第18話『蠢く異変』
ティプスタンとマー教授が玄冥郷で合流していた頃――
レヴィもまた、同じく玄冥郷へ飛ばされていた。
ただし――
「うおおおおっ! なんなんだよここぉっ!」
小雨の降る森の中を、レヴィは全力で駆けていた。
赤いバンダナは雨に濡れ、短い黒髪に張りついている。
ぬかるんだ地面を蹴るたび、泥が跳ねた。
背後から追ってくるのは、泥をまとった犬のようなモンスターの群れ。
マッドクロウだった。
「しつけーんだよ! こっち来んな!」
レヴィは真鍮の腕輪に触れ、叫ぶ。
「アクセラ!」
腕輪に埋め込まれた小さな紫の魔石から光が走る。
次の瞬間、レヴィの足がさらに速くなった。
倒木を飛び越え、濡れた岩を滑るように駆け抜ける。
枝が頬をかすめ、泥が足を取ろうとする。
それでもレヴィは止まらなかった。
「アニキ! リリネア! マイコー!」
叫んでも、返事はない。
聞こえるのは、自分の荒い息と、泥を跳ね上げる獣たちの足音だけ。
「くそっ……! どこにいんだよっ!」
しばらく走り続けた、その時。
不意に森が途切れた。
視界が開ける。
「……な、なんだ? これ」
レヴィは思わず足を止めた。
目の前には、地面が大きく沈み込んだ円形の窪地が広がっていた。
周囲は高い崖に囲まれ、内側は螺旋状に削られた段々構造になっている。
まるで、巨大なすり鉢の内側を削り取ったような地形だった。
レヴィは、はっとして振り返る。
マッドクロウの群れが、森の縁で立ち止まっていた。
近づいてこない。
泥まみれの体を低くし、唸りながら、その場をうろうろしている。
だが、窪地へ踏み込もうとはしなかった。
怯えているように見えた。
やがて一匹が短く吠える。
それを合図にしたように、マッドクロウたちは森の奥へと去っていった。
「……助かった、のか?」
レヴィは大きく息を吐いた。
膝に手をつき、肩で息をする。
それから、改めて窪地へ目を向けた。
人の気配はない。
――いや。
一人だけ、いた。
中背で、しなやかな体つきの男。
黒と濃茶の革軽鎧に、腰には丸めた鞭を付けている。
短い黒髪には焦げ茶と赤茶が混じり、細い編み込みが控えめに覗いていた。
男は、手にしていた紫色にきらめく石を地面へ落とすと、足で土をかぶせた。
「……魔石?」
レヴィは小さく呟いた。
次の瞬間。
ぎし、ぎし、と木の車輪が軋む音が聞こえてきた。
レヴィは慌てて身を低くし、近くの岩陰へ隠れる。
窪地へ続く一本道から、数人の人影が現れた。
茶色の革鎧を着た兵士らしき五人。
そして、村人のような者たちが数人。
彼らは押しぐるまを引いていた。
その上には、モンスターの死骸が積まれている。
全員、口元を布で覆っていた。
中央にいた男も押しぐるまの音に気づいたらしく、ゆっくりと窪地を上り、彼らと合流する。
レヴィのいる場所からでは、声までは届かない。
けれど、短いやり取りだけで周囲は動き出した。
男が指先をわずかに動かすたび、兵士と村人たちは迷いなく配置につく。
続いて、兵士のリーダー格らしい猫型の獣人の女が前に出た。
大きな猫耳と太い尻尾。
腰には爪状の武器を下げている。
彼女は男と短く言葉を交わすと、四人の兵士と村人たちへ指示を出した。
兵士と村人たちは、押しぐるまを引いて窪地の段のひとつへ向かう。
そこには、石で区切られた小さな区画がいくつも並んでいた。
彼らはモンスターの死骸を下ろし、土を掘り、そこへ埋め始める。
「モンスターを……埋めてる?」
レヴィは眉をひそめた。
ここは墓場なのか。
いや、違う。
村人たちは今度は別の区画へ移動した。
そこでは、すでに埋められていたらしいモンスターの死骸を掘り返していた。
兵士が死骸の状態を確認する。
何かを探しているようだった。
しばらくして、兵士は首を横に振り、中央の穴を指さした。
村人たちは掘り返した死骸を中央の穴へ運び、投げ捨てる。
「なにしてんだ、あいつら……」
レヴィは小さく呟いた。
作業は淡々と進む。
死骸が埋められ、掘り返され、確認され、捨てられていく。
その中心には、先ほどの男がいた。
自分ではほとんど動かない。
だが、誰がどこへ向かい、何をすべきかを、すべて把握しているようだった。
まるで、この窪地そのものを静かに操っているように。
やがて作業が終わると、人々は空になった押しぐるまを引いて、窪地から去ろうとした。
このまま森へ戻れば、またマッドクロウに襲われるかもしれない。
それに、あの連中なら、この土地のことを知っているはずだ。
レヴィは唇を結ぶと、赤いバンダナへ手を伸ばした。
見知らぬ土地。
見知らぬ人々。
正体を隠す必要がある。
それは、レヴィがこれまで生き延びてきた中で身につけた処世術だった。
「スキンヴェイル」
小さく詠唱する。
バンダナに埋め込まれた紫の魔石が淡く光った。
赤い布は白へと変わる。
褐色の肌も、尖った耳も、見た目の上では隠れていく。
レヴィは、どこにでもいそうなヒューマンの村人の少年の姿になった。
そして、息を殺して彼らの後をつけた。
☆
刻継の里、下層。
レヴィは里の入口に立っていた。
そこは、深い霧の底に沈んでいるような場所だった。
湿った空気が重く漂い、足元には踏み固められた土と石畳が入り混じっていた。
ところどころに浅い水たまりがあり、薄い空をぼんやりと映していた。
建物は、木と石を組み合わせた簡素な造りだった。
歪みや補修跡が多く、布や革で補強された壁も目立つ。
どれも古く、質素で、使い込まれている。
道端では、何人もの住人が薬草らしき葉を仕分けていた。
軒先には束ねられた草や根が吊るされ、小さな石臼を抱えた老人が、黙々と薬草をすり潰している。
すり鉢の中で、緑色の汁がどろりと滲む。
青臭く、少し苦い匂いが、雨の湿り気に混じって里全体へ薄く広がっていた。
さらに、里のあちこちでは魔石を利用した魔導具が使われていた。
水汲み場では、紫色の魔石を組み込んだ揚水具が低く唸り、水を汲み上げている。
軒先では、湿気を払うための小さな送風具が回り続け、干された薬草を乾かしていた。
薬草を煮出す大鍋の下では、魔石式の火種具が一定の火力を保っていた。
古びて貧しい里だった。
だが、その暮らしは、こうした魔石魔導具によって、どうにか支えられている。
レヴィにも、それだけは分かった。
人の姿はある。
だが――活気はない。
喧騒もない。
包帯を巻いた者。
壁に手をつきながら歩く者。
顔色の悪い子供を抱き、薬湯らしき器を口元へ運ぶ女。
腕や首元に、奇妙な痣のようなものを浮かべた者もいる。
それが傷なのか、病なのか、レヴィには分からなかった。
だが、ここにいる人々の多くが、何かを抱えながら生きていることだけは分かった。
ふと、レヴィは頭上を見上げた。
霧の向こうに、上層の里がぼんやりと浮かんでいた。
まるで蜃気楼のように。
遠く、淡く。
「どうしたんだ?」
「ひゃっ!」
背後から声をかけられ、レヴィはびくりと肩を跳ねさせた。
振り向いた瞬間、すぐ背後に人影があった。
先ほど窪地の中央にいた男だ。
明るい茶色の瞳が、まっすぐにレヴィを見すえている。
「い、いや、その……」
レヴィは言葉に詰まった。
不意に――
ガシャンッ!
何かが割れる音が、里の通りに響いた。
レヴィが振り返ると、少し離れた場所で女の子が倒れていた。
そばには割れた水瓶が転がり、水が土の上に広がっている。
人だかりができ始めていた。
「どうした!」
男が駆け出す。
「カグロイさん!」
里の者が叫んだ。
男の名は、カグロイというらしい。
レヴィも思わずその後を追った。
人混みの隙間から覗き込む。
カグロイに抱きかかえられた女の子は、苦しげに胸を押さえていた。
その胸元には、奇妙な印が浮かんでいる。
「……っ!」
レヴィは息を呑んだ。
精霊の呪印。
ルベッカの胸に刻まれていたものと、同じ――。
そして、その少女の症状もまた、ルベッカと同じ重症化の兆しを見せていた。
「ちょっと、通しとくれ」
人混みをかき分けて、年老いた女が現れた。
低い背丈にがっしりとした体つき。
深い皺の刻まれた顔と、鋭い眼差し。
周囲の者たちが慌てて道を開ける。
「イワネ様!」
そう呼ばれた女は、迷いのない足取りで倒れた女の子のもとへ歩み寄ると、その場にどしりと膝をついた。
そして懐に手を差し入れ、一枚の札のようなものと、中指ほどの平たい水晶板を取り出した。
五渦の識晶。
イワネがそれを女の子の指に触れさせる。
すると、透明だった板が淡く光り、薄い青色に変わった。
板の表面に、文字らしきものが浮かんだが、よく見えない。
「アクアの呪怨だね」
イワネは、どこかほっとしたように言った。
そして次に、札を女の子の胸元の呪印へ貼りつける。
札の先端を、びりっと破った。
その瞬間、札に白い光が走った。
「……!」
苦しんでいた女の子の呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
胸元に浮かんでいた呪印も、わずかに薄くなった。
レヴィは目を見開く。
(なんだ、あれ……)
「これで、しばらくは大丈夫だね」
イワネが言うと、駆けつけたらしい女の子の母親が、何度も頭を下げた。
「ありがとうございます、ありがとうございます……!」
イワネは静かに頷き、カグロイと共にその場を離れていく。
残された里の者たちは、小声で話す。
「あれが水で、まだ助かったべ……」
「んだな……火か水なら、まだな。他のだったら――」
男はそこで言葉を濁した。
「禁足地じゃあ、また獣が増えてるらしいべ」
「蛇骨の連中も、最近は焔芯草の採取に入れねぇって話だ」
「焔芯茶も、前ほど出回らなくなったなぁ……」
レヴィには、彼らが何を言っているのか分からなかった。
だが、ひとつだけ分かった。
あの札があれば。
あれがあれば、ルベッカを助けられるかもしれない。
レヴィは息を殺し、イワネとカグロイの後を追った。
声が聞こえて、なおかつ見つからない場所まで近づく。
「還元符の数が残り少ない」
イワネの声だった。
「はい。明日、蛇骨の里へ向かいます。ただ、問題がありまして」
「交易品だね」
「はい。あまり用意できていません。上層にも協力を願いましたが、難しそうです」
「仕方ないね。これ以上の猶予はない。明日、出発しとくれ。人手はできるだけ増やす」
「しかし、里の守りが手薄になりませんか?」
「仕方ない。一刻の猶予もないからね」
そこで、イワネとカグロイは別れた。
レヴィは物陰で腕を組む。
(蛇骨の里……還元符……)
何が何だか分からない。
だが、ルベッカを助ける手がかりが、そこにある。
そう直感していた。
☆
翌朝。
ティプスタンとマー教授は、ローワンの案内のもと、刻継の里下層へ向かっていた。
霧が深く、空気は湿っている。
上層の整った道とは違い、下層へ続く道はぬかるみが多かった。
途中の分かれ道で、二十人ほどの小隊とすれ違う。
先頭に立っていたのは、黒と濃茶の革軽鎧を着た男だった。
二頭の長い毛並みの牛が、二つの押しぐるまを引いている。
荷台には、布で包まれた荷や木箱がいくつも積まれていた。
乾燥薬草らしき束に混じって、金具付きの木箱や、厚布で厳重に巻かれた長物まで見える。
男はローワンに軽く会釈した。
ローワンも同じように返す。
小隊が去ってから、マー教授が尋ねた。
「あの方は?」
「下層の里長、イワネ様の腹心のカグロイです」
ティプスタンは遠ざかる小隊の背を見つめた。
下層へ向かう道の先からは、薬草の青臭い匂いが漂ってきていた。
☆
イワネは囲炉裏の前で座布団に座りながら、ティプスタンたちの話を黙って聞いていた。
囲炉裏の火が、ぱちりと小さく爆ぜる。
マー教授が静かに口を開いた。
「探している者が二人います。ひとりは赤いバンダナを巻いた少年。もうひとりは、ピンク色の髪をした女の子です」
イワネは腕を組み、目を細めた。
「赤いバンダナの子は……見覚えがないねぇ。ピンク? ああ、ピンクの子なら昨日ここへ来たよ」
「本当ですか!」
ティプスタンとマー教授は、思わず顔を見合わせた。
その時だった。
家の外から、どすん、どすん、と重い足音が近づいてくる。
「イワネばあちゃーん! 荷物、ぜんぶ運び終わったべー!」
明るい声と共に、入口の布が勢いよくめくられた。
現れたのは、ひときわ大柄な女だった。
薄い桃色の肌に、額から伸びる短い赤紫色の角。
焦げ茶色の短いくせ毛がふわりと跳ね、赤い瞳が人懐っこく輝いている。
黒と濃紺を基調とした山岳民族風の衣装には、赤糸と金糸による幾何学模様が施されていた。
肩を大胆に露出した着崩し気味の装いは、豪快さの中にどこか素朴さも感じさせる。
耳元では、虹色に輝く菱形の宝石が揺れていた。
女は大きな荷袋を片手で軽々と担いだまま、にかっと笑った。
「モモネ。ちょうどいいところに戻ったね」
イワネが言う。
「あんたの探していた仲間が見つかったよ」
「本当けっ!」
モモネと呼ばれた少女は、赤い瞳を丸くした。
イワネがティプスタンとマー教授を指差す。
「「「誰!?」」」
三人同時に叫んでいた。
☆
「ほんとけ!?」
「あ、はい。僕たちも昨日、気づいたら玄冥郷にいて……」
「オラもだ! 仲間と一緒にいたはずなのに、急に変な場所に飛ばされて、気づいたらこの里の近くだったんだべ!」
モモネはケロッとした様子で言った。
「モモネさんも、仲間を探しているんですか?」
ティプスタンが尋ねる。
「んだ。クエンティン様と、マリを探してるんだべ」
モモネは胸元へ手を当てた。
「クエンティン様は、オラの大事な人なんだ。絶対、見つけねぇといけねぇ。マリはついでだ」
「ついで……」
ティプスタンは苦笑した。
マー教授がモモネへ尋ねる。
「やはり、モモネさんも皆既日食の時に転移ポータルの上にいたのですか?」
「転移ポータル?」
「円環状の石畳のような場所です」
「ああ! んだんだ!」
モモネは大きく頷いた。
マー教授は腕を組み、考え込む。
「やはり、なんらかの転移現象が原因か……」
ローワンの表情も険しくなった。
「玄冥郷で、このようなことが立て続けに起きるとは……」
イワネは囲炉裏の火を見つめながら、静かに息を吐いた。
「厄介なことになってきたねぇ」
その空気を切り裂くように、
ひとりの男が、息を切らしてイワネの家へ駆け込んできた。
「イ、イワネさん、てぇへんだ!」
「どうしたんだい」
「骸場に、モ、モンスターが現れただっ!」
男は肩で息をしながら、必死に訴える。
「なにっ!」
イワネとローワンの表情が変わった。
「今まで、怯えて近づいてこなかったはずだが……」
ローワンが低く呟く。
男はイワネから水を一杯もらい、それを飲み干してから続けた。
「た、ただのモンスターでねぇ! アンデッドだ! 骸が動きだしただっ! 今、フラットが応戦してるが、兵士の数が足りねぇ!」
その場の空気が一気に張り詰めた。
☆
「ハァ、ハァ……なんだコイツ……」
段々沈層窪地。
通称、骸場にて。
巨大な円形の窪地の中で、フラットは一体のアンデッドモンスターと対峙していた。
骸場でモンスターの死骸がアンデッド化すること自体は珍しくない。
体内に魔鉱石を宿した骸は、稀に動き出す。
だからこそ、この骸場では厳重な管理をしていた。
仮にアンデッド化しても、魔鉱石程度では活動時間は限られる。
放っておけば、すぐに動かなくなるはずだった。
動きも鈍い。
本来なら、たいした脅威ではない。
――そのはずだった。
だが、目の前のアンデッドは一向に動きが鈍くならない。
しかも――。
「こんなモンスター、見たことねぇぞ……!」
それは、これまで骸場に埋めた死骸ではなかった。
全身に岩をまとった熊型モンスター。
小型種のストーンベア。
そのアンデッドだった。
フラットは舌打ちする。
両手に装備した爪の魔導具に、紫色の光が走った。
「はぁっ!」
ガガッ、ガリィィッ!
爪が石の外皮を削る。
だが、浅い。
硬すぎる。
体内に動力となる魔鉱石があるはずだ。
それを取り出せば止まる。
分かってはいる。
だが、肝心の身体を削れない。
直後。
アンデッドストーンベアの背後で、土がぼこりと盛り上がった。
中から、もう一体のストーンベアが這い出してくる。
「ウソだろ……」
フラットは呟いた。
それもまた、アンデッドだった。
二体のアンデッドストーンベアが巨体を揺らす。
次の瞬間、二体が同時にフラットへ襲いかかった。
「くっ……!」
足に力が入らない。
膝が落ちる。
だが、その直前。
ティプスタンとローワンが、フラットの前へ飛び込んだ。
先行するアンデッドストーンベアの側面から、ローワンが大盾で突進する。
ドッ! ズガガッ!
そのまま横へ引きずるようにして、フラットから引き離す。
次いで、もう一体のアンデッドストーンベアが突進してくる。
ティプスタンは小盾を構えた。
「インスクリプト・ヴァーミリオン!」
深紅のマントから赤い光が走り、ティプスタンの身体に淡い赤のオーラが宿る。
直後。
ドゴンッ!
鈍い音が窪地に響いた。
「ぐっ……!」
ティプスタンはアンデッドストーンベアの突進を、真正面から盾で受けた。
足元がじりじりと後退する。
本来なら、ここは《盾刃流し》で突撃をそらし、攻撃へ転じる場面だった。
だが、背後にはフラットがいる。
そらせば、フラットに当たる。
だからティプスタンは、守りに徹した。
魔力ゼロの少年。
今までのティプスタンなら、不可能な行動だった。
けれど、今の彼は疑似魔力によって、身体を強化している。
そして――。
「やっぱり、硬い……!」
ティプスタンが呟く。
それは、アンデッドストーンベアのことではない。
緋幻紋の盾。
断魔素材で作られた丸い小盾。
星火祭で手に入れたこの盾は、レプリカでありながら、異様なほど頑丈だった。
あの時、ガミは言った。
『なんだこれ? 軽すぎだろ。すぐ壊れんじゃねーか? ちょっと強度試してやるよ』
『や、やめて〜!』
泣きそうな声をあげるティプスタンを、ミミリルとルベッカが左右から押さえていた。
『戦場で脆さを知ってからでは、命取りになります』
ルベッカは冷静にそう言った。
『思いっきりいくぜ!』
『どうぞ』
ガミが本気で踏みつけても、緋幻紋の盾はびくともしなかった。
だからこそ、今この無茶ができている。
普通の盾だったら、こうはいかなかっただろう。
「ティプスタン殿っ!」
離れた場所でアンデッドストーンベアを押さえながら、ローワンが叫ぶ。
「アンデッドは体内に魔鉱石を宿します! それが動力源です! 破壊しなければ止まりませんぞ!」
「は、はい!」
だが、どこに魔鉱石があるのか分からない。
そもそも、ティプスタンにとってアンデッドとの戦闘は初めてだった。
それでも、やるしかない。
ティプスタンは盾をわずかに下げた。
アンデッドストーンベアの顎下へ滑り込むようにして、低く構える。
防御から反撃へ。
力を足に流し、腰へ乗せ、肩へつなぐ。
小盾を、打撃武器として跳ね上げる。
皇流短剣盾術――《盾天衝》
ゴガッ!
緋幻紋の盾が、アンデッドストーンベアの顎を下から突き上げた。
巨体の頭部が跳ね上がる。
その瞬間。
ティプスタンの視界に、腹部で鈍く光る紫色が映った。
(そこだっ!)
体勢を立て直し、攻撃へ転じる。
皇流短剣盾術――《返し牙突》
ドシュッ!
直継の刃が、アンデッドストーンベアの胸元へ突き出される。
だが。
「くっ……!」
狙いが外れた。
まだ、ティプスタンは直継を使いこなせていない。
重心がぶれた。
刃は魔鉱石のすぐ横をかすめただけだった。
その時。
背後から影が飛び出す。
フラットだった。
両手の爪状魔導具に紫の光が走る。
「ふせろっ!」
フラットの声に、とっさにしゃがむティプスタン。
《スラッシュクロウ》
フラットは低く踏み込み、アンデッドストーンベアの腹部へ爪を振り抜いた。
バシュッ!
鋭い斬撃が、石の外皮の隙間をえぐる。
次の瞬間、紫色の石がアンデッドストーンベアの腹部から弾き飛ばされた。
アンデッドストーンベアの動きが鈍る。
巨体がぐらりと揺れ、その場でぴくぴくと痙攣した。
「これで、残留魔力が尽きれば骸に戻る」
フラットは息を切らしながら言った。
「助かりました!」
「こっちもな!」
ティプスタンはすぐにローワンの方へ視線を向けた。
ローワンは、アンデッドストーンベアをかなり離れた場所へ誘導している。
その間に、窪地に取り残された里の人々が急いで避難していた。
ティプスタンがローワンに加勢しようとした、その時。
ぼこっ。
ぼこっ、ぼこっ。
地面が盛り上がった。
新たに三体のアンデッドマッドクロウが、土の中から這い出してくる。
「まだいるのっ!?」
「どうなってんだよ、いったい……!」
フラットが顔をしかめる。
次の瞬間。
空気が、ぴたりと止まった。
――いや、違う。
押し潰されるような圧が、上空から降りてきた。
雷神降臨――《スターダスト・ダイブ》
ギィン――――。
弦を弾く、甲高い一音。
次の瞬間。
上空で、四方から雷が収束する。
それは、星屑のような黄色い閃光となり、ローワンが相手取っていた一体と、土の中から這い出た三体へ――
同時に叩きつけられた。
ズガガガガァンッ!!
閃光が弾け、雷が爆ぜる。
焼け焦げた臭いが、一気に広がる。
三体のアンデッドマッドクロウは黒く炭化して崩れ落ち、アンデッドストーンベアは焦げた外皮から煙を上げている。
ローワンがすかさず破鎚斧のハンマーの部分を向け、アンデッドストーンベアの頭部を潰すと、紫色の石が飛び出した。
残ったのは、焦げた地面と、まだ痺れるように震える空気だけだった。
マー教授……いや、マイコーの攻撃だ。
雷鳴斧弦ルテウス。
マイコーが手にするその斧型ギターには、雷の余韻がかすかに残っていた。
「す、すげぇ……」
フラットが思わず呟いた。
ティプスタンも息を呑む。
――だが。
ティプスタンは、フラットの背後の土が盛り上がるのに気づいた。
アンデッドマッドクロウ。
まだ一体、残っていた。
「危ないっ!」
考えるより先に、身体が動いた。
ティプスタンはフラットの背後へ飛び込み、地面から跳び出したアンデッドマッドクロウへ体当たりする。
衝撃で、その骸は横へ弾き飛ばされた。
だが、ティプスタン自身も勢いを殺せない。
踏み込んだ足元の土が崩れた。
――足場がない。
視界が、落ちる。
そこにあったのは、骸を処理するための、底の見えない深い大穴だった。
「えっ……」
「おいっ!」
フラットの叫びが響く。
伸ばされた手は、届かない。
ティプスタンの身体はそのまま宙へ放り出され、暗い穴の底へと落ちていった。
☆19話に続く☆




