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E1-エスぺリオ・オリジェン-  作者: 心音
4章 心象
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5話 目眩

 鼓動は早くなったまま収まらず、首筋を通る血液を感じるほどでした。きっと今、耳まで真っ赤になっているに違いありません。


「あああの、一応聞きますけどそれはその……私にお付き合いしてほしいということでよろしいのでし……ですよね」


「そういうことになるね」


 どうしたことでしょうか。交際を迫られることは少なからず経験しているのですが、こんなくすぐったい気持ちになるのは初めてで、脳の処理が追いついていません。


 そんな目まぐるしく廻る脳内で、一つだけ確かなことがありました。凛人さんは私が小さい頃、今も小さいですけどもっと小さい頃からお世話になっていて、本当にかけがえのない大切な人です。だからこそ、こんな状態でお応えするのは失礼なのです。


「あの、そのお返事ですが、今はま……だ……」


 突然目眩がして、凛人さんの姿がぐにゃりと歪みました。同時に頭に大きな石が入り込んだような重さを感じ、私は平衡感覚を失います。


「アリス君、大丈夫かい!?」


 倒れそうになった体を凛人さんに支えられます。視認できるので支えられているのは確かなのですが、触覚が働いていないようで凛人さんの体温も、支えている手の力も何も感じません。


 お礼を言わなければと思うのですが、体は一切の自由が利かず、まるで人形になったかのようです。口は開かなければ四肢の自由もありません。


「アリス君……? 聞こえるかい?」


 目の前で手を振られますが、その手の形すらもぼやけて見え、徐々に視界が暗転していきます。


「アリ……君…………ア……」


 何も見えなくなったとき、私は何か夢を見ていました。うっすらと視界に映る世界は見覚えがある景色でした。




『なあ、凛人。小さい頃に一回だけ喧嘩したよな。覚えてるか?』


 声です。お兄ちゃんの声です。お兄ちゃんが凛人さんと喧嘩……ああ、随分と懐かしい話です。私が凛人さんと出会った数日後、夜遅くまで凛人さんの家の書架に籠っていた私を、お兄ちゃんが連れ帰ろうとしたときの騒動ですね。


 その果てにどちらに軍配が上がったのか、私は思い出せません。


「そんなことで……誰を守ると言うのだ」


 より鮮明に聞こえてきたこの声は、凛人さんのものでしょうか。二人が口論している夢なんて、私はどういう心境にあるのでしょう。


 少しずつ視界が晴れてきて、私はどうやら一人、砂埃の立つグラウンドの端にいることが分かりました。ここに深い思い出もなければ、浅い思い出すら見当たりません。夢なんてそんなものだと割り切るのは簡単なのですが、頬に感じる風は夢とは思えないほど繊細な感覚を呼び起こすのでした。


「俺はお前を殺してでもアリスを守る」


 お兄ちゃんが前方でそんなことを言いました。その右肩からは多量の出血が見られ、その手には刀……いえ、西洋式の剣が握られていました。


 それに対峙する人は、間違いなく凛人さんその人で、その手にもまた剣が握られていました。そして、凛人さんの背中に見えた一筋の光に、私は目を覚まします。


「夢じゃ……ない……」


 視界の端に映る空色の髪、右ではなく左の手首に着いた鈴のアクセサリ。これは以前お兄ちゃんから聞いたテレスという『私』の特徴そのもので、私は急いで駆け出します。


 凛人さんの剣が弾かれ宙を舞い、お兄ちゃんがその剣を振り下ろす刹那。


「だめええええっ!!!!」


 身を投げるように二人の間に割り込み、お兄ちゃんはその手を止めました。それと同時に、私は再び目眩に襲われます。


「アリ……ス……?」


「だめ、お兄ちゃん……凛人さんを殺さないで……」


 最後の力を振り絞ってその言葉を残すと、私は意識を暗い棺の中に押し込められるのでした。




「ん……」


 静かに目を開けると、高く暗い天井の元で冷たいベッドに寝かされていました。頭に冷たい感触がして、何かと触れてみると濡らされたタオルが額に乗っているようです。


「目が覚めたかい?」


 凛人さんの声がして辺りを見回すと、円形の壁に沿って碧い液体に満たされた培養器のようなものが並んでいます。


「ええ、おかげさまで何とか……」


 体を起こそうとすると、思ったより体は正常なようで普通に起き上がることが出来ました。


「ここは……」


「久しぶりだね、新谷愛鈴……だったかな」


「あなたはっ……!!」


 声のするところに立つ男性は、安恒弘毅さん、凛人さんの父上に当たる人です。


「まあそう気を荒げないことだ。ここに連れてきたのは他でもない凛人だ」


「できれば貴方の世話にはなりたくなかったが……アリス君のためなら仕方があるまい」


 凛人さんは苦々しく唇を噛み締めます。


「凛人から一通りの話は聞いたが、君達は鏡世界に辿り着いたようだね、新谷……いや、金城きんじょう愛鈴君」


「どうして私の名字を……」


「細かいことは気にしなくて良い。目が覚めたのなら私にできることはない。これを持って行きなさい」


 凛人さんのお父様は、後ろ手に隠していた分厚い紙の束を私に寄越しました。


「これは一体……?」


 その束の一枚目、表紙には「鏡世界における精神の存在」という題名と共に「金城夫妻」という執筆者名が書かれていました。


「あと少しで完成するはずだった君の両親の論文だ。君が答えに辿り着いたなら、彼らとて報われることだろう」


 凛人さんのお父様は、天井を見上げています。真っ暗な天井なはずなのですが、私はそこに青空が広がっているような気がしました。

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