今宵、ソートレイン亭で⑩
「酒の席だとフィルの独壇場みたいになっちまうだろ。あの坊やに素面でちゃんと向き合う機会を与えてやれ」
「【純潔の聖獣】に、色恋を安易に勧めてくれるな」
「……純潔、ねぇ」
意味ありげな視線は、フィルを動揺させるためのブラフには思えなかった。
そもそも無垢だという証が身体のどこかに刻まれているわけでもない。
誓約が破られたら力を失うとも提示されていないため、潔白を明らかにする方法がなかった。
トワとはそんな関係じゃないと撤回させたいのに、抜け落ちた記憶が邪魔をしてくる。
別のテーブルに運ばれていくソムル貝の蒸し焼きに一瞬を気を取られたが、食い意地を優先していては話が進まない。
「純潔判定なんて、仕切るヤツの裁量次第だろ。『灰月』として答えるなら、基準はどこに置く? 交わりはアウトで、慰めはセーフか?」
「人前で見せられないような行為全般アウトだ」
「へぇ? そのルールで線引きするならフィルはオレたち寄りになっちまってるとオレは思うね」
ありえないと突っぱねるには材料が不足している。
二人ともかなり飲んでいたし、若さを感じさせるトワの言動が好ましいと感じていた。
皆の目があるところで大胆なことはしないと自分の理性を信じるしかない。
キスしたり、抱きついたり、その程度の親密さでも処女神の厳しい判定ならアウトになる。
貞操観念はゆるくないと自負していたフィルにとって、その事実は重かった。
「待て待て、なぁんで落ちこんでるんだよ。誰彼構わず引っかけるのはマズイが、いずれ王になる雛を選び抜いたのは正解だろ? 周りに恵まれた幸運もあるが、あの子の輝きは本物だ」
フィルよりも見識が高いトーリがそこまで言うなら、トワの一途さや純粋さは演技ではないのだろう。
転生という形で招かれたこの世界にチュートリアル担当の案内人はいなかった。
目についたものを学び、コツコツと経験値を積み上げていたフィルにとって、同族のトーリは頼れる師匠で面倒見のよい先輩でもあった。
『朱翼』は四強の聖獣として多くの伝説を持っている。
底なしの酒豪で対決では負けなしと語り継がれているが、奢りは敗北へ傾くための一歩でもある。
聖獣としての暦が浅い『灰月』が健闘しても勝負の行方は揺るぎない。
そう軽んじてくれるなら、フィルの仕掛けが功を奏す。
酒量を意図的に抑えたフィルと比べて、トーリの飲んだ量は数倍どころではない。
種類や濃度も気にせず飲み続ければ、認識能力も鈍り自分の優位を疑わなくなるものだ。
ウワバミは追い詰めるより、外側からゆっくり囲っていく方が捕らえやすい。
ふっと眠気に誘われ、トーリが数秒目を閉じた。
静かになると彼の秀麗な顔立ちがよくわかる。
また目を開き、すぅと深いところに落ちていく様子をフィルは傍らで見守った。
勝利の確定まで近づいてこなかったトワが席に戻ってくる。
「あなたが時間稼ぎをしてくださったおかげです」
「……ずるい気がしますけど」
「彼が決めたルールには抵触していません。正攻法で勝てるなら、幾重にも仕掛ける必要はありませんでした」
フィルが負けたら、飲まずにトワと過ごした1日があったのだろう。
けれど、勝負はひっくり返った。
誰かにお膳立てされなくても、縁は途切れないという予感がある。
逃げても、避けても、引き寄せられる運命ならまた会える。




