第24話『還る灯火 Ⅱ』分割改稿版
骸場の大穴を、クマシゲは落ちていた。
炎が身体を焼いている。
胸が熱い。
喉が焼ける。
それでも、不思議と痛みは遠かった。
意識が、過去へ沈んでいく――
クマシゲは、詩を歌うことが大好きな少年だった。
刻継の里下層で生まれた。
小太りで、動きは鈍く、鼻は少し吊り上がり、目は細かった。
声も、お世辞にも綺麗とは言えなかった。
それでも、歌うことが好きだった。
詩を覚えることが好きだった。
誰かのために、声を届けることが好きだった。
いつか。
男でも立派な詩紡ぎになる。
そう、心に決めていた。
「男が詩紡ぎ? 気持ち悪っ」
「その顔と声で詩紡ぎとか……ないわ〜」
「みっともないからやめろ!」
笑う者もいた。
馬鹿にする者もいた。
けれど、クマシゲはめげなかった。
当時、夢中で読んでいた冒険譚の本の主人公は、どれほど周りから馬鹿にされても、決して諦めなかった。
だから、自分も諦めない。
自分も、いつか誰かを支える主人公になる。
勇者のように。
そう思えば、つらくはなかった。
そんな中で、ひとりだけ違う大人がいた。
ユキナガ。
刻継の里上層の里長。
青白い肌と、青い長髪、青灰色の瞳を持つネクロクレイマンの男。
ユキナガだけは、にこにこと笑って言ってくれた。
「それは凄い。楽しみですねぇ」
その一言が、嬉しかった。
胸の奥が、熱くなった。
ユキナガは、自分と自分の夢を馬鹿にはしなかった。
この人を支える立派な詩紡ぎになりたい。
いつしか、そう思うようになった。
クマシゲは必死に詩を練習した。
同時に、ユキナガを支えるため、役人の仕事も学ぼうとした。
ある日。
ユキナガの紹介で、角鱗族の詩紡ぎだという歌姫に会うことができた。
柔らかな雰囲気の女性だった。
ふくよかで、あたたかくて。
声は、水のように優しかった。
クマシゲは、その歌姫に相談した。
自分の声が嫌いだと。
詩紡ぎになりたいのに、自分の声では誰も聞いてくれないのではないかと。
歌姫は、少しだけ考え、それから微笑んだ。
「クマシゲちゃん。詩っていうのはね。心で歌うんだよ」
「心で……?」
「そう。大切な人を心から想って歌えば、それで良い。それが良いの」
「想うって、恋人みたいな感じですか?」
「う〜ん……どっちかっていうと、大切な人の幸せを心から願う感じね」
その言葉を、クマシゲはずっと覚えていた。
覚えていたはずだった。
大穴を落ちながら、クマシゲは小さく呟いた。
「ああ……」
炎の中で、声が漏れる。
「あの時の歌姫は、ユハ様でしたか……」
不思議なものですねぇ。
そう呟こうとして、喉が鳴らなかった。
(まあ……ユハ様も、私のことなんて覚えていないようでしたし……)
お互い様ですね。
そう思った。
記憶は、さらに流れる――
変わらず、クマシゲを馬鹿にする者は多かった。
コイツには、何を言ってもいい。
コイツなら、何をしてもいい。
みんなが馬鹿にしているなら、自分も馬鹿にしても許される。
そんな空気が、周りに漂っていた。
ある日。
クマシゲの食事に、毒草を混ぜた者たちがいた。
口に含むと、軽い麻痺状態になる毒草。
子供たちは遊びで、葉を一枚だけ口にすることがあった。
だが、量を間違えれば危険な草だった。
彼らは知らなかった。
いや。
知ろうとしなかった。
毒草の葉をすり潰し、どろりとした液体をクマシゲの食事へ混ぜた。
その日から。
クマシゲは、歌えなくなった。
喉が焼けるように痛み、声が潰れた。
声にならない声で泣き叫んだ。
もう一度歌いたい。
もう一度、詩を口ずさみたい。
そう願っても、喉は戻らなかった。
それでも、時は残酷に流れた。
クマシゲは、詩紡ぎになる夢を失った。
だが、ユキナガを支えるという目標だけは捨てなかった。
死に物狂いで学んだ。
何かに取り憑かれたように、座学に打ち込み、里の仕組みを理解した。
そして、十五歳という若さで、上層の役人へとのし上がった。
そこで、気づいた。
今まで自分を馬鹿にしてきた連中が、手のひらを返すように頭を下げてきた。
「クマシゲ様」
「クマシゲ様、さすがです」
「昔から、あなたは違うと思っておりました」
作り笑顔。
算段の滲む媚び。
魂胆の透けた称賛。
すべてが気持ち悪かった。
(なんだ? こいつらは)
(こんな奴らに……私は夢を奪われたのか?)
怒りが込み上げた。
詩を失ったクマシゲには、歪な目標だけが残った。
ユキナガ様を支える。
ユキナガ様に認められる。
そのためなら、何でもする。
刻継の里の民を想う気持ちは、いつの間にか心から消えていた。
そんなある時。
禁足地調査で向かった、円環の石畳のある遺跡で、クマシゲは二人の男に出会った。
ひとりは、赤銅色の肌と深紅の瞳を持つアルギオンの老人。
長い白髪と白髭。
片眼鏡。
杖をつき、腰を曲げた、弱々しい老爺の姿。
だが、その場に立つだけで、空気が重く沈むような異様な存在感を放っていた。
名を、ラウンセン。
もうひとりは、その背後に控える青年。
褐色の肌。
鋭い茶色の瞳。
人形のように、感情を失った顔で、静かに立っていた。
カグロイ。
ラウンセンは、クマシゲに魔石を用いた技術を提供した。
その代わりに、禁忌石の生成を命じた。
カグロイは監視役として、クマシゲの部下となった。
のちにカグロイは、屍術師としての技術と知識をクマシゲに与えた。
魔石技術は革新的だった。
水路。運搬。防衛。採掘。薬草加工。
刻継の里の生活水準は、飛躍的に向上した。
クマシゲは一気に出世した。
誰もが、クマシゲを一目置くようになった。
もはや、クマシゲに逆らう者など里にはいなくなった。
だが。
そんな時、ユキナガが病に倒れた。
「禁忌石は、どんな願いも叶える」
ラウンセンは、そう言った。
クマシゲは禁忌石生成を急いだ。
だが、間に合わなかった。
ユキナガは死んだ。
クマシゲは、ユキナガの死体を残した。
いつか、禁忌石で完全に生き返らせるために。
ユキナガを上層の里長として祀り続けた。
死体を操り、里を支配した。
下層が病で苦しもうが。
五精霊の呪怨に侵されようが。
クマシゲは何とも思わなかった。
それは、ユキナガへの生贄だと思っていた。
やがて、クマシゲ自身も火の呪怨に侵された。
胸を灼く痛み。
止まらない熱。
身体の奥で燃え続ける炎。
その苦痛から逃れるため、さらに禁忌石へ執着した。
魔石生成を理由に、部下たちへモンスターの討伐を命じた。
病や呪怨で倒れた者たちも、命じるまま大穴へ捨てさせた。
骸場は、ちょうどよい処分場だった。
同時に、屍術師としての経験を積むには、最適な場所だった。
人間に限らず。
モンスターの解剖を繰り返し、死体を操り、構造を学んだ。
知識と経験を積み重ねるたびに、クマシゲは自分の人生の最初の目標を、押し殺すように忘れていった。
そして。
邪の道へ進んだ。
だが――
ティプスタンの姿を見た。
震えながらも、大切な人のために、前に出る少年。
ユハの詩を聞いた。
大切な人の幸せを願う詩。
その二つが、クマシゲの奥底に沈んでいたものを呼び起こした。
——なぜ、自分はこちら側にいる?
——私は……彼らのようになりたかったのではないのか?
その疑問が、クマシゲを最後に人として繋ぎ止めた。
落ちていく。
炎に包まれながら。
骸場の大穴を。
クマシゲは、幼い頃に夢中で読んだ冒険譚を思い出していた。
「勇者か……」
焼けた喉で、かすれた声が漏れる。
「勇者ティプスタン……」
クマシゲは、ふっと笑った。
「カッコイイじゃあないですか」
そして。
かつてユハから教わった還浄の詩を、声にならない声で口ずさんだ。
――眠れ 迷い子
止まった願いも
閉ざされた運命も
巡る風は静かに動かし
流れる水は優しく抱いていく
燃え盛る身体は、大穴の闇へと消えていった。
☆
蛇骨の里周辺。
青白い煙とも霧とも思えるものが、砂利場に漂っていた。
雨粒がその霧に触れるたび、じゅっと小さな音を立てて消える。
その中央に、センリョウは立っていた。
いや。
立っているように見えた。
薄紫の皮膚も。
黒い斑点も。
背に繋がった犬型の身体も。
すべてが、白く凍りついていた。
雨粒がその身体に当たり、そこから僅かな煙が立つ。
まるで、ドライアイスの彫刻のようだった。
その少し離れた場所に、クエンティンが立っている。
蒼髪が雨に濡れ、深藍の衣が風に揺れていた。
彼は煙管をくわえ、静かに青い瞳を細めている。
「う〜む」
クエンティンは、煙を吐いた。
「少々冷やしすぎたかねぇ」
強い風が吹いた。
凍りついたセンリョウの身体が、ぐらりと揺れて傾いた。
パキィィンッ!! ガシャァァァン!!
氷像となった身体が、粉々に砕け散った。
薄紫の皮膚も。
黒い斑点も。
犬型の胴体も。
すべてが氷片となって、砂利場へ散らばる。
そこから、ゆらゆらと、青い煙が四方から集まってきた。
「おやおや?」
それは、ゆっくりとクエンティンに向かってきた。
クエンティンを覆い尽くそうとした時だった。
シュルルルル……。
まるで吸い込まれるように、クエンティンの手のひらに青い煙が収束していく。
その手のひらには、小さな卵型の遺物――覇王の卵。
それは、まるで生き物のように、脈動した後、ゆっくりと静まっていった。
クエンティンはそれを見届けると、卵を懐にしまい、煙管をゆっくりと吸った。
「さて、と」
白煙が、口元から流れる。
「向こうも、無事に終わっていると良いのだがねぇ」
雨は、さらに強くなっていく。
骸場。
蛇骨の里。
刻継の里。
玄冥郷に降る雨は、積もり続けた淀みを洗い流すように、静かに大地を濡らしていた。
☆25話に続く☆




