、もっとはっきり言えや!
「触れられない存在って今手を握ってんだろうが! なんだ!? 胸揉まれなきゃ分かんねぇか!?」
さらに声に怒気をこめて口にする。
ここでやっと沙希が顔を赤くさせた。
「む、胸揉むって!! あ、あんた何言ってんのよ!?」
「お前が触れられない存在だとか言ってるからだろうが! 俺は今こうして手を握ってる! 十分触れ合ってんだろうが!」
顔を赤くして慌てふためく沙希に俺は怒声で応対する。
「触れ合ってるって! あんたとはそこまで触れ合ってないっての!」
顔を真っ赤にして意味わからん否定をする沙希。
やっといつもの沙希が戻ってきた感じだ。
そんな彼女をみて、俺はやっと安堵の息を漏らした。
「やっとお前らしくなったな」
「なにが!?」
「そうやって俺の馬鹿に反論するお前が一番だって事さ。こんな感じで良いじゃん俺達」
ここで爽やかな笑顔を浮かべてみる。
沙希が頬を赤くさせたまま視線を逸らす。ふっ、落ちたな。
「…うん」
そうして視線を逸らしながら頷く沙希。
口元は嬉しそうに笑い、彼女の表情にやっと笑顔が戻った。ここでスッと俺は沙希の手を離した。
「うんうん、やっぱりお前の笑顔はすごく可愛いな。いつもそんな笑顔を作ってれば、男もわんさか寄ってくんのにな」
「は、はぁ? か、可愛い…?」
調子外れの声を出しながら、沙希が俺を見てきた。そうして俺の顔を見つめながら、どんどん頬を赤くしていく。
ククク、俺の一言にときめくとは、ちょろすぎるぞ沙希。逆に哲也でもこういう事をすれば容易に沙希が落ちるという事だ。今度哲也に俺と同じことをやるよう指示しておこう。
「そんな言葉を平気で口に出すな! この天然女たらしの馬鹿英雄ぉぉぉぉ!!!!!」
「うおぉ!!」
そんな事を考えてると、沙希が校舎全体に反響しそうな馬鹿でかい声で叫んだ。
「急に叫ぶな! 鼓膜破れる!」
「うるさい! そうやってすぐさま可愛いとか言って…最低! 英雄最低!」
何故だ。何故ここまで罵倒されるんだ?
えっ? もしかしてさっきの発言は失敗だった? 俺に可愛いとか言われたくなかった?
「沙希、言っとくが俺は女たらしの意味を知っている。そしてこれだけは言っておこう。俺は、女たらしじゃない!」
「だから天然の女たらしだって言ってるでしょうが! 自覚ないとか最低! 豆腐の角に頭ぶつけて死ね!」
ギャーギャー喚いて、沙希が逃げた。
一人屋上に残った俺は何とも言えない虚無感に包まれる。
「…豆腐の角に頭ぶつけても死なねーぞ」
そうして独り言のように俺は呟いた。
ともかく、沙希は元気になったようだ。あいつが元気ないと調子狂うし、元気になって良かった。
それにしても天然女たらしか。
哲也にも言われたし、俺って女たらしみたいな性格なのか。
うーん、これは少し言動考え直さないといけないかもなぁ。




