6話 過去
過去の話と言うものは、大抵どこかでフィルターに掛けられ、事実よりも多少美化されたものになってしまう。それがヒトの性だと言ってしまえばその通りなのだが、それはある意味善意による行動なのではないかと思っている。
というのは、過去というものは大概口にすれば空気を変えるだけの力を内包しているからであり、中にはそれだけに留まらないの黒々しい過去というものも存在するからだ。
遠回しな言い方をしてしまったが、俺はそんな過去と向き合わなければならない時が来たようだ。俺の幼馴染--二月暗莉との、そして最愛の妹--愛鈴との、単純で短絡的で、だからこそ当時は手に負えなかった過去と。
「それで、ここがその子の家なのかしら」
金木犀の木が二つ、赤い屋根に映えている家を見上げながら、くるみは淡々と問う。
「ああ、そうだ。テレス……鏡の気配はあるか?」
「ん……少し弱いけど、確かにいるみたい」
二月と書かれた表札の、和風と洋風の入り混じった家の前で俺達は立ち止まった。艶めいた黒い庭柵は、黒曜石のように暗い光を放っている。
長らく使われておらず、砂埃を被ったインターホンを鳴らすと、無機質な電子音が二回ほど鳴った。もちろん返事などなく、俺は持ってきていた合鍵を玄関に差し込んだ。
「……いつか来ると思ってた」
その少女は玄関口に膝を抱えて座り込んでいた。まるでずっとそこで待っていたかのように。
「俺は暗莉--お前を助けに来た」
「そんなのやめてよ……アンタはあの子を選んだ。私のことなんかもう忘れてよ」
隣ではくるみが戸惑った表情をしていた。一通りの事情は話したのだが、実際に立ち会うと気まずいのだろう。しかし俺はくるみを無視して暗莉に話し続ける。
「アリスのことは関係ない。今はお前が--」
「やめてよっ!!」
暗莉の怒声にも近い叫びが家中に響く。
「私がいなかったらアンタだってあの子と幸せになれて、だから私なんて要らない。アンタが幸せなら私はそれで良いのよ!!」
「だったら、お前はどうして鏡に選ばれたんだ」
ここに来る前にくるみが言っていた。感情を高ぶらせてしまうと鏡に負けてしまうかもしれないと。その言葉の通り、暗莉の背中から今にも鏡が殻を破って出てこようとしていた。
「だって……仕方ないじゃない。私はアンタが……アンタを愛してるんだから……!!」
顔を上げた暗莉と目が合った。その瞳から、一筋の涙が落ちた。同時に、くるみが俺の体を抱き、扉の外に投げ捨てるように放り出す。
「二枚目の鏡-嘆きの夢-」
暗莉を包み込むように暗雲のような、霧のような真っ暗なものが現れる。
「新谷くん、どうするの?」
暗莉に万一のことがあったとき、くるみが暗莉を向こうの世界から殺す。それが俺達が事前に決めたことだった。くるみは既に向こうでも待機している。俺の指示があれば暗莉は「事故」に遭って死ぬ。
「まだ大丈夫だ」
「大丈夫ってあなた……あなたの声も、もう彼女には届かないのよ!?」
くるみの忠告を無視して、俺は闇が渦巻くような玄関に再び近づく。
「残念だなくるみ。アイツはこのこの程度で折れるような弱い女じゃないんだ」
駆け出して、暗莉を取り囲む闇に触れると、一瞬にして世界が暗転した。誰もいない深夜の映画館のような静寂が支配し、どこまでも続くトンネルの中にいるようだった。
「お兄ちゃん?」
ツカツカと先に歩いていると、ずっと奥に小さな女の子が立っていた。右手首のアクセサリから、鈴の音が澄み渡る。
「アリスか……?」
「うん、アリスだよ。お兄ちゃんが暗莉さんを切り捨ててまで欲したアリスだよ」
そう言うと、アリスは満面の笑みを浮かべて俺の頬を叩いた。乾いた音はどこに響くでもなく消え去り、気が付けば俺は暗莉の家の玄関前に尻餅をついて倒れていた。




