第一話
新シリーズです。よろしくお願いいたします。
誤字脱字等、ご容赦ください。
「クソッ!何がウイルスだよ。わかってんだよそんなもんはねえってな。どうせ脅しだろ効かねえよ」
敷布団の上に寝転がりながらスマホをいじり、苛立った声をあげる男がいる。名を橋本一誠。年齢は二十五歳、無職である。大学在籍中に就職活動を始めたものの、時代はすでに彼にとって向かい風であった。容姿が整っていなければ俳優やアイドルにはなれず、女性でなければ整った環境での就労は許されない。そして外国人でないため、給料を安く抑えたい企業側からはお払い箱を喰らっていた。……要するに、2026年現在、『不細工な日本人男性』の人権はないがしろにされていた。橋本もその例に漏れず、高校卒業後に一人暮らしを開始したものの、就職などできるはずもなく、金銭面でどうにもならなくなり郊外のボロアパートへと居を移すほかなかった。
「……全く。広告のバナー出すの違法にしろよ鬱陶しいな。俺が総理大臣だったら絶対そうするんだけどなあ、無能なジジババどもには無理か」
違法なアダルトサイトを検索しながら、彼は苛立ちを吐き出すように独り言をつぶやく。一人暮らしのため、大きな独り言を言おうが咎めてくるような者はいない。……彼は就職できなかったことを両親に伝えると、その日のうちに勘当を言い渡されていた。両親は、息子が無職であるという事実が耐えられなかったのだろう。だからこそ縁を切り、最初から息子などいなかったことにすることで心の平和を保とうとしていたのだ。そのため、橋本は実家に帰らずに都市郊外へと居を移すことを選んでいた。
「……はあ。俺はいつまでこうしてりゃいいんだろうな。……それにしても、こいつらは羨ましいな。何がインフルエンサーだボケが。どうせ脱税してんだろアホ共。こんなんが仕事かよ。俺だったら死ぬほど恥ずかしいわ」
敷布団から起き上がった橋本は先ほどまで持っていたスマホで、今度はアダルトサイトではなくSNSを見ていた。十秒か十五秒ほどの長さしかない、いわゆる「ショート動画」である。どこぞの高校の制服を着た女が、見る者すべてを嗤わせそうなクネクネとした踊りで承認欲求を満たそうとしている。どうみても整形している女が「この化粧品がすごい」と嘯いている。六人ほどでグループを作っている男たちが企画と称して炭酸飲料に菓子を入れて膨れ上がらせようとしている。芸人から投資家に成りあがったらしい男は資本家に迎合する猿と化していた。
「……おっと、桐谷からか。……さて、仕事しますかね」
橋本は無職ではあるが、それらしい仕事もしていた。とはいっても、ただ知り合いの会社のネット口コミが荒らされていないか監視する、あるいは虚偽の高評価を残して会社の評価を釣り上げるといったことだけだ。その内容故、報酬も微々たるもの。これを仕事と言い張るぐらいなら、生活保護をもらった方がまだまともな暮らしができるはずだ。……だが、それは不可能なことだった。彼も当然、「このままでは生きていけない」と危機感を覚え、役所に生活保護の申請をしに行ったことがある。しかし、結果は無残なものだった。職員は「家族を頼れ」、「働け」、「ハローワークに行け」としか言わず、決して手続きを進めようとしない。だが、彼の二つ隣の席に座っていた日本語が不自由な外国人は、あっというまに生活保護の申請を済ませていた。……要するに、日本の生活保護は外国人のための物になっていたのだ。そのため、日本人である橋本に受給する権利などない。
「……はあ。なんで俺がこんな目に合わなくちゃいけねえんだ」
彼は手早く仕事を片付け、日課である自らの口座の確認をしていた。……ある日突然、どこかの石油王が自分の口座に大金を振り込んでくれないか、というもはや寝言にも等しい妄言をもとにした行動だった。だが、彼の口座の貯蓄は減っていくばかり。仕事の報酬が振り込まれていたとしても、それは焼け石に水に過ぎない。仕事をするために必要なインターネット代と電気代だけで報酬は消えていくのだ。あとは、出費しかない。
「腹減ったなあ……。仕方ねえ」
彼はそう言って椅子から立ち上がり、上着を羽織る。家に食べ物などほとんどない。あるのは水だけだ。彼は自転車の鍵を握りしめ、部屋を出た。さび付いて古くなった自転車を力いっぱい漕ぎ、近くのスーパーではなく少し遠くの駅前のスーパーに向かう。時刻は午後六時。仕事終わりの会社員や、学童から子供を引き取った親たちが一斉にスーパーに集まり、人であふれかえる。彼はこの時を狙っていた。
「……さてと、今日は何を食おうかな……」
買い物かごを持たず、スーパーの中へと入っていく橋本。彼はまずカットされたパイナップルに目を付けた。
「そういや最近、果物食ってねえな……。久しぶりに頂くとするか」
彼はパイナップルを手に取り、握りしめたまま店内を歩く。他のものにはほとんど目をくれず、菓子エリアまでまっすぐ歩いた。
「ねえこれ買って。いいでしょ?」
「前のテスト頑張ってたからね。今日はいいわよ」
「やった!」
おそらく小学生とその母親だろう。子供はグミの袋を手に取り、母親に買ってとねだっている。橋本は少し離れた所からそれを見つめると、誰にも聞こえないように小さく舌打ちした。そして。
「……新発売か。なら、今日はこれにしてみるかな」
期間限定の味付けであるポテトチップスを一袋手に取り、そのままパイナップルと同じく持ったまま菓子エリアを離れた。……その足で彼が最後に向かったのは総菜エリアだ。スーパーの総菜は大抵揚げ物であり、売り場にも揚げ物の匂いが漂っている。そこにいる疲れた顔をしたサラリーマンたちは、半額シールを今か今かと待ちわびており、それだけでかなりの人だかりになっていた。
「邪魔くせえな貧乏人共が」
橋本は人混みを力尽くでかき分け、売り場まで突き進む。そしてパックに入れられた唐揚げと、近くにあった梅のおにぎりを二つ手に取った。彼は再度人混みをかき分けて総菜エリアから脱出すると、最後の仕上げのためにとある場所へと向かった。
それはレジだった。彼はレジ近くの棚に陳列されていたリップクリームを一つ手に取り、レジを遠回りして抜けて出入口付近へと向かう。レジの先にはいくつものサッカー台が並んでおり、橋本はその中の一人に目を付けた。買ったものをしまうために買い物袋を広げ、落ち着きのない子供の面倒を見ている母親だ。彼はポケットに入れていた買い物袋を広げ、手に取ったままレジに通していない商品を袋に詰めていく。……そして、最後に手に取ったリップクリームを、その母親が着ていた上着のポケットに差し込んだ。母親は気づかずに袋詰めを終え、子供を連れて店を出ようとする。そして橋本もそれに続く。
「えっ⁉何⁉」
当然、スーパーの入り口に仕掛けられていた防犯ゲートが警告音を鳴らす。彼女の上着のポケットに入っている小さなリップクリームはレジを通していないからだ。橋本はその隙をつき、その母親を盗人扱いするような視線を向けて、何事もないように出入口から外へと出て行った。スーパーの店員は、橋本よりも動揺している母親を万引き犯だと考えたようである。結果、橋本は誰にも咎められることなく、駐輪場に停めていた自転車の籠に買い物袋を入れることができた。
「あれ、何かあったのかしら?」
「……あの人が通ったとき、センサーが鳴ったんですよ。あの人何か盗もうとしたんでしょうね」
橋本の隣に自転車を停めていた老婆はスーパー内での騒ぎが気になったのだろう。つい先ほど出て来た橋本に、中で何があったのか尋ねて来た。橋本はただ見たままの通りを答えた。……彼女が自分のせいでセンサーに引っ掛かったことは言わずに。「盗みなんて嫌なことする人もいるのねえ」と呑気に話す老婆に適当に相槌を打ち、橋本は自転車を走らせた。
「……よし、これで今日も飯にありつける」
足早に家に帰り、買い物袋に入れていたものをテーブルの上にぶちまける。梅のおにぎり二つに六個ほど入った唐揚げのパックとポテトチップス。そしてデザートとなるパイナップル。……彼にしてみれば相当豪華な夕食と言えよう。
「いただきます」
彼が食事を盗むのは初めてではない。もはや両手両足の指を使っても数えきれないほどの盗みを繰り返していた。スーパー、コンビニ、果ては商店街の八百屋など。食べ物を盗めそうな所から粗方盗み取り、腹を満たしていた。……そうしなければ、彼は飢えて死ぬだけである。
「ご馳走様でした。……はあ、パイナップルなんか久しぶりに食ったな」
食事を終えた彼はすぐさまテーブルの上のパソコンに向かう。やることなど何もない。ネット環境さえあれば金は稼げるという話もあるが、橋本はそれらを全く信じていなかった。月百万も稼げると謳うのなら、なぜ黙って一人でやらないのだろう。……うまい話を無条件で他人にバラす馬鹿はいない。
「……配信者か。人間の失敗作のくせに調子乗りやがって。こんな奴ら生み出すとかこいつらの親は地獄行きだよな。……恥ずかしくねえのかよ」
彼も一度、人としてのプライドを捨てて配信者にでも成り下がろうかと考えていた時期があった。だが、それもすぐにあきらめてしまった。……設備投資にまわせるほどの金がないのだ。明日の食事にすら困り盗みに手を染める人間が、配信用の設備など整えられるはずもない。そして、橋本は紛れもない日本人男性であるため、就職の望みもない。その上それほど顔が整っているわけでもないため、彼を養おうと考えてくれる者もいない。……ブスな女が好きな男はまれにいるが、ブスな男が好きな女はこの世に存在しないのだ。
「……寝るか」
橋本は大きくため息をつき、乱雑にノートパソコンを閉じた。動画サイトを見ていたところで、配信者がへらへら笑っている所が目に入るだけだ、いらだって仕方ない。彼は畳の上に敷きっぱなしにしている布団の上に寝転がり、いつものようにつぶやいた。
「クソが。なんで俺がこんな目に合わなきゃいけねえんだ」
翌日、彼はいつも通り午前九時に目を覚ました。大学時代はそれなりにまともな生活を送っていたが、もはやそれにこだわる理由もなかった。好きなだけ眠り、好きな時に起きる。長く寝れば寝るほど、物事を考えなければならない時間が減る。……つまり、自分の将来を考えて吐きそうになる回数を減らせるのだ。
「……今日は、木曜日か」
スマホの画面で曜日を確認しながら、冷蔵庫にしまっていた水入りのペットボトルを取り出す。彼はしばらく朝食を食べていない。食費を抑えるために朝は食べず、昼は普通にスーパーで買い、夜は昨日のように無理やり手に入れる。そうでもしなければ、彼はすでにこのボロアパートの一室で蹲ることしかできなかっただろう。
「……あれ、メール?」
いつものように暇つぶしであるゲームアプリを起動しようとしたとき、メールが届いているのが目に入った。社会から切り離された橋本にはメールなど全くと言っていいほど届いていなかったのだが、今日はなぜか一通、彼のスマホのメールボックスに入っている。
「誰からだ?俺のメルアド知ってる奴なんかこの世にいねえよな……」
彼は訝しみながらも、興味に負けてメールを開封した。件名は「橋本様へ」と書かれている。本文にはメッセージが何も書かれておらず、圧縮された何かしらのファイルだけがそこにあった。
「……開けってことか?ウイルスくせえなこれ」
彼は文句を言いつつも特に躊躇うことなくそのファイルを開いた。どうやら圧縮された動画らしい。わずかなロードの後、動画が再生され始める。
『橋本一誠様。これはあなたに仕事を紹介する動画でございます。……本日の正午。新宿駅東口、改札に最も近いベンチに座ってお待ちください』
動画はノイズ混じりで、画面はずっと暗いままだった。声も加工されており、声の主が男か女かすらわからない。……だが、橋本はそれらよりも気になっていたことがあった。
「こいつ、どこで俺の名前を知った?高校の時の奴か?……いやでも、もう誰の連絡先も持ってねえし……。誰だよこいつ」
得体の知れない人物が自分の名前を知っていた。その時点で混乱している。その上、「仕事」とはどういうことなのだろうか。あまりにも怪しすぎる。
「警察……。いや、相談したところでどうにもならねえな。あいつらは役に立たねえ。……行ってみるか。どうせ暇だし、いたずらでもなんとも思わねえや」
メールの送り主が誰かという疑問よりも、これが何を意味しているかという好奇心には勝てなかった。彼は「まだ早えか」とつぶやきながら敷布団に寝転がり、ゲームアプリを起動した。……それから二時間後、彼はようやく布団から起き上がり、指定された場所である新宿駅東口へと向かった。
午前十一時五十七分。しばらく電車を使っていなかったせいで多少迷ったものの、何とか約束の時間までには間に合った。彼はきょろきょろとあたりを見回し、「改札に一番近いベンチ」を探す。
「……あれか」
最近まともに歩いていなかったせいで、わずかな外出ですら疲労がたまる。彼は目的のベンチを見つけた途端、飛びつくようにベンチに向かい乱雑に腰を下ろした。
「時間は……五十八分か。何とか間に合ったな……。それで、こっからどうすればいいんだ?」
スマホを見たところで新しいメールが届いているわけではない。橋本の前を通り過ぎる人は、彼のことなど目に入っていないとでも言うように足早に通り過ぎていく。
「……やっぱいたずらか。誰かどっかから俺を見てやがるな、クソが」
正午になっても、彼の身の回りには変化がなかった。誰かが声をかけてくるわけでもない。誰かが物陰から、まんまとつり出された自分を嗤っているのだろう。彼はそう判断し、勢いよく立ち上がった。その瞬間。着信を知らせる音が鳴り響く。
「なんだ?」
彼はハッとして自分のスマホを見るが、こちらに着信が来ているわけではない。だが、音は間違いなく彼の周りから聞こえてくる。彼は人が行きかう喧噪の中、ベンチに腰を下ろしてじっと耳を澄ませた。……すると、なぜか振動を感じる。地震かと思ったが、道行く者達に変化はない。ベンチから立ち上がり、手を当ててみる。
「ベンチが揺れてるのか?……まさか」
そのまさかであった。彼がベンチの下を覗くと、ダクトテープによってスマホがベンチの裏に固定されている。どうやらこれが着信を知らせていたらしい。彼は何とかテープをはがし、少しべたついたスマホに耳を当てた。
「もしもし?」
『橋本一誠様で、お間違いありませんね?』
朝に送られてきた動画と同じ、加工された声。ゆっくりしゃべってくれるおかげで何とか聞き取れるが、随分と加工が強い。
「そうだが、お前は誰だ?」
『……私のことは、社長とでも思ってください。……あなたは合格しました』
「は?何の話だ?」
『今朝送らせていただいたあのメール。あれは試験だったのです。人の指示通りに動けるか、時間が守れるか。そして、とっさのひらめきができるか』
「……何のつもりだよ」
橋本は「社長」と名乗る男の話で、頭を痛めていた。いきなり電話をかけて来たかと思えば、こいつは一体何の話をしているんだ。彼がそう思っている間にも、話は進んでいく。
『早速ですが、君には仕事をお願いしたいんです』
「待てよ。どうやって俺のメルアドを知った?俺の名前もそうだ」
『……まあ、私から言えることとしては……。違法なサイトはあまり使わない方がいいですよ。簡単にスマホを乗っ取られますから』
「クソッ、そう言うことかよ。……で、仕事って話だったな。面倒だから断りたいんだが」
『仕事が達成されたことが確認され次第、君が指定した口座にお金を振り込んであげますよ。……まずは、二百万でどうでしょう』
「は⁉」
橋本は驚きのあまりベンチから勢いよく立ち上がる。それが目立ったのか周りから疑問の視線を浴びるが、彼はすぐに周りを睨みつけて視線を払いのけた。
「……に、二百万……?」
彼が声を震わせるのも無理はなかった。今時の若者がそこそこの会社に勤め、一年働いてようやくもらえる額がそれほどなのだ。それが一度に手に入るというのだから、声が震えるのも当然だろう。……だが、橋本はすぐに気を取り直す。
「お前はどこの誰だ?そんな簡単に二百万を出せるなんて、普通の人間とは思えねえ」
『それは君には関係のないことですよ。……それで?仕事は受けてくれますか?』
橋本に選択肢などなかった。断ったところで得られるものは何もない。
「……引き受ける」
『ありがとうございます。……それでは、本日の午後十一時。またここに来てください。……ああ、今使っているスマホは持って行ってください。これから連絡用として使うので。ではまた』
謎の人物からの通話は途切れた。橋本は真っ暗になった画面を見つめ、そこに映る自分の顔を見つめる。……自分の顔は、喜びに満ちていた。得体の知れない何かに巻き込まれた恐怖よりも、金がもらえるという喜びが勝っていたのだ。これのおかげで、数年は生き延びられるだろう。久しぶりに、一度も万引きをしないで一日を終えられる日が来るかも知れない。彼は、拾ったスマホをポケットに押し込み、ベンチから立ち上がった。
あれから数時間後、午後十時五十六分。橋本は「社長」の言うとおり、また新宿駅東口に姿を現していた。もう深夜と呼べるほどの時間だというのに、駅前はまだ明るい。そこら中にあるのは居酒屋だろうか。明かりの中からは楽しそうな笑い声が聞こえてくる。彼はそんな明かりから遠ざかるように、指定されたベンチへと向かった。
「……誰かいるな」
指定されたベンチには二十代程度の男性が二人、腰掛けていた。友人を待ち合わせているように見えるが、二人はそれほど親しそうには見えない。待ち合わせ場所が偶然かぶってしまっただけなのだろうか。
「なんか気まずいな」
自分の目的地もそこだというのに、すでにそこには人がいる。その上自分の用事は口外することもはばかられる怪しい仕事。一体どうした物かと立ち尽くしていると、ベンチに腰かけている男性の内一人が、橋本の方へ振り向いた。
「お前、ここに呼ばれたのか?」
初対面の相手だというのに、敬語すら使えない男。橋本はそんな相手に礼儀を尽くすつもりもなく、「お前には関係ねえだろ」と突き放す。だが。
「関係あるんだよ。お前、『社長』に頼まれてここに来たんだろ?仕事の内容も知らされずに。……俺たちも同じなんだよ」
「……報酬の額は?」
「二百万。全員同じだと思うぜ」
ちょうどその時、ベンチに腰かけていた男のスマホが着信音を鳴らす。彼は黙って電話に出ると、立ち話していた橋本達に対し、「こっちに来い」と告げた。彼は電話のスピーカー機能をオンにする。
『皆さんそろいましたね。それも時間通りに』
「……『社長』か。俺以外の二人は何だ?同僚ってところか?」
『そうですね。これからやっていただく仕事は、一人ではかなり難しいでしょうから』
電話先の声がそう告げると、なぜか突如電話が切られる。彼らが戸惑う暇もなく、橋本に声をかけて来た男のスマホが通知音を鳴らした。
『これからはメッセージアプリで会話します。聞かれたらまずいのでね』
『皆さんには、とある家を襲ってもらいます』
「お、襲う……?」
『そこから駅前にある百貨店の方を見下ろしてみてください』
信じがたい言葉に困惑している最中であっても、「社長」は話を続ける。彼らは言われるがまま百貨店前を見下ろすと、黒い大型のワゴン車があった。
『あの車に乗ってください。話の続きはそれから』
『逃げても結構ですが、あなた方の両親がどこに住んでいるかはすでに調べがついていますので。どうか賢い選択を』
ベンチの周りにいる三人は、ただ立ち尽くしていた。スマホの画面から放たれる光が照らすのは、彼らの顔。冷や汗を流し、顔色が悪い。見間違いでなければ、自分たちはこれから人の家を襲わなければならないのだ。動揺するのも致し方のないことではある。だが。
「……早く行こう」
そう言って、ベンチに座っていた男が立ち上がった。
「お前話聞いてなかったのか?他人様の家を襲うって言われたんだぞ」
敬語が使えない男は未だ心が揺らいでいるようであったが、橋本もすでに覚悟を決めていた。
「ならお前は帰れよ。このまますごすご逃げ帰って、親がどうなってもいいならな」
「お前たちは、いいのかよ。他人を……」
「知ったこっちゃねえな。俺は親すらもどうでもいいぜ。ただ金が欲しい、それだけだ。……帰れよ根性なし」
「……ああ。お前みたいな優柔不断な奴がいても足手まといになるだけだ。……早く行こう、いつまでも待たせるわけにはいかない」
橋本と物静かな方の男はそろって百貨店前に止められた大型ワゴンへと向かい始めた。取り残された男は「クソッ」とひときわ大きな声をあげると、彼らの後に続いて歩き始めた。
「……シートベルトをしろ。カーテンは開けるなよ」
大型ワゴンの運転手と助手席にはすでに誰かが乗っていた。すでに深夜だというのに、サングラスもかけている。どうあっても素性を明かすつもりはないようだ。橋本ら三人が後部座席に乗り込むと、ワゴンはゆっくりと動き出した。
「おい、お前」
「……俺か?」
助手席に座っていた男はその場から振り返り、最初にワゴンに乗り込んだ物静かな男を指さした。
「お前の呼び名は今から『A』だ。わかったら返事をしろ」
「わかった」
「その隣、お前は『B』だ」
橋本は「わかった」と返事をする。そして、彼の左隣にいる乱雑な言葉遣いの男は「C」と呼び名を与えられていた。
「目的地に着いたら車を停める。停まったらすぐにバックドアを開けろ。使える道具を入れた鞄がある。中身は同じだし、三つある。焦るなよ」
「……それよりも前に、その家を襲ってどうすればいいのか教えてもらいたいもんだが。何か盗ってくればいいのか?」
目的地に着いた後の段取りを話し始める助手席の男に対し、橋本が口をはさむ。彼は「話してないのか」と面倒そうに髪の毛を掻いた。
「その家には金庫がある。どうにかして中身を手に入れて戻ってこい。いざとなったら金庫ごと持ってきてもいいが」
「その金庫には何が入ってんだ?」
「……それは、お前たちには関係のないことだ」
Cからの質問を冷たく突き放す男。彼はすぐに「余計な気は起こすなよ」と釘を刺して来た。その金庫に入っているのは、彼らにとって重要な物ということだろうか。橋本は頭の片隅でそんなことを考えながらも、それほど興味を示してはいなかった。彼にしてみればどうでもいいことなのだ。ただ約束通り二百万もらえるなら何でもいい。Aも同じ考えらしいが、Cはどうやら違うようだ。
「……マジかよ」
そうつぶやいては貧乏ゆすりを止めようともしない。あまりの落ち着きのなさに、ついに橋本は我慢できなくなった。
「おい、それやめろ。鬱陶しい」
「仕方ねえだろ。そもそもなんでお前らはそんな落ち着いてんだよ。こんなの、落ち着ける訳ねえ。ただの闇バイトじゃねえかこれ!」
「だったらどうする?今ここで降りるか?降りたいなら降ろしてやってもいいが……。お前のご両親は悲しむだろうなあ。息子が犯罪者になっていたなんて知れば」
緊張のあまり声を荒らげるCに対し、助手席の男は親を使った脅しをかける。橋本は勝手に隣の二人を自分と同じ境遇だと思っていたが、どうやらそうではないようだった。Cにとって親はまだ大切な存在らしく、すぐに「わかったよ」と引き下がっていた。
それからの車中は静かなものだった。誰一人として話さず、タイヤがアスファルトの上を進む音だけが聞こえる。……橋本は普段、早い時間に寝てしまう。夜更かしをしたところでできることなどない。ただ余計なことを考えるばかりだからだ。ただ、それが習慣となれば話は別。体は理由も知らず、「もう寝る時間だ」と橋本の頭に呼びかけている。これからやることになるかもしれない荒事に対して緊張する一方、身体が必死に訴える睡魔が彼を襲っていた。
「着いたぞ。降りろ」
突如として車が停まる。荒々しい急ブレーキではあったが、おかげで橋本は睡魔から逃れられたようだ。運転手からの指示で素早く車から降り、言われていた通りにバックドアを開けた。
「これか」
そこには三つの肩掛け鞄が置いてあった。中には懐中電灯にバール、ガムテープ、手のひらサイズよりも少し小さいペイントボールなどが入っていた。
「三十分だ。俺たちはそれだけしか待たん。その間に、金庫の中身を盗って戻ってこい」
助手席の男が窓から顔を出してそう言った。ここからはお前たちだけでやれ、ということだ。橋本がスマホで時刻を確認すると、午後十一時半であった。
「……早く行くぞ。時間がない」
「でも、これは……」
Aが尻込みするのも無理はなかった。目的地である家は、まさに豪邸と称すべき家であったからだ。人の頭ほどまである塀に囲まれた家は、わずかな月明かりで白く照らされている。家に明かりはついていないため、住民はいないか寝ているのだろう。彼らは堂々と正面から押し入った。どうやら防犯カメラの類はついていないらしい。
「おい、ガムテ貼れ。ここだけでいい」
橋本はAに庭に面した窓ガラスの中央部のみにガムテープを貼るよう指示した。その裏には鍵がある。Aがテープを貼り終えると、橋本はバールをテープが貼られた部分に突き立て、体重をかけ始めた。ガラスはミシミシと音を立て、ついに「ビシ」と少しだけ大きな音を立てた。
「よし……」
そのままテープをはがすと、半円の形のようにガラスに穴が開いた。彼はそこから手を入れ、窓ガラスを開け放つ。これで侵入には成功した。あとは、金庫のありかだけだ。
「手分けしよう。お前は上に行ってくれ」
AはCに上階を探すよう指示し、橋本はAと共に一階を探すことになった。……家の内装は外装に劣らず豪華で、ここの住民がどれだけ贅を尽くした生活をしているのか、嫌というほど理解できる。
「……これは、写真か」
橋本が見つけたのは、チェストの上に置かれた写真立てだった。登山服を身にまとった老夫婦がにこやかに映っている。男の方はどこかで一度見たような顔だが、世俗から切り離された橋本が思い出せるはずもない。その写真の隣には、家族写真のようなものも置いてあった。老夫婦に、若い夫婦が二組。さらに彼らの子供らしき子たちが何人か。まさに「一昔前の幸せ」とでもいった所だろうか。彼はそれにつばを吐き、金庫探しを再開した。
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