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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
5章 春眠、怪物は目覚める
109/324

108話

 ≪五番ピッチャー佐倉君。ピッチャー佐倉君≫

 場内アナウンスが俺の名前を告げる中、俺は一歩、また一歩と左打席へと入った。


 「英雄ー! 頑張れー!」

 「佐倉君! ファイトー!」

 夏に比べると静かな球場のおかげか、沙希と鵡川の声が聞こえた。

 そうだな。スタンドにあいつらもいたんだ。

 ここで決めなきゃ男じゃねぇって奴だ。


 バットの先をマウンド上の高梨へと向けながら、キッと睨みつける。

 左手は軽く拳を作り、口元に当てて、息を吐く。

 意識を集中させ、ゆっくりとバットを構えた。


 「英雄! 来た球打てばいいんだぞー!」

 一塁ベース付近でリードを取る大輔からのありがたい助言。

 来た球打てばいいとか、さすがに天才発言するぞ大輔。

 まったく参考にならねぇし、これだから天才って奴はダメなんだ。


 高梨の睨みながら、彼の動向を一挙手一投足に気を配る。

 二塁ランナーを一瞥した後、初球をクイックモーションから投じた。


 …あれ?


 高梨の投じたボールを見た瞬間、思わず体が硬直し、そのまま見送ってしまった。

 球審のストライクと言う声を耳にしてもなお、俺は硬直から解けなかった。


 今のボール…嘘だろ?

 一打席目に比べて、目に見えてボールのスピードや勢いが無くなっていた。

 俺は一度高梨へと視線を向けた。肩で呼吸をし、脱帽し額をユニフォームの袖口で拭う高梨。顔中汗ビッショリだ。

 もしかしてあいつ…疲れた?


 そういえば、高梨は今日まで全試合完投していたんだっけ?

 そりゃあ疲れるか。その上耕平君の執拗なファール作戦で見事にお疲れモードの高梨。

 秋の大会後にピッチャー復帰したばかりの高梨にとって、初戦から全試合登板はさすがにスタミナ不足だろう。

 思わず口元が綻んだ。なんだ、これならいけるぞ。



 二球目のストレート。

 依然出所がわかりづらいフォームだが、球威もスピードも無いから、さっきまで感じていた脅威はなくなっている。

 一度構えを解いて、相手ベンチへと視線を向けた。相手ベンチが慌ただしい。っとリリーフピッチャーらしき人物がベンチからキャッチャーと飛び出し、ブルペンへと走る。

 相手も高梨が疲れてきたのに気づいたか。こりゃ、この回までに点取られないと、高梨降板しそうだな。

 この回で高梨を一気に崩す。


 三球目のストレートを俺は打ち抜く。

 打球はファールゾーンへと転がっていく。当然だ。あえてタイミングをずらしているからな。


 四球目、今度はスライダー。だが先程よりも分かりやすい。バットを振り出す直前に止めて見送る。

 ボールはゾーンから外れてワンボールツーストライクとなった。


 ここから俺の巧みなバットコントロールが発揮される。

 今はピッチャーのほうが目立つが、これでもリトルリーグの頃から打順の中軸を任されてきた男だ。バッティングの方も悪くないところ見せないとな。

 五球目、六球目、七球目、八球目と続けてボールをカットしファールゾーンへと転がす。

 高梨の疲れは目に見え、先程よりも肩は大きく上下し、呼吸の乱れも激しい。

 このイニングだけでも、二十球以上投げさせられている。俺でもたまんないな、そんだけ投げさせられったら。


 高梨の様子をうかがう。もうそろそろだな。

 バットを握り直す。これまでよりもしっかりとグリップを握り締める。


 九球目、高梨をピッチングフォームを見た瞬間、筋肉が打つために無意識に動き始めた。

 ついに出所の分かりづらいフォームは崩れ、普通に丸分かりのフォームでボールがリリースされた。しかも放たれた球は失投。打ち頃の甘い球。


 それを俺は豪快に打ち抜いた。


 球場に快音が鳴った。歓声が思わず湧き上がり、打球は右中間へと吹っ飛んでいく。

 センター、ライトの選手が打球を追うが間に合わない。勢いを緩めず、打球は外野の芝生へと落下した。

 それを見届けて、とにかく全速力でダイヤモンドを駆け抜ける。

 一塁ベースを蹴飛ばし、二塁ベースも蹴飛ばして、三塁ベースへと走る。


 「スライ!」

 三塁コーチャーの鉄平が声を張り上げながら、両腕を上下に振るう。

 その姿を見て、俺は三塁ベースに滑り込んだ。

 ベースに触れてからサードの選手が俺の背中にグラブを当てた。

 だが判定は余裕のセーフ。


 ベース上に立ち上がり、尻部分についた砂をはたきおとしながら、センターにある電光掲示板へと視線を向けた。


 数字の「2」が、4イニング目の所に映し出されている。

 タイムリースリーベースヒット。俺は思わず安堵の息を漏らした。


 ≪六番サード中村君。サード中村君≫

 場内アナウンスを聞いて、俺はリードを取る。

 マウンド上の高梨はすでに崩れている。あの様子ならあと何点かは取れそうだ。


 そして初球、中村っちがボールを打ち上げた。

 打球はセンター方向に飛ぶフライ。あの打球ならタッチアップは余裕だろう。俺は一度三塁ベースを踏み、打球を見つめる。

 もうまもなくセンターが打球をキャッチすると同時に、俺はホームへと走り出した。

 センターからの返球は間に合わず、俺は余裕でホームベースへと滑り込む。

 これで3点目。立ち上がり、小さくガッツポーズをしながらベンチへと戻った。


 「ナイスバッチ英雄!」

 「英ちゃんナイバッチ!」

 ベンチに凱旋した俺を部員たちが温かく迎え入れた。

 一方、酒敷商業のベンチはお通夜モードだ。タイムがかかり、ピッチャー交代。先ほどブルペンに入ったピッチャーがマウンドへと走る。

 確か秋の大会でエースナンバーをつけていたピッチャーだ。


 「勝ったな」

 佐和ちゃんが思わず呟いた。

 そういう発言は、時として敗北に繋がるから口にするのやめとこうぜ監督。


 「あとはお前が抑えて勝利だ英雄」

 「…はい」

 ニヤリと笑う佐和ちゃん。

 そうだな。あとは俺が抑えれば勝てるか。まぁ当初欲しかった2点を越える3点を取ったんだ。これで負けたら、さすがに情けない。


 それにしても高梨、佐和ちゃんの言うとおり急造ピッチャーの感じが否めなかったな。

 まずスタミナが足りない。おそらく冬場は走り込みより、ピッチングの技術向上をメインにしていたのだろう。

 さらに、疲れるとフォームが崩れるという欠点。おかげでボールの出所が分かりやすくなり、疲れで球速の低下に伴い、打ちやすくなった。

 高梨のストレートは決して優れたものとはいえない。あのピッチングフォームあってこそのボールだった。

 そのピッチングフォームが出来なくなれば、あとはこっちのものだ。

 まだまだ夏までは時間がある。それまでに高梨は今日露呈した問題点を修正できるかが酒敷商業勝利の鍵になるだろうな。



 我が校は四回にも1点を取り、守備では俺が相手打線を零封する。

 イニングを重ねる連れて疲れが徐々に見え始めたが、土台となる足腰がしっかりしているおかげか、コントロールが乱れたり、甘い球を投げることはなく、八回までに被安打を3本に抑えて最終回を迎える。


 最終回、4対0で俺はマウンドへと上がった。


 「ふぅぅぅぅ…」

 もういい加減疲れた。

 前の回に亮輔と交代してくれと佐和ちゃんに懇願したが「優勝間近なのにエースが何言ってんだ?」と言われて、こうして最終回も上がることとなった。


 「英雄! ラスト三人だ! 気合を入れろ!」

 「あれだったら打たせろ! 俺たち暇すぎるぞ!」

 セカンド誉、ショート恭平のお調子者コンビからの声援。

 あいつらの気の抜けた声に、俺まで気が抜けてしまいそうだ。


 「…よしっ」

 気持ちを切り替えるように、小さく呟いて俺は投球プレートを踏んだ。


 先頭バッターは九番西村(にしむら)が打席へと入る。

 表情はどこか諦めているかのように暗い。

 どうした? 前までの威勢はどこいった?


 俺は淡々とボールを投げ込んでいく。

 もう疲れてきて頭の回らなくなってきた。さっさと試合を終わらせてしまおう。

 あっという間に追い込み、最後はスライダーで空振りに打ち取る。これが今日9個目の奪三振。



 続くバッターは一番の沖田。

 今日の試合、警戒していたバッターの一人。

 九番バッターと違い、闘争心を秘めた表情で俺を睨みつける。

 諦めの悪い奴だが、最後まで試合を投げ捨てない奴と戦うのは楽しい。全力でねじ伏せる。


 初球、二球目とストレートを投じて、沖田のバットに空を切らせた。

 最終回に来ても、俺のストレートは140キロ台を維持している。

 マジで冬場の練習がここに来て発揮されている。さすが佐和ちゃんが考案した練習だ。かなりキツかったが、効果はテキメンのようだ。


 三球目、低め一杯へのストレート。それを沖田は手を出した。

 金属バットから鈍い音が響き、打球はショート正面のゴロ。恭平がその打球を処理してファーストへ。ファースト秀平がキャッチしてツーアウト。



 ラストバッターの二番伊賀が入った。なんとか一矢報いようとしているのか、かなり必死の表情を浮かべている。

 だがこいつでは俺のボールを打てない。ここまで伊賀はノーヒット。その全打席三振。


 一球目、二球目とアウトコース一杯にストレートを決める。どちらも伊賀は手を出せず見送るだけ。

 これでツーストライク。遊び球はいらない。


 哲也が最後のサインを送った。俺は小さく頷くと、一度息を吐いて投球動作に移り、そして最後の一球を投げた。


 ラストはインコース低めへのストレート。

 これを打ちに来た伊賀だが、バットは無情にも空を切り空振り三振。


 試合終了。

 俺は思わずマウンド上で小さくガッツポーズをした。


 「英雄!」

 マウンドへと走ってくる哲也。

 そして抱きついてきた。


 「は!?」

 なに抱きついてきてんだこいつ? お前、ついにそっち系に目覚めたのか…。

 おいおい、いくらピッチャーとキャッチャーがそういう方面が好きな人達から、そういう目で見られていたとしても、俺は嫌だぞ。いくら哲也でも、そういう関係になるのは嫌だからな。


 「英雄! 優勝だぞ!」

 今度は恭平が抱きついてきた。

 は? 優勝?


 マウンドに選手たちが駆け寄ってくる。

 優勝? あぁ、そうだったか。今日決勝戦だったか。

 やべぇ、試合中に忘れていた。


 つまり俺たちは…春季県大会で優勝して、地方大会出場できるのか…?

 それって…。


 「うおおおおおおおおおおお!!」

 思わず雄叫びをあげてしまう俺。

 歓喜に包まれる選手たちの中でも一際大きな声を張り上げてしまった。


 こうして俺たちは4対0で酒敷商業を下し、地方大会、春季中国地方大会出場権を獲得したのだった。

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