01:忌まわしき女
毎日7時更新。全10話です。
この作品はオムニバス形式、シリーズで公開中の5作品目です。
よろしくお願いします。
目が覚めて隣を見ると、寝ているはずの夫がいなかった。ベッドも昨夜寝たものとは違う。転生したか。
今日はセビージャの春祭りに参加する予定だった。夫が選んだターコイズブルーと黒地に大きな白い百合が描かれたフラメンコ衣装で踊るのを楽しみにしていたのに。日本からこの祭り目当てで妹も遊びに来ていたんだ。いつもは淡々と受け止める転生だが、今回は少し残念に思った。まあ仕方ない。今世の人物を確認するとしようか。私は部屋の中を見回した。鏡はありそうな部屋だ。
ベッド脇のこじゃれたサイドテーブルの上に、凝ったレリーフが施された銀の手鏡が伏せてあった。今世も都合がよい。当たりだな。手鏡を手に取り顔を映す――しかしそこに映ったのは信じがたい人物だった。
何度か話したかもしれないが、私の繰り返す転生に法則はない、と思っている。時代も場所も実に様々だし、過ごす時間も様々だ。唯一変わらないのがこの銀の瞳。そしてもうひとつあるとすれば、同じ人物の人生を2度生きたことはない。同じ人物を生きたことはないのだが……。
今世の名は忘れもしない忌まわしき女、アビゲイル・パーシー。聞いたことがないだって?それは無理もないさ。歴史のどこを探したところで出てくるような人物ではないからね。私がこの名を知っていたのは、かつてアビゲイル・パーシーの孫だったことがあるからだ。まさかかつての生の祖母に転生するとは想像もしていなかった。
今のアビゲイルは25歳、若いな。3つ年上の夫の名はデイビットだ。2人の間には3歳を過ぎたケヴィンという息子がひとりいる。そのケヴィンがかつての私の父さ。ややこしいね。
かつての私は、アビゲイルに会ったことがなかった。既に亡くなっていたんだよ。彼女の死がパーシー家没落の大きな原因になったことは間違いない。今世には直接は関係のない話だが、かつてアビゲイルの孫だった生では、没落貴族の娘ソフィーという人物を生きた。形だけは貴族の令嬢だったが、毎日工場でミシンを踏んで食い扶持を繋いでいた。母からは、もう少しマシな仕事がいくらでも見つかることも、どこかへ嫁ぐことも勧められたよ。でも、その生での私は労働を求めた。技術を身につけておきたかったのさ。この先どこかで役に立つかもしれないだろうからね。
ソフィーの話は一旦おしまいにしよう。今世ではソフィーに会えるよう生きてみようじゃないか。このくらいは歴史に干渉するほどのことではないからね。私の矜持として[歴史に干渉しない]とは肝に銘じているものの、今世は自分の命がかかっているんだ。そこは干渉させてもらうよ。なに、時代の流れには全く影響をもたらさない程度さ。死ぬはずだった人間がひとり生き延びる程度で世界は変わらない。
私はアビゲイルの手を見つめた。手鏡は握ったままだった。25歳の貴族夫人として思い浮かべる手ではなかった。所々変色していて醜い水泡も目立つ。アビゲイルの死因は焼死だったが、それを免れたとしても、このままではソフィーの時代まで生きることは難しいかもしれない。寝起きだというのに、頭は冴えるどころか痛みを抱えていた。原因はすぐにわかったよ。
「若奥様おはようございます」
侍女が静かに近づいてくる。アビゲイルは身支度へ向かうことにした。習慣となっている朝の紅茶は断り、すぐに支度をすると伝える。最初に、用意された湯で顔を洗った。泡立ちも香りもよい石鹸が添えられていることだけは当たりだなと思えた。
「今日はピンクのドレスにしてくれないかしら」
既婚とは言っても、まだアビゲイルは若い部類だ。ピンクのドレスを何着も持っているし、似合うとも思っている。尤も老婦人でもピンクのドレスを着るものはいるけれどね。
侍女が容赦なくコルセットを締め上げた。そうか、この時代はコルセットが必須か。最悪だ。今世はハズレのコンボだ。こんなに締め上げていてはまともに食事もできないじゃないか。邸の中、それも朝なのでクリノリンは着用しなかった。――これこそがアビゲイルの命を奪った元凶さ。
身なりを整えながら寝室を見回してため息をついた。これは今日にでも動かねばならないね。いざとなればアビゲイルの所持する宝石を全て売り払ってでもやってみせるさ。命がかかっているのだからね。




