図書室の少年
その日も、サクラは図書室にいた。通常日曜日は閉館しているが、サクラは勝手に鍵を開けて入り浸っている。
平日よりも休日に来る時のほうが、サクラはより好きだと思った。多くの人が行き交っていても誰も自分を見はしないのだから、いっそ誰もいないほうが心安い。
広い図書室を一人で占領して真ん中の席を陣取ると、すぐに本の世界に引き込まれて全ての音が遠くなる。
昼下がりの日曜日、校舎のどこかで鳴る吹奏楽、校庭の運動部のかけ声、体育館の床のこすれる音。それらを遠くに捨て置いて、サクラは読書に没頭する。
図書室は静寂に包まれていた。
だが頁をめくる音だけが静かに聞こえていたその時――静寂を破って、誰かがガラリと扉を開けた。広々とした空間に、音が大きく響く。
ハッとしてサクラが扉のほうへ目をやると、一人の少年が立っている。
――日曜日でも、図書室を使う生徒がいるんだ。
少年を見やって、ふうんとサクラは思った。そして再び本へ目を戻そうとしたところで、違和感に気づき少年を見直した。
少年はサクラのほうを見ながら、驚いた顔をして扉の前で動きを止めている。いくつかの閲覧席を挟み、二人の距離は十メートルほどある。目と目を合わせたまま、ひと時の時間が流れた。
――私のこと、見てる……?
少年の出で立ちからして、この学園の生徒のようだ。
――どうして? 私のことが見えるの?
疑問がサクラの頭を占める中、先に少年のほうが目線を外した。サクラが清光以外の人間にはっきりと眼差しを向けられたのは、久しぶりのことである。
それは数秒のことだったが、ずいぶん長い間見つめ合ってしまったように感じた。少年も同様に思っているようで、顔を赤くしている。
「……今日って、図書室使えるんですか」
意を決したように、少年はサクラに問いかけた。今度は目線を合わせず下を向いたままで、少しぶっきらぼうな言い方だ。図書室の中には、サクラしかいない。
――やっぱり私が見えてる。私に話しかけてるんだわ。
サクラは驚きながらも、返答に困った。本来なら使用できないが、実際自分は入り込んでしまっている。何とも答え辛く、しどろもどろに適当なことを言った。
「えっと……うん、多分」
それを聞くと少年は図書室の中へ入り、静かに扉を閉めた。手には文庫本を携えている。返却をしに来たようで、まっすぐ文庫の棚へ行き本を戻していく。そしてそのまま別の本を物色し、数冊の本を選んで閲覧席のほうへと戻ってきた。
その姿を目で追っていたサクラは、慌てて自分が読んでいた本へと目を落とす。
少年はサクラと一つ机を開けた、横並びの席に腰を下ろした。サクラは気になって文章が頭へ入ってこず、また少年のほうを盗み見た。
少年はどこか不健康そうな顔色で、心配になるような青白い肌をしていた。カオルのような、透き通った美しい白とは違う。
しかし自然に流した髪の毛や、きちんとアイロンが当てられたワイシャツ、ブラッシングがされているスラックスには、好感がもてる清潔さがあった。
全体的に痩せ型だが、本を持つ手は特に細く骨ばっていて、血管が透けて見えた。
と、ここまで観察して、サクラはあっと思った。
少年が読んでいる本が、先日サクラが読み終えたばかりの本だったからだ。
そこで無遠慮な視線に気づいたのか、少年がサクラの視線に気づき顔を上げた。思わず、今度はサクラから少年に話しかける。
「私、その本読んだばっかり」
少年は突然話かけられたことに驚き、一瞬動揺を見せた。それから言葉を選ぶようにゆっくりと、小さい声で言った。
「これ、前から気になってたんだ。どうだった?」
「すごくオススメ! 内容も文章もきれいで、読みやすくて。同じ作者の本を読んだことがなかったから、今読み始めてるところ」
ほら、とサクラは今読んでいる本の表紙を少年に見せた。
「俺はこの前、そっちを読んだ。それからこっちが気になってて、ようやく今日見つけたんだ」
今度は少年がサクラに、表紙を見せた。
「入れ替わりね! でもごめんね、先に私が読んでたから、読むのが遅くなっちゃって」
「いや、全然。別の本読んでたし。おすすめなら、期待して読むことにする」
少年は、両頬にえくぼを見せてほほ笑んだ。サクラも顔を輝かせる。読後の感想や感動を誰とも語り合うことが出来ず、話したくてうずうずしていたのだ。
「ぜひ! 誰かと感想を話したかったの。私全然、話せる人がいなくって」
「俺もだよ、周りに本読む人がいなくて。他に好きな本とか、作家いる?」
少年は読み始めた本に栞を挟み、サクラの方へ身体を向ける。二人は、同じ思いを共有していた。
サクラも読みかけの本を閉じ、それから二人は今まで読んできた本について語らった。互いが読んでいた本もあればそうでない本もあったが、趣味も話もよく合って、互いが本好きであるということがよくわかった。
「嬉しいな。私、こんなに話が出来たの久しぶり」
サクラは清光と話していた頃を思い出し、喜びつつも少し悲しくなった。
しかしサクラ以上に、少年の周りには読書家がいなかったようだ。俺ははじめてこんなに喋った、と呟く。少年の青白かった頬に、心もち赤みがさしている。
サクラは同じ気持ち、いやそれ以上の気持ちを少年から感じ取り、さらに嬉しくなった。
「そうだ、名前! 今更だけど……私、サクラ」
「……俺は……、シン」
少し言い淀みながら、少年は答えた。
「シン! よろしくね」
サクラは愛くるしい笑みをシンに向けた。
出会いがしらに感じた疑問は、頭から消えてしまっていた。




