第4話『片鱗』
――暗転。
音も、光も、感覚も消えていく。
深い水の底へ沈むように、意識が遠のいた。
自分という輪郭さえ薄れかけた――その瞬間。
視界が、白く染まった。
「……?」
ティプスタンは目を開ける。
そこは、どこまでも続く白い空間だった。
壁も天井もない。
影すら落ちていない。
ただ、その中央に――ひとりの少女が横たわっている。
「……ミミリル?」
駆け寄り、傍らへ膝をつく。
森で見た傷はない。
血も流れていない。
けれど――動かない。
「ミミリル」
肩へ触れる。
反応はなかった。
呼吸さえ感じられない。
「起きてよ……」
――ピッ。
乾いた音が響いた。
振り返ると、青白い光が一点へ集まり、小さな球体を形作っていく。
手のひらほどの大きさ。
淡く明滅しながら、ティプスタンの前で静止した。
――アクティベーション、コンプリート。
「……なんだ、これは」
無機質な声が、頭の内側へ響く。
――サポートAIユニット、オンライン。
――ユーザー確認。
――個体名称、ティプスタン。
「僕を知ってるの?」
球体は答えず、ミミリルへ光を向けた。
――対象をスキャン。
半透明の文字が宙に浮かぶ。
――対象:ミミリル。
――生命活動、危険域。
――重度損傷。
――生命維持限界まで、残りわずか。
ティプスタンの顔から血の気が引いた。
森での光景が蘇る。
腹を貫かれた小さな身体。
溢れた血。
力なく垂れた耳。
そして――
『……無事か……?』
「僕は……どうすればいいんだ……」
球体が淡く明滅した。
――対象の修復は可能。
ティプスタンが顔を上げる。
「本当!?」
――可能。
――ただし、ユーザーへの負荷は極めて大。
――実行結果は保証できません。
「ユーザーって……僕のことだよね」
わずかな間。
――ユーザー構成、不安定化の可能性あり。
意味は分からない。
ただ、危険なのだということだけは伝わった。
ティプスタンは横たわるミミリルを見る。
生まれて最初に、そばにいてくれた。
一緒に旅をしようと言ってくれた。
そして――自分を庇って傷ついた。
大切な存在。
それだけで十分だった。
「やる」
目の前に、二つの文字が浮かぶ。
【EXECUTE】 【ABORT】
ティプスタンは迷わず【EXECUTE】へ手を伸ばした。
指先が触れる。
――コマンド受理。
――リペアプロトコル、開始。
眩い光が弾け、ミミリルの身体を包み込む。
「っ……!」
同時に、自分の身体の奥から何かを一気に引き抜かれるような感覚が走った。
息が詰まり、膝が崩れる。
「お願いだ……」
意識が遠のいていく。
「ミミリルを……助けて……」
☆
「……ティプスタン?」
ルベッカは、目の前の二人を見ていた。
ティプスタンはミミリルを抱きしめたまま動かない。
その腕の中では、ミミリルの呼吸が今にも途絶えようとしている。
腹部の傷は深く、失血も多い。
この場にある薬草では助けられない。
――手遅れ。
そんな言葉が脳裏をよぎった――直後だった。
白い煙にも似た光が、ティプスタンの全身から溢れ出した。
「……?」
それは二人を包み込み、やがてミミリルの腹部へ集まっていく。
ルベッカの青い瞳が見開かれた。
「これは……」
一瞬、何らかの魔法が発動したのかと思った。
カッ――!
強い輝きが瞬き、消える。
同時に、ティプスタンの身体から力が抜けた。
「ティプスタン!」
ルベッカは咄嗟に二人を支えた。
ミミリルの小さな身体に目を落とし、腹部を確かめる。
「…………」
傷がない。
あれほど深かった傷が、跡形もなく消えている。
そっと胸元へ手を当てた。
温もりがある。
そして――微かな呼吸。
「……生きてる」
張りつめていた息が漏れた。
すぐにティプスタンへ目を向ける。
「ティプスタン?」
頬に触れ、脈を確かめる。
こちらも生きている。
だが、顔色は青ざめ、呼吸も浅かった。
ルベッカは二人を抱えたまま、先ほどの出来事を思い返す。
死にかけていたミミリル。
ティプスタンの身体から溢れ出した、正体不明の光。
そして、その直後に意識を失ったティプスタン。
「一体……何が……」
答える者はいない。
森には、風に揺れる葉の音だけが戻っていた。
☆
「……ん……」
ティプスタンはゆっくり目を開けた。
知らない木目の天井。
ほのかな花の香り。
身体は鉛のように重い。
「……ここ、どこ……?」
なんとか上体を起こし、周囲を見る。
そこで、小さな少女がベッド脇に突っ伏して眠っていることに気づいた。
「……ミミリル?」
布団を握ったまま、上半身をベッドへ預けている。
目の下には薄い隈。
ウサギ耳も力なく垂れていた。
ティプスタンは、その寝顔をしばらく眺めた。
生きている。
ちゃんと息をしている。
「……よかった」
胸の奥に、温かなものが広がる。
そっと肩へ触れた。
「ミミリル」
耳がぴくりと動く。
「……ん……」
緑色の瞳がゆっくり開いた。
「……ティプスタン?」
一瞬の間。
耳が、ぴんっと立つ。
「ティプスタンッ!!」
「うわっ!?」
勢いよく抱きつかれた。
「起きた! 起きたゾ!」
「ミ、ミミリル、苦しいよ!」
「よかった……よかったゾぉ……!」
声が震えている。
ティプスタンは戸惑いながらも、そっと背中へ手を回した。
「心配したゾ! 三日も起きなかったんだからな!」
「……三日?」
「もう目を覚まさないんじゃないかって……」
さっきまで立っていた耳が、しゅんと垂れる。
その姿を見た瞬間――森での光景が蘇った。
「そうだ、ミミリル!」
「ん?」
「傷は!? お腹の傷!」
「ああ、これか?」
ミミリルは服の裾を少し持ち上げた。
「もう何ともないゾ!」
「……ほんとだ」
ティプスタンは目を見開く。
あれほどの傷だったのに、痕すら残っていない。
全身から力が抜けた。
「よかった……」
「だから大丈夫だゾ!」
ミミリルが笑う。
そのとき。
コン、コン。
扉が控えめに叩かれた。
「失礼します」
ルベッカが部屋へ入ってくる。
ティプスタンを見るなり、足を止めた。
「……目を覚ましたのですね」
いつも通りの落ち着いた声。
だが、わずかに表情が緩んだ。
「うん。今起きたところ」
ルベッカはベッドへ近づき、顔色と瞳を確認する。
「気分は?」
「身体が少し重いくらい」
「頭痛や吐き気は?」
「ないよ」
「そうですか」
小さく息を吐く。
「あなたが意識を失ってから三日半です」
「三日半……」
ティプスタンが自分の手を見る。
ぐぅぅぅ……。
腹が大きく鳴った。
「…………」
ミミリルの耳が勢いよく立つ。
「お腹減ってるんだな! すぐにご飯だゾ!」
ルベッカも同意する。
「まずは食事にしましょう」
「……うん」
☆
昼時の食堂は、人の声と料理の香りで満ちていた。
焼けた肉。
煮込み料理。
焼きたてのパン。
三日ぶりに目を覚ました身体には、どれもたまらなく魅力的だった。
「お腹減った……」
「いっぱい食べるんだゾ!」
その途中。
ティプスタンが足を止める。
「……あれ?」
食堂の一角。
山のように積まれた皿の向こうで、一心不乱に肉を頬張る少女がいた。
身体には包帯が巻かれ、顔にも傷あてが貼られている。
褐色の肌。
灰色の狼耳。
見覚えのある顔。
「……あの子」
少女が振り返った。
「おー」
肉を咀嚼しながら、にやりと笑う。
「やっと起きたか」
「君、怪我は大丈夫なの?」
「あんなの、何ともねぇよ」
包帯姿は痛々しい。
だが、本人はまるで気にしていないようだった。
ティプスタンはほっと息を吐く。
「良かった……。僕はティプスタン。君は?」
少女は胸を張った。
「俺様はガミだ!」
「ガミ。よろしく」
「おう!」
席へ着くと、ルベッカが言った。
「彼女には、あのあと二人を街まで運ぶのを手伝ってもらいました」
「え?」
ガミが得意げに鼻を鳴らす。
「俺がお前を運んだ」
「あの傷で?」
「余裕だったぜ」
ティプスタンは素直に頭を下げた。
「ありがとう」
「べ、別に大したことじゃねぇよ」
ガミがそっぽを向く。
尻尾だけが、小さく揺れていた。
しばらくして、料理が運ばれてくる。
ティプスタンは夢中でスープを飲み、パンを頬張った。
温かいものが胃へ落ちるたび、身体に少しずつ力が戻ってくる。
ひと息ついたところで、ルベッカへ顔を向けた。
「そういえば……ミミリルの傷、どうして治ったの?」
ルベッカは一拍置いた。
「私にも分かりません」
「ルベッカにも?」
「ええ。あなたがミミリルを抱きしめた直後、あなたの身体から白い光が溢れました」
「僕から?」
「はい。その光が傷を包み、消えた時には完全に塞がっていました」
ティプスタンの手が止まる。
森。
ミミリルを抱きしめた。
そのあと――
白い場所。
青い光。
何かと話したような。
「……何か、見た気がする」
「何をです?」
「分からない。思い出そうとすると……ぼんやりして」
ミミリルが腕を組む。
「でも、ティプスタンから出た光でウチの傷が治ったんだよな?」
「少なくとも、現象の起点がティプスタンだったことは確かです」
ルベッカが答える。
「ただ、一般的な回復魔法とは違うように思えます」
「回復魔法……」
ティプスタンが呟く。
「そんな魔法もあるの?」
「あります。しかし、これほど極端な治癒をもたらすものを、私は知りません」
「じゃあ――」
ミミリルが嬉しそうに身を乗り出す。
「ティプスタンには、傷を治せる力があるのかもしれないゾ!」
「僕に……?」
自分の手を見つめる。
「そんな力が……」
「すごいゾ!」
「そ、そうなのかな……」
照れくさくなり、頭をかく。
その向かいで、ルベッカだけは静かにティプスタンを見ていた。
その表情には、まだ何か引っかかるものが残っているようだった。
「そうだ!」
ティプスタンが顔を上げた。
「依頼はどうなったの?」
「薬草採取は失敗です」
「……だよね」
「ですが、遺失物の捜索三件は達成しました」
「えっ?」
「猫目石、銀の腕輪、真珠の首飾りです」
「全部!? 見つかったの?」
ルベッカがガミを見る。
「彼女が持っていました」
「ガミが?」
「ああ」
ガミが肉を頬張りながら答える。
「森で拾った」
「そうだったんだ」
「光るもんが落ちてたら、とりあえず拾うだろ」
「そう……なのかな?」
ティプスタンは首を傾げた。
「ガミが譲ってくれたので、三件分の報酬を受け取れました」
ルベッカが続ける。
「宿代や治療費に充てています」
「ガミ、ありがとう」
「大したことじゃねぇよ」
そっぽを向いたガミの尻尾が揺れる。
「ガミ、照れてるゾ」
「照れてねぇ!」
ガミがミミリルの皿から肉を一切れ奪う。
「あーっ!」
「もーらいっ」
「最低だゾ!!」
ミミリルもすかさずガミのパンを奪った。
「あっ! おいコラッ!」
「仕返しだゾ!」
あっという間に食卓が騒がしくなる。
ルベッカがこめかみを押さえた。
「食事中に争わないでください」
ティプスタンは思わず笑う。
ミミリルが笑っている。
ガミも元気に怒鳴っている。
張りつめていた胸の奥が、ようやく少しだけほどけた。
☆
食後。
四人はそのままテーブルを囲んでいた。
「今後について話しましょう」
ルベッカが切り出す。
「次の依頼?」
ティプスタンが身を乗り出す。
「その前に、森で遭遇した二人についてです」
ティプスタンの表情から笑みが消えた。
あの巨漢。
そして老人。
「私は、あの二人を《アルギオン》だと考えています」
「アルギオン……」
「非常に高い魔力と身体能力を持つ種族です。現存する種族の中でも、最強格とされています」
「最強……」
ティプスタンの脳裏に、顎髭の男の姿が浮かぶ。
一瞬で間合いを詰めた速さ。
ミミリルの身体を、いとも簡単に貫いた腕。
手に汗がにじんだ。
「赤銅色の肌、深紅の瞳、黒い結膜も特徴と一致します。また、ヒューマンを嫌悪する個体も少なくありません」
あの男に向けられた視線を思い出し、背筋が冷える。
「あいつら、いきなり襲ってきたゾ。危ない奴らだゾ」
ミミリルが腹部へ手を添える。
「そこが問題です」
ルベッカが応じる。
「アルギオンは他種族との交流を好みませんが、理由もなく積極的に干渉することも少ない。今回の目的は、ガミが持っていた革袋の中身だったのでしょう」
「やっぱり、あれか」
ガミが呟く。
「恐らくは」
老人が革袋を確認したあと、追撃することなく立ち去った。
そして――
『ガラクタばかりじゃのぉ』
「近頃、アルギオンが何かを探しているという噂があります」
「何か?」
「それは分かりません。ただ、少なくともガミ自身を狙っていたわけではなさそうです」
ガミが鼻を鳴らす。
「俺もそう思うぜ。袋の中見たら、あっさり帰ったからな」
「ええ」
「ただ、今後また遭遇する可能性はあります」
反論する者はいなかった。
「今の私たちには、対処法すらありません。ですので、しばらく方針を変えます」
「方針?」
「依頼を続ける前に、基礎を身につけるべきです。戦う力も、知識も、連携も」
ミミリルが首を傾げる。
「修行ってことかの?」
「そう考えて構いません」
「そんなことできる場所があるの?」
ティプスタンが尋ねた。
「あります」
ルベッカは迷いなく答える。
「安全に生活しながら学べる場所です。つてもあります」
「どこ?」
「受け入れてもらえるか確認してから話します」
「そっか……」
ティプスタンは自分の手を見る。
あの時、自分には何もできなかった。
怖くて足が震えた。
ミミリルが倒れても、どうすればいいのか分からなかった。
彼女は助かった。
けれど、それが本当に自分の力なのかさえ分からない。
「……僕」
三人の視線が集まる。
「強くなりたい」
思っていた以上に、はっきりと言えた。
「もう、目の前で誰かが傷つくのを見てるだけなのは嫌だ」
ミミリルが力強く頷く。
「ウチもだゾ!」
「では、決まりですね」
ルベッカが答える。
そして、ガミへ視線を向けた。
「ガミ。あなたはどうしますか?」
「俺様か?」
「革袋の件は終わったと考えてよいでしょう。ここから先は、あなた自身で決めてください」
「…………」
ガミは腕を組み、しばらく考える。
やがてミミリルへ目を向け、小さく呟いた。
「……お前らまで巻き込んじまったからなぁ」
「ガミ?」
「借りを返さねぇまま、じゃあなって消えるのは気に入らねぇ」
ガミは拳を握った。
「それに――」
牙を覗かせ、にやりと笑う。
「あいつらに負けっぱなしってのも、ムカつく」
「じゃあ……」
ミミリルが尋ねる。
「一緒に来るか?」
「しばらく付き合ってやるよ」
ガミはふんっと鼻を鳴らした。
「俺様も強くなる。次に会ったら、あいつらをぶっ飛ばす!」
「ガミも一緒だゾ!」
ミミリルの耳が嬉しそうに立つ。
ティプスタンは、その様子を見て笑った。
あの時の無力感は、まだ胸に残っている。
だからこそ――
強くなりたかった。
☆5話に続く☆




