第1話「電子レンジが残り3秒になると分かる男」
「来る」
昼休みの給湯室で、三浦は立ち上がった。
向かいでカップ麺をすすっていた後輩の西野が、箸を止める。
「何がですか」
「三、二、一」
ピーピーピー。
電子レンジが鳴った。
三浦は何事もなかったように扉を開け、コンビニ弁当を取り出した。
西野はしばらく黙っていた。
「……タイマー見てました?」
「見てない」
「音の前兆とか?」
「ない」
三浦は弁当のふたを半分だけ開けた。湯気が眼鏡を曇らせる。
「残り三秒になると、分かる」
「何が?」
「電子レンジが」
「だから何が?」
「残り三秒だって」
西野は麺をすすった。
「すごいですね」
声に一ミリも感情がなかった。
三浦には、生まれつき特殊な感覚があった。電子レンジが残り三秒になると、胸の奥がほんの少しだけざわつく。
機種は問わない。家庭用でも業務用でもいい。コンビニのバックヤードにある巨大なものでも、ホテルの朝食会場に置いてある小型のものでも反応したことがある。
ただし、近くにいても毎回分かるわけではない。胸がざわついたときだけは、残り三秒で間違いない。
四秒前は分からない。
残り時間そのものも分からない。
温めが終わる三秒前だけである。
三浦はこの力を三十二年間、一度として有効活用できたことがなかった。
その日の午後、部長が会議室から顔を出した。
「誰か、十六時の来客用に菓子出し頼める?」
西野が三浦を見る。
三浦も西野を見る。
「なんだ」
「いや。レンジ関係ないなと思って」
「当たり前だろ」
妙に腹が立った。
午後三時五十分。部署が少し慌ただしくなった。
重要顧客が予定より十分早く到着したらしい。部長が廊下を小走りし、事務の女性がコーヒーを用意している。
そこへ西野が戻ってきた。
「三浦さん、やばいです」
「何が」
「部長が頼んでた焼き菓子、冷凍でした」
「だから?」
西野は言った。
「箱には六百ワットで一分って。軽く温めて出したいらしいんですけど、『加熱しすぎ注意』とも書いてあって」
「時間を見ろよ」
「表示が壊れてます」
三浦の眉が動いた。
給湯室へ行くと、古い電子レンジの液晶が半分消えていた。何分何秒なのか読めない。
事務の女性が困った顔で扉を見ている。
「一応、一分に設定したつもりなんですけど……」
「止めればいいでしょう」
「いつ?」
三浦は黙った。
西野が一歩下がった。
「先輩」
「なんだ」
「出番です」
「言い方が腹立つな」
三浦はレンジの前に立った。
ブーン、と低い音がする。
全員が見ている。
これほど注目を浴びながら電子レンジを見つめたことはない。
十秒。
二十秒。
何も感じない。
「まだですか」
「黙ってろ」
「能力に集中する感じですか?」
「そんな大層なものじゃない」
さらに数秒。
胸の奥が、きゅ、とした。
三浦は扉に手をかける。
「来た」
「三秒?」
「三秒」
三、二、一。
三浦は終了音が鳴る直前に扉を開けた。
室内が妙に静かになった。
西野が小さく拍手をした。
「やめろ」
焼き菓子はちょうどよく温まっていた。
客にも好評だったらしい。
夕方、部長が三浦の机へやってきた。
「さっき助かったよ」
「いえ」
「三浦、ああいうの得意なんだな」
「得意というか」
三浦が言葉を選んでいると、西野が横から口を挟んだ。
「三浦さん、電子レンジの残り三秒が分かるんですよ」
部長は止まった。
「……何?」
「ですから、電子レンジが残り三秒になると」
「西野」
「分かるんです」
部長は三浦を見た。
三浦は眼鏡を押し上げた。
「まあ……はい」
数秒の沈黙。
「そうか」
部長はそれだけ言って戻っていった。
西野が肩を震わせている。
「笑うな」
「部長、完全に扱いに困ってましたよ」
「お前のせいだろ」
帰宅後、三浦は冷凍パスタをレンジに入れた。
六分。
テレビをつけ、ネクタイを外し、ソファに座る。
やがて胸がざわついた。
三浦は立ち上がった。
三、二、一。
ピーピーピー。
扉を開ける。
「……だから何なんだよ」
誰もいない部屋でつぶやいた。
それでも、終了音より一瞬早くレンジの前に立てたことに、ほんの少しだけ満足していた。




