4話 覚悟
風が頬を掠めた。凛人の剣先が喉に触れて、冷たいような熱いような不思議な感覚に囚われている。それは死を予感しているというよりも、むしろ祭りの前夜のような妙な高揚感に近かった。
「話は終わりか?」
凛人は何も言わずに俺の首筋から剣を離し、天を刺すように振り上げ、振り下ろす。
その剣が俺の喉元目がけて降りる瞬間に、俺はバック転の要領で凛人の持ち手を蹴り飛ばした。
「くっ……」
そうして怯んだ一瞬に凛人の懐から抜け出ると、飛ばされた剣を拾い直す。
「なあ、凛人。小さい頃に一回だけ喧嘩したよな。覚えてるか?」
剣を構え再び対峙するが、先程よりも凛人が小さく見える。
「覚えているさ。あの時もまた、アリス君が騒動の中心だったね」
「随分とくだらない理由だったな。あの時は」
凛人に向かって斬りかかると、凛人の剣を弾いた。
おかしい--そう直感して引き下がると、凛人は弾かれた勢いを利用して高速の斬撃を繰り出した。そもそも、凛人が俺の剣に弾かれるはずがなかったのだ。
間一髪避けられたものの、一瞬でも避け遅れていたら直撃していた。
「確か君が、アリス君が我が家に泊まることを認めなかったのだろう」
「語弊があるぞ。お前が無理に泊まっていけと言ったんだろう」
再び攻め込むと、凛人は避けも受け止めもせず、捨て身で反撃を仕掛けた。
「君はあの頃から変わらないな、お兄さん」
俺は咄嗟に攻撃の手を休め、防御に移行しようとしたが遅く、次の瞬間には凛人の剣が俺の右肩に刺さっていた。剣を握っていられず、その場に取りこぼす。押さえた傷口からは赤く熱い液体がだくだくと溢れている。
「っ……ぐあっ……」
「だから言っただろう。君には覚悟が足りない。アリス君のために誰かを殺すような、その覚悟が欠如している。そんなことでアリス君はおろか、誰を守れると言うのだ」
凛人の威圧的な言葉が脳内に反響する。
俺の覚悟が足りなければ、守れない。現に俺は、四葉も暗莉も死なせてしまった。キョウの居場所も掴めず、四葉を殺したあの女のことも分からない。これまでも運良く生きてはいるが、何回も死の淵に立った。
この先、アリスを守り抜けるかどうか怪しいのは明らかだ。
なら、俺はどうすれば良い。アリスのために非情になろう。それでアリスが無事なら、それで良い。
「……決めたよ。俺はお前を殺してでもアリスを守る」
俺はだらりと下がった右腕で剣を掴むと、その柄を血に染めた。
「そうだ。その覚悟だ。さあ、それを僕にぶつけてみろ。覚悟を証明してみろ!!」
凛人の気迫に俺は、もう恐怖することはなかった。
「……お前だって変わらないな。お前はあの頃からずっと、俺をお義兄さんって呼べる日を待ち望んでるくせに!!」
「……っっ!!」
凛人が動揺したのを、俺は見逃さなかった。凛人の懐に入り込み、下から上に剣を振る。
「おらあああああ!!!!」
一瞬反応が遅れた凛人は、その衝撃を受け止められず、激しい金属音と共に凛人の剣は中空を泳いだ。
そうして、無防備に崩れた凛人に、俺は何の躊躇もなく剣を振り下ろし--
「だめええええっ!!!!」
--耳を劈くような、悲鳴に近い叫びに、俺は剣を止めた。俺と凛人の間に小さな体が割り込んでいた。
剣の風圧で靡いた空色の髪と、左手の鈴は紛れもなくテレスのものだったが、どこか違和感があった。俺はその違和感の正体を知っている。この声は、この体温は、紛れもなく別の少女のそれだった。
「アリ……ス……?」
「だめ、お兄ちゃん……凛人さんを殺さないで……」
そう言うと、少女はその場に眠るように倒れた。そうして、間を遮るものがなくなり、再び凛人と目が合った。
「お兄さん、どうするのかね?」
俺は一瞬迷った末に、剣をそっと地面に置き、血の固まりかけている腕でテレスを抱き抱えた。
「そうか……この勝負は君の勝ちだ」
凛人は惜しそうに、しかしどこか嬉しそうに言った。それと同時に、凛人の背中から鏡が分離し、眩い光を放った。
「なんで……お前の願いは叶ってないだろう!?」
「何を言っているんだい? 僕の願いは十分に満たされたさ」
「お前の願いは……アリスと結ばれることじゃないのか……?」
それを聞いた凛人は呆れたように息を吐く。
「僕は言ったはずだ。お兄さんがアリス君を守り抜ける人間かどうか見極めるのだとね」
「ならお前は最初から……」
「アリス君がお兄さんを選んだから、僕はそれに従っただけさ」
そんな言葉と鏡を残して、凛人は颯爽と姿を消した。後に吹いた暖かな風に、傷口が癒されるようだった。
凛人が去って少し、何か足りない気がしてすぐに思い出した。くるみがいなかった。見回せどもその姿は見当たらず、薄い靴跡もグラウンドの砂によって追えない状態になっていた。
俗に言うお花摘みか、呆れて帰ったのか、どちらにしても大したことはないだろう。俺はテレスが目を覚ますまでの小一時間を、流れる雲を見つめながら過ごした。




