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鬼百合と蝶

 

 気づくと図書室の窓の外から西日が射しこみ、影が色濃く伸びている。サクラは強い西日に目を細め、ぱたりと読み終えた本を閉じた。


――清光も、この本を読んだかな。


 清光と内容や感想をあれこれ話していた時のことを思い出して、サクラは思った。


 カオルとサクラが本を読むようになったのは、清光の影響だった。清光は小さい頃から本の虫で、本の続きが気になるからと、遊んでくれないことがままあった。それならば一緒に読もうと言って、清光から本を借りたのが始まりだ。


 少女たちは少しずつ難しい漢字や言葉を覚え、とりわけサクラのほうは本の世界に魅せられた。簡単な童話やファンタジーから始まり、純文学やエッセイも読むようになった。


 少女たちは、たくさんのことを清光に聞いた。清光は答えてくれたり、更に難しいことを言って二人を悩ませたりした。


「カオルももう少し読んでくれたら良いのに」


 独り言ちてサクラは言うと、読み終えた本を戻しに席を立った。

 カオルもたまには本を読むがサクラほど読書が好きなわけではなく、図書室へ来ても本棚の上によじ登ったり、でたらめに本を入れ替えたりするなどして遊んでいた。サクラの勧めた本やきれいな写真集には興味を示すが、読むというより眺めているという方が正しい。


 自習室としても使われている図書室には、放課後もいつも生徒たちが残っている。今日も新年度が始まったばかりだというのに、けっこうな数の生徒たちが使用していた。

 その中をサクラはまるで空気のように自然に溶け込み、学院の生徒のようになじんでいる。途中生徒とすれ違うものの、誰もサクラの姿を注視はしなかった。一般の生徒の中にいたら、嫌でも目立つ美少女であるにもかかわらず。


 サクラは本棚に本を戻し終えると、出入り口の側にあった推薦図書にふと目をやった。大判の図鑑が推されている。

 表紙にはきれいな蝶が花にとまっている写真が使われていた。昆虫と植物とが大きなカラー写真と短い説明書きで紹介されている図鑑のようだった。カオルが好きそうだ、と思って、サクラは図鑑に手を伸ばす。



 図書室を出て学校を後にする頃には、夕陽が間もなく沈むところだった。まだ冷たい春の空気を、橙色に染めている。流れる小川にも夕陽が映り、反射する光が眩しかった。


 サクラが川沿いの桜並木の下を歩いていると、傾斜面の下の緑の川辺に、寝転ぶカオルの姿を認めた。セーラー服が汚れるのも気にせず、水面を眺めるようにころんと横になっている。

 長い髪がばさりと広がって扇形を描き、地面に散らばっている。あまりにぎりぎりの所にいるので、毛先が川面についてしまっていた。川の流れにのって、髪の毛がさらさらと流れている。


「カオル」


 遊歩道から軽い斜面を降りて、サクラはカオルに近づいた。

 カオルが呼ばれたほうを振り返りがてら仰向けになると、髪の毛がさらにばさっと顔にかかった。


「やだ、怖い。お化けか幽霊か死体みたいよ」

 

 きゃ、とふざけてサクラが言った。

 ちょうど沈みかけの夕陽が、カオルの顔を赤く染めていた。


「うるさいなあ、全部同じようなものじゃない」


 口元にかかる髪の毛を気にもせず、カオルが面倒くさそうに言った。普段は真っ白なカオルの頬が夕陽に染まっているためか、どこか艶めかしい美しさを漂わせている。


 サクラも手に持っていた図鑑を置いて、そのままカオルの横に寝そべった。


「何してたの? 私のこと待っててくれたの?」

「オタマジャクシを見てたの。サクラを待ってたのはついでよ」

「オタマジャクシ?」


 サクラも川面に目を向けるが、黒い影は見つけられなかった。


「どこにいたの?」

「サクラがうるさくするから、逃げちゃったわ」

「カオルがいじめたから逃げちゃったのよ、私も見たかったのに」


 頬を膨らませてサクラはカオルに近づくと、そのまますばやく上に乗ってカオルを組み敷いた。

 そして不意にカオルをくすぐり始める。


「やめてやめてサクラ、川に落っこちちゃう! 私が悪かったわ」


 カオルは笑いながらじたばたと手脚をふって、すぐに根をあげた。サクラはそれを聞いて、手を緩める。

 すると今度はすかさずカオルがサクラの上になって、サクラの身動きを封じた。


「嘘よ! 不意打ちはずるいわ」


 カオルはイタズラな笑みを浮かべながら、サクラをくすぐる。


「そっちのがずるい、騙すなんて……」

 

 サクラが悔しそうに笑いながら、声にならない声を上げた。

 少女たちは形勢逆転を繰り返しながら、上になったり下になったりして、けたけた笑い合った。ひとしきり戦いを終えると、互いの恰好を見てまた笑い合った。


「カオル、髪の毛ぼさぼさ」

「サクラは、服がぐっちゃぐちゃ」


 カオルの長い髪の毛は絡まって、寝起きよりもさらに酷かった。サクラのスカートは川面についたのか、水に濡れていて泥がこびりついている。


「見て見て、カオル」


 笑いが収まると、サクラは先ほどほったらかした図鑑を手にとった。


「わ、きれい」


 図鑑を見て、カオルは目を輝かせた。


「でしょう! 絶対カオルが気に入ると思った」

「クロアゲハ、今年はまだ見てない」

「クロアゲハ? この蝶、カラスアゲハっていうんじゃなかったっけ」


 表紙に映る黒い羽を指でなぞりながら、サクラは言った。


「似てるけど違うの。両方とも黒い蝶だけど、カラスアゲハよりクロアゲハのほうが、さらに真っ黒。カラスアゲハは少し青や緑が入ってるのよ」

「へえ、知らなかった。黒いのは全部カラスアゲハかと思ってたわ」

「今度飛んでたら見せてあげる」

「約束ね」


 にこにこしながら、表紙を指してサクラが続けた。


「百合の蜜が好きなのかな?」

「これは鬼百合。近くじゃ咲いてないわね」


 図鑑の表紙に咲く花は、くっきりとした橙色の百合だった。花びらには濃い赤色の斑点が散っている。毒々しいまでに鮮やかな鬼百合だ。

 その蜜を吸おうと止まったクロアゲハの深い黒と、オレンジのコントラストが強く映っている。


 カオルが図鑑をめくると、他にも美しい蝶や花が目に飛び込んできた。


「あ、これカオルが好きな蝶々だ。アオスジアゲハ」


 サクラが、一頭の蝶を指さした。黒色と薄い青緑色の、大きなアオスジアゲハだった。


「色がきれいでしょ。サクラはどれが似合うかなあ」

「たしかにアオスジアゲハはカオルに似合う。私にはどれが似合う?」


 二人は図鑑を眺めながら寝そべって、とりとめもない話に花を咲かせた。

 陽がだいぶ落ちてあたりは薄暗くなってきたが少女たちは当分帰りそうになく、楽しそうに話し続ける。


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