103話
今日は春の県大会準決勝。
第一試合は我が校と荒城館の試合。第二試合は酒敷商業と理大付属の一戦となる。
さて試合が始まった。
一回の表、荒城館の攻撃。
一番バッターは、秋の地区予選の時と同じバッター。前よりも体格が一回り大きくなったように見える。
俺はマウンド上でバッターと対面する。あの時は初球のアウトコースへのストレートをいきなり打たれてヒットにされたっけか。
哲也のサインを確認する。アウトコースへのストレート。
あの野郎、いきなり打たれたコースをご所望か。顔は中性的な癖に随分と男臭い強気なリードをしてくるな相変わらず。嫌いじゃないけどな。
良いぜ、この冬で俺が大化けしたことを見せてやる。
初球を投じる。
左腕から放たれたストレートは、最速149キロを出し、150キロを肉薄するスピードまで出している一球。
その一球に、バッターは打ちに来た。
だがタイミングが合わず空振り。振り終えて悔しげに表情を歪ますバッターに、思わず頬を緩ませそうになった。
今日の調子は絶好調。
昨日の試合の疲れがまるでない。おそらく佐伯っちのマッサージのおかげだろう。
この試合終わったら、ジュースの一つや二つおごってやらないとな。
一番バッターは続くカットボールをつまらせてサードゴロ。
次の二番バッターは追い込んでからのチェンジアップにタイミングを崩し、ボテボテのセカンドゴロに倒れた。
ツーアウトで迎えた三番は、初球のストレートを打つも力負け、レフトフライに仕留めた。
上々の立ち上がりだ。早速攻撃と行こうか。
荒城館の先発は、昨日と同じエースナンバーをつける津郷。
昨日対戦した岡野に比べれば、かなりピッチャーの格は劣る。十分大量得点も狙えるだろう。
っと思ったが、一番の恭平がいきなり空振り三振に終わる。
切り込み隊長の不調の波に煽られたか、続く二番耕平君はショートフライ、三番龍ヶ崎に至っては空振り三振と、まさかの無安打で終わってしまった。
マウンドへと走る俺。津郷は対して凄いピッチャーじゃないが、斎京学館抑えたりしてるし、なんか持ってるのかな?
球速以上何かを持ってる? うーん、こればかりは打席に入らないと分からないか。
さて二回の表、荒城館の攻撃。
右打席に入るのは、この回先頭の四番遠藤。
こいつは昨年の秋に、俺から満塁ホームランを打ったバッターだ。打たれたのは、甘く入ったスライダーだったはずだ。
昨年の借りは返しておかないとな。俺の気分が晴れない。
ロージンバックを軽く触れてから、プレートを踏む。
哲也のサインは、アウトコース低めへのスライダー。昨年、俺が打たれたコースだったはずだ。
相変わらず、強気なリードが目立つな哲也。そんなんだから、俺と組むとポカスカ打たれるんだぞ?
でもまぁ、そのリードは好きだ。
これだから哲也とバッテリーを組むのが止められない。
思わず笑ってしまいそうなのを堪え、集中する。
一度息を吐き、一拍の間合いを置いてから、投球動作へと移った。
打たれるかもと不安になったり、抑えてやるなんて意気込むこともせず、無心で哲也のミットだけを見つめ、腕を振るいボールを投げ放つ。
遠藤のバットが動く。秋のあの日、スタンドまで運んだ強烈な一撃は、空を切った。
視界に空振りする遠藤の姿が映る。
まずはワンストライク。哲也から返球されたボールを受け取り、再び左手の上に乗せた。
二球目。今度はアウトコース低めに決まるストレート。
俺は頷き、いつものテンポで球を投じる。
放たれたボールに、遠藤は遅れてバットを振るも、タイミングが合わず空振り。
スイング自体は悪くないが、対応力が鈍い。
そんなんじゃ、ブンブン振り回すだけのバッターに過ぎないぞ。
これで追い込んだ。
そして三球目。
遊び球のサインはない。哲也は三球勝負でカタをつけるらしい。
いい度胸だ。本当好きだぜ、哲也のリード。
俺は哲也のサインを見て頷き、一つ息を吐いて間を置いてから、ピッチングフォームへと移行する。
意識は哲也のミットへ。もうすでに、視界は一点に哲也のミットだけを見つめる。
研ぎ澄まされた神経が、わずかな筋肉の動きすらも捉え、正常に動いていると判断する。
バネのように筋肉は伸縮し、ひとつの白球を投じるために、体全てのエネルギーが、足、腰、左腕、左手へと伝っていき、最後に指先に掴まれた白球へと送り込まれる。
指先から離れるその一瞬まで、自身から生み出した力を余すところなく込めるように、指先でボールを前へと押し込んだ。
左腕を振り抜く。そこから放たれる白球は、相手の体を貫くように、インコースを抉った。
遠藤はタイミングすら取れず、そのまま見送る。
目を見開き、硬直する遠藤。俺も投げ終えた姿勢で審判の判断を見守る。哲也もミットを一つ動かさず、ただ判定を待つ。
「……ストライィィィク!」
ここぞとばかりに球審は、一つ溜めを作ってから、声を張り上げ、右手は天へと突き上げられた。
空振り三振。思わず俺は左手で、小さくガッツポーズをしていた。
打席で唖然と立ち尽くす遠藤。マスク越しからでも分かる哲也の笑顔。
約8ヶ月ぶりの借りは、しっかりと返させてもらったぜ。
今日は打たれる気がしない。あとは大輔が打ってくれれば、試合に勝てる!!
大輔のバットから、快音が鳴り響いたのは六回だった。
一死一二塁の場面で打席に入る大輔は、今日2打数2三振。
津郷、やはりなんかを持っているらしい。あの大輔から2打数2三振など、さすがにマグレとか運が良いだけで出来る所業じゃない。
だが大輔は、打てていないことをまったく気にしていない。
今だって、気だるそうな表情を浮かべて打席に入っている。
いつだってそうだ。大輔は欲がない。四番として結果を残さなきゃとか、ホームランを打ちたいとか、そういった欲がまったくない。
だからこそ、いつだって自然体で打てるし、練習で出せる力を試合でも存分に発揮している。たとえ打てなくてもスランプに陥らないし、本当凄い奴だ。
その大輔は初球のカーブをいきなり打ち抜いた。
別に甘く入った訳ではない。どちらかと言えば、打ちづらいコースだっただろう。
それを平然と打ち抜き、平然とスタンドまで運んだのだ。
歓声に沸くベンチ、スタンドの方からも歓声が上がった。昨日のホームランよりも歓声が大きい。心なしか観客の数も昨日よりも増えている気がする。
大輔のホームランを待っていたかのように、スタンドのほうではカメラを手にして撮影しているように見えた。
ダイヤモンドを悠々と回る大輔を、一塁ランナーの龍ヶ崎、二塁ランナー恭平とともに、ホームで迎え入れた。
「ナイバッチ! 良くあんなカーブをスタンドまで運んだな」
戻ってきた大輔に開口一番言い放った。
普通狙うならストレートとか失投だろうが。なんであんな完璧なカーブを打つんだか。
「いや別に、来た球をヒットにしてやろうと思って振りぬいたら、スタンドまで行っただけだよ」
なんでさも当然と言わんばかりの表情を浮かべてるんだお前は。
それ、まず常人じゃ不可能だからな? 大体、ホームラン打つ事だって珍しいんだぞ?
それを平然と、当たり前だと言わんばかりに口にする。
やはり、こいつは天才なんだろうな。それも俺よりも凄い天才だ。
天才だからこそ、常人の苦労を知らない。常人が辛いと思った事を辛いと感じない。自分が出来ることは誰でもできると信じて疑わない。
きっと大輔は人に教えるのには、向いていないタイプだろう。
俺も天才だと自負しているが、ここまですげぇ才能見せ付けられたら、嫌でも認めるしかない。
大輔は怪物だ。俺なんかよりも数倍上の怪物。
こんな奴が同い年で、しかも同じ学校で、その上親友と来る。
さすがに出来すぎだ。もうそろそろ、どっちか片方が死んじまうんじゃないか?
「バーカ、怪物すぎんだよお前」
大輔の肩を軽く殴りながら、俺は笑顔で浮かんだ黒い感情を吐き捨てた。
「英雄には負けるさ。あとは頼むぞ」
「おぅ」
怪物様に認められている以上、期待通りのピッチングをしてやらんと、天才の称号が廃るってものだ。
さて、もう一人の怪物である俺の、六回までの投球成績。
被安打1の四死球1で無失点。奪三振は毎回の8奪三振だ。十分すぎるピッチングをしているが、まだまだ足りない。
疲れはまだ無い。佐伯っちのマッサージのおかげとしか言い様がないだろう。
まさかマッサージ一つでここまで疲れの差が出るとはな。今度から毎日佐伯っちにマッサージしてもらおうかな?
とにかく、この試合を終わらせよう。
大輔が得点を入れてくれたし、あとは俺が抑えるだけだ。
その後も、俺は危なげの無い投球を続け、最終回を迎えた。
3対0で迎えた九回、いきなり先頭バッターにレフト前ヒットを打たれた。
疲れがないと言ってはいたが、さすがに九回までくれば、だいぶ疲れを感じ始めた。
今打たれたのは甘く入ったスライダー。俺は溜息をついた。
続くバッターはセカンドゴロに仕留めたが、その間に一塁ランナーは二塁へ進む。
さらに次のバッターにはヒットを打たれてしまい、一死一三塁のピンチを迎えた。
ここで打順はクリーンナップに突入する。
三番バッターが打席へと入る。
ホームランが出れば同点。長打でも下手すりゃ逆転に繋がるかも知れない。気の抜けないピンチの
場面。しかもバッターは三番。
最終回だってのに、なんて状況だ。
「まったく、最高すぎるだろう」
グラブで口元を隠しながら、俺はニヤつきつつ呟いた。
ピンチフェチの俺にはたまらない場面だ。やばい、今の俺は変態すぎる。恭平と良い勝負ができる気がする。
だけど、こんな場面じゃ仕方ない。どんなに集中しても口元の綻びだけは締まらない。
だがこの状態の俺は、一番リラックスしている。一番ボールが走る状態だ。
打たれる気がしない。いや、打たれたらつまらん。ここを抑えてこそピンチフェチの境地というものだ。
初球、二球目と厳しくインコースにストレートを投じる。
バッターはどちらも手を出せず見送り、あっという間にツーストライク。
打席に入るバッターは今頃、ここに来て、一気に息を吹き返した相手ピッチャーに困惑している事だろう。
哲也の三球目のサイン。低めへのスライダー。俺はコクリと頷いた。
ここまででだいぶ球数が増えたし、抑えられるバッターは少なく抑えましょう。
一塁ランナーを目で牽制しつつ、クイックモーションからスライダーを投じる。
打ちに行くバッターだが、スライダーは手元で変化していき、そのままバッターのバットは空を切り裂いた。
空振り三振。まず一つ目。俺はニヤッと口角をあげる。最高。マジでピンチ最高だぜぇ…。
ツーアウトとなり、バッターは今日3打数無安打3三振の四番遠藤を迎えた。
今日の俺のピッチングに、遠藤はとことん抑え込まれている。
ストレート中心の組み立てでカウントを稼いでいく。
ストライク、ボール、ストライク、ファール、ボール、ファールと六球目を投げ終えたところで、カウントはツーボールツーストライクと並行カウント。
次が勝負のカウント。哲也はインコース高めへのストレートを要求する。
釣り球だな。オーケー。これをラストボールにする。
一度一塁ランナーを見てから、クイックモーションに入る。
打たれように高く、しかし分かりやすい高めではなく、当てられるか当てられないぐらいの高さで、多少の制球は捨て、球威でバットを振らせる。
これでラストだ。最後の一球を投じた。
インコース高めへと向かう白球。
その釣り球に釣られるように、バットを振り出す遠藤。
まもなくバットはボールを掠めることなく、豪快に空振りをした。
空振り三振。
最後のピンチを抑えてゲームセット。
「しゃああああああぁぁぁぁ!!!」
思わず俺は地面へと視線を落とし吠えていた。
ピンチを切り抜けた喜びや、決勝進出の喜びや、秋の大会で打たれた恨みを晴らせた喜びとか、とにかく、色んな喜びに埋め尽くされたせいで、無意識に吠えてしまったのだ。
最後に整列して、大きく頭を下げると同時に、試合終了のサイレンが鳴り響いた。
俺の今日の投球成績は九回を投げて無失点の被安打は4、四死球は1で、奪三振は毎回の14K。
ベンチ前で、哲也とキャッチボールをしながら、整備されていくグラウンドを見る。
明日もこのグラウンドで試合が出来る。明日はどっちと試合ができるのだろうか?
ぼんやりと脳が考える。うん、試合が終わって一気に疲れが来た。
ともあれ、春季県大会準決勝は3対0で勝利し、我が校は無事、決勝に進出した。




