3話 窮屈
目を閉じると、どこからか声が聞こえます。まるで四肢の自由を奪われたまま水底に沈められるような窮屈な感覚がします。その感覚から抜け出そうとすればするほど意識は深い闇の底に沈められるようでした。
聞こえてくる声はノイズのようなものだったのですが、徐々に鮮明に聞こえてくるのでした。
「原初鏡に関する文献は数多くあれど、その多くが希望的観測や憶測に支えられたもので、確かな情報は少ない。しかし、大量の文献から共通項を抜き出せば、一つのものが見えてくる」
「宇宙の誕生は、誰かの願いによるものだ」
『はあ……? 宇宙の外にまだ世界があるっていう話か?』
「いいや違う。君は気にならなかったかい? ビックバンが起きて世界が誕生したのなら、現在宇宙を構成している物質はどこにあったのかと」
「君はその答えを知っている」
『魔法……か』
「そう。魔法は物理法則を無視した質量を形成する。つまり、宇宙は何者かの願いによって形成されたものだ」
『いったい誰が』
「それは分からない。それこそ神の所業なのだが、問題はその先だ。宇宙を形成するだけの願いを持った者が何かを願えば、世界は大変なことになってしまう。そこで作り出されたのが原初鏡であり、鏡世界だ」
『つまり、願望のエネルギーを浪費させるための世界というわけか』
「そう考えたところで、一つの矛盾が生じる。願望を抑えるために生まれた存在が、願望の対象になっているんだ」
『それで、その矛盾を解決できる理屈は何なんだ』
「それは--」
はっ、と目を覚ますと、きらきらとした昼日が部屋に差し込んでいました。朝を待つつもりが、随分と寝過ごしたようです。
お兄ちゃんに連絡しようと鈴に心を込めるのですが、何も起こらず、ただ空虚な鈴の音が響いただけでした。疲れているのか、使用回数のようなものがあったのか、原因は何も掴めません。
何にせよ、お兄ちゃんは今も鏡を集めていることでしょうから、私はこちらからできることを探しましょう。
そうして外に出ると、少し深くなった春の陽気に目が眩みます。庭先では鈴蘭の花が少しづつ開き始めていました。くるみちゃんの居場所も連絡先も分からないので、適当に街を歩いて遭遇できれば幸いです。
通学路を辿っていると、制服を着た女の子が歩いていました。遅刻の生徒かと思いましたが、ショッピングモールに掲げられた「土曜市」という表示に、私の曜日感覚が欠損しているのだと気づきました。
「やあ、アリス君」
行く宛てもなく彷徨っていると、凛人さんに遭遇しました。休日ということで彼はシンプルな模様の春服を着ているのですが、普段の癖で制服を着て来てしまった私はどこか気恥ずかしさを感じていました。
「凛人さん、こんにちは。今日はどちらへ?」
「実は丁度、君に会いに行こうとしていたんだ」
以前会ったのは、お兄ちゃんがいなくなった次の日の朝でしょうか。そう言えば凛人さんは、あのとき何か話そうとしていましたね。
「確か……五分前仮説の話でしたか?」
「ああ、それとも関係する話なのだけど。その話は後に回して良いかな?」
「ええ、構いませんが……」
凛人さんは、どこか歯切れの悪い言葉を紡ぎます。
「そこで、折り入って頼みがあるのだが」
「はい、何でしょう?」
「僕と恋をしよう」
「ふぇ?」
間の抜けた声が喉を過ぎると共に、飛行機の大きな影が私たちを覆いました。




