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第18話『蠢く異変』

 ティプスタンとマー教授が玄冥郷で合流していた頃――


 レヴィもまた、同じく玄冥郷へ飛ばされていた。


 ただし――


「うおおおおっ! なんなんだよここぉっ!」


 小雨の降る森の中を、レヴィは全力で駆けていた。


 赤いバンダナは雨に濡れ、短い黒髪に張りついている。


 ぬかるんだ地面を蹴るたび、泥が跳ねた。


 背後から追ってくるのは、泥をまとった犬のようなモンスターの群れ。


 マッドクロウだった。


「しつけーんだよ! こっち来んな!」


 レヴィは真鍮の腕輪に触れ、叫ぶ。


「アクセラ!」


 腕輪に埋め込まれた小さな紫の魔石から光が走る。


 次の瞬間、レヴィの足がさらに速くなった。


 倒木を飛び越え、濡れた岩を滑るように駆け抜ける。


 枝が頬をかすめ、泥が足を取ろうとする。


 それでもレヴィは止まらなかった。


「アニキ! リリネア! マイコー!」


 叫んでも、返事はない。


 聞こえるのは、自分の荒い息と、泥を跳ね上げる獣たちの足音だけ。


「くそっ……! どこにいんだよっ!」


 しばらく走り続けた、その時。


 不意に森が途切れた。


 視界が開ける。


「……な、なんだ? これ」


 レヴィは思わず足を止めた。


 目の前には、地面が大きく沈み込んだ円形の窪地が広がっていた。


 周囲は高い崖に囲まれ、内側は螺旋状に削られた段々構造になっている。


 まるで、巨大なすり鉢の内側を削り取ったような地形だった。


 レヴィは、はっとして振り返る。


 マッドクロウの群れが、森の縁で立ち止まっていた。


 近づいてこない。


 泥まみれの体を低くし、唸りながら、その場をうろうろしている。


 だが、窪地へ踏み込もうとはしなかった。


 怯えているように見えた。


 やがて一匹が短く吠える。


 それを合図にしたように、マッドクロウたちは森の奥へと去っていった。


「……助かった、のか?」


 レヴィは大きく息を吐いた。


 膝に手をつき、肩で息をする。


 それから、改めて窪地へ目を向けた。


 人の気配はない。


 ――いや。


 一人だけ、いた。


 中背で、しなやかな体つきの男。


 黒と濃茶の革軽鎧に、腰には丸めた鞭を付けている。


 短い黒髪には焦げ茶と赤茶が混じり、細い編み込みが控えめに覗いていた。


 男は、手にしていた紫色にきらめく石を地面へ落とすと、足で土をかぶせた。


「……魔石?」


 レヴィは小さく呟いた。


 次の瞬間。


 ぎし、ぎし、と木の車輪が軋む音が聞こえてきた。


 レヴィは慌てて身を低くし、近くの岩陰へ隠れる。


 窪地へ続く一本道から、数人の人影が現れた。


 茶色の革鎧を着た兵士らしき五人。


 そして、村人のような者たちが数人。


 彼らは押しぐるまを引いていた。


 その上には、モンスターの死骸が積まれている。


 全員、口元を布で覆っていた。


 中央にいた男も押しぐるまの音に気づいたらしく、ゆっくりと窪地を上り、彼らと合流する。


 レヴィのいる場所からでは、声までは届かない。


 けれど、短いやり取りだけで周囲は動き出した。


 男が指先をわずかに動かすたび、兵士と村人たちは迷いなく配置につく。


 続いて、兵士のリーダー格らしい猫型の獣人の女が前に出た。


 大きな猫耳と太い尻尾。


 腰には爪状の武器を下げている。


 彼女は男と短く言葉を交わすと、四人の兵士と村人たちへ指示を出した。


 兵士と村人たちは、押しぐるまを引いて窪地の段のひとつへ向かう。


 そこには、石で区切られた小さな区画がいくつも並んでいた。


 彼らはモンスターの死骸を下ろし、土を掘り、そこへ埋め始める。


「モンスターを……埋めてる?」


 レヴィは眉をひそめた。


 ここは墓場なのか。


 いや、違う。


 村人たちは今度は別の区画へ移動した。


 そこでは、すでに埋められていたらしいモンスターの死骸を掘り返していた。


 兵士が死骸の状態を確認する。


 何かを探しているようだった。


 しばらくして、兵士は首を横に振り、中央の穴を指さした。


 村人たちは掘り返した死骸を中央の穴へ運び、投げ捨てる。


「なにしてんだ、あいつら……」


 レヴィは小さく呟いた。


 作業は淡々と進む。


 死骸が埋められ、掘り返され、確認され、捨てられていく。


 その中心には、先ほどの男がいた。


 自分ではほとんど動かない。


 だが、誰がどこへ向かい、何をすべきかを、すべて把握しているようだった。


 まるで、この窪地そのものを静かに操っているように。


 やがて作業が終わると、人々は空になった押しぐるまを引いて、窪地から去ろうとした。


 このまま森へ戻れば、またマッドクロウに襲われるかもしれない。


 それに、あの連中なら、この土地のことを知っているはずだ。


 レヴィは唇を結ぶと、赤いバンダナへ手を伸ばした。


 見知らぬ土地。


 見知らぬ人々。


 正体を隠す必要がある。


 それは、レヴィがこれまで生き延びてきた中で身につけた処世術だった。


「スキンヴェイル」


 小さく詠唱する。


 バンダナに埋め込まれた紫の魔石が淡く光った。


 赤い布は白へと変わる。


 褐色の肌も、尖った耳も、見た目の上では隠れていく。


 レヴィは、どこにでもいそうなヒューマンの村人の少年の姿になった。


 そして、息を殺して彼らの後をつけた。





 刻継こくけいの里、下層。


 レヴィは里の入口に立っていた。


 そこは、深い霧の底に沈んでいるような場所だった。


 湿った空気が重く漂い、足元には踏み固められた土と石畳が入り混じっていた。


 ところどころに浅い水たまりがあり、薄い空をぼんやりと映していた。


 建物は、木と石を組み合わせた簡素な造りだった。


 歪みや補修跡が多く、布や革で補強された壁も目立つ。


 どれも古く、質素で、使い込まれている。


 道端では、何人もの住人が薬草らしき葉を仕分けていた。


 軒先には束ねられた草や根が吊るされ、小さな石臼を抱えた老人が、黙々と薬草をすり潰している。


 すり鉢の中で、緑色の汁がどろりと滲む。


 青臭く、少し苦い匂いが、雨の湿り気に混じって里全体へ薄く広がっていた。


 さらに、里のあちこちでは魔石を利用した魔導具が使われていた。


 水汲み場では、紫色の魔石を組み込んだ揚水具が低く唸り、水を汲み上げている。


 軒先では、湿気を払うための小さな送風具が回り続け、干された薬草を乾かしていた。


 薬草を煮出す大鍋の下では、魔石式の火種具が一定の火力を保っていた。


 古びて貧しい里だった。


 だが、その暮らしは、こうした魔石魔導具によって、どうにか支えられている。


 レヴィにも、それだけは分かった。


 人の姿はある。


 だが――活気はない。


 喧騒もない。


 包帯を巻いた者。


 壁に手をつきながら歩く者。


 顔色の悪い子供を抱き、薬湯らしき器を口元へ運ぶ女。


 腕や首元に、奇妙な痣のようなものを浮かべた者もいる。


 それが傷なのか、病なのか、レヴィには分からなかった。


 だが、ここにいる人々の多くが、何かを抱えながら生きていることだけは分かった。


 ふと、レヴィは頭上を見上げた。


 霧の向こうに、上層の里がぼんやりと浮かんでいた。


 まるで蜃気楼のように。


 遠く、淡く。


「どうしたんだ?」


「ひゃっ!」


 背後から声をかけられ、レヴィはびくりと肩を跳ねさせた。


 振り向いた瞬間、すぐ背後に人影があった。


 先ほど窪地の中央にいた男だ。


 明るい茶色の瞳が、まっすぐにレヴィを見すえている。


「い、いや、その……」


 レヴィは言葉に詰まった。


 不意に――


 ガシャンッ!


 何かが割れる音が、里の通りに響いた。


 レヴィが振り返ると、少し離れた場所で女の子が倒れていた。


 そばには割れた水瓶が転がり、水が土の上に広がっている。


 人だかりができ始めていた。


「どうした!」


 男が駆け出す。


「カグロイさん!」


 里の者が叫んだ。


 男の名は、カグロイというらしい。


 レヴィも思わずその後を追った。


 人混みの隙間から覗き込む。


 カグロイに抱きかかえられた女の子は、苦しげに胸を押さえていた。


 その胸元には、奇妙な印が浮かんでいる。


「……っ!」


 レヴィは息を呑んだ。


 精霊の呪印。


 ルベッカの胸に刻まれていたものと、同じ――。


 そして、その少女の症状もまた、ルベッカと同じ重症化の兆しを見せていた。


「ちょっと、通しとくれ」


 人混みをかき分けて、年老いた女が現れた。


 低い背丈にがっしりとした体つき。


 深い皺の刻まれた顔と、鋭い眼差し。


 周囲の者たちが慌てて道を開ける。


「イワネ様!」


 そう呼ばれた女は、迷いのない足取りで倒れた女の子のもとへ歩み寄ると、その場にどしりと膝をついた。


 そして懐に手を差し入れ、一枚の札のようなものと、中指ほどの平たい水晶板を取り出した。


 五渦ごか識晶しきしょう


 イワネがそれを女の子の指に触れさせる。


 すると、透明だった板が淡く光り、薄い青色に変わった。


 板の表面に、文字らしきものが浮かんだが、よく見えない。


「アクアの呪怨だね」


 イワネは、どこかほっとしたように言った。


 そして次に、札を女の子の胸元の呪印へ貼りつける。


 札の先端を、びりっと破った。


 その瞬間、札に白い光が走った。


「……!」


 苦しんでいた女の子の呼吸が、少しずつ落ち着いていく。


 胸元に浮かんでいた呪印も、わずかに薄くなった。


 レヴィは目を見開く。


(なんだ、あれ……)


「これで、しばらくは大丈夫だね」


 イワネが言うと、駆けつけたらしい女の子の母親が、何度も頭を下げた。


「ありがとうございます、ありがとうございます……!」


 イワネは静かに頷き、カグロイと共にその場を離れていく。


 残された里の者たちは、小声で話す。


「あれが水で、まだ助かったべ……」


「んだな……火か水なら、まだな。他のだったら――」


 男はそこで言葉を濁した。


「禁足地じゃあ、また獣が増えてるらしいべ」


「蛇骨の連中も、最近は焔芯草えんしんそうの採取に入れねぇって話だ」


焔芯茶えんしんちゃも、前ほど出回らなくなったなぁ……」


 レヴィには、彼らが何を言っているのか分からなかった。


 だが、ひとつだけ分かった。


 あの札があれば。


 あれがあれば、ルベッカを助けられるかもしれない。


 レヴィは息を殺し、イワネとカグロイの後を追った。


 声が聞こえて、なおかつ見つからない場所まで近づく。


「還元符の数が残り少ない」


 イワネの声だった。


「はい。明日、蛇骨の里へ向かいます。ただ、問題がありまして」


「交易品だね」


「はい。あまり用意できていません。上層にも協力を願いましたが、難しそうです」


「仕方ないね。これ以上の猶予はない。明日、出発しとくれ。人手はできるだけ増やす」


「しかし、里の守りが手薄になりませんか?」


「仕方ない。一刻の猶予もないからね」


 そこで、イワネとカグロイは別れた。


 レヴィは物陰で腕を組む。


(蛇骨の里……還元符……)


 何が何だか分からない。


 だが、ルベッカを助ける手がかりが、そこにある。


 そう直感していた。





 翌朝。


 ティプスタンとマー教授は、ローワンの案内のもと、刻継の里下層へ向かっていた。


 霧が深く、空気は湿っている。


 上層の整った道とは違い、下層へ続く道はぬかるみが多かった。


 途中の分かれ道で、二十人ほどの小隊とすれ違う。


 先頭に立っていたのは、黒と濃茶の革軽鎧を着た男だった。


 二頭の長い毛並みの牛が、二つの押しぐるまを引いている。


 荷台には、布で包まれた荷や木箱がいくつも積まれていた。


 乾燥薬草らしき束に混じって、金具付きの木箱や、厚布で厳重に巻かれた長物まで見える。


 男はローワンに軽く会釈した。


 ローワンも同じように返す。


 小隊が去ってから、マー教授が尋ねた。


「あの方は?」


「下層の里長、イワネ様の腹心のカグロイです」


 ティプスタンは遠ざかる小隊の背を見つめた。


 下層へ向かう道の先からは、薬草の青臭い匂いが漂ってきていた。





 イワネは囲炉裏の前で座布団に座りながら、ティプスタンたちの話を黙って聞いていた。


 囲炉裏の火が、ぱちりと小さく爆ぜる。


 マー教授が静かに口を開いた。


「探している者が二人います。ひとりは赤いバンダナを巻いた少年。もうひとりは、ピンク色の髪をした女の子です」


 イワネは腕を組み、目を細めた。


「赤いバンダナの子は……見覚えがないねぇ。ピンク? ああ、ピンクの子なら昨日ここへ来たよ」


「本当ですか!」


 ティプスタンとマー教授は、思わず顔を見合わせた。


 その時だった。


 家の外から、どすん、どすん、と重い足音が近づいてくる。


「イワネばあちゃーん! 荷物、ぜんぶ運び終わったべー!」


 明るい声と共に、入口の布が勢いよくめくられた。


 現れたのは、ひときわ大柄な女だった。


 薄い桃色の肌に、額から伸びる短い赤紫色の角。


 焦げ茶色の短いくせ毛がふわりと跳ね、赤い瞳が人懐っこく輝いている。


 黒と濃紺を基調とした山岳民族風の衣装には、赤糸と金糸による幾何学模様が施されていた。


 肩を大胆に露出した着崩し気味の装いは、豪快さの中にどこか素朴さも感じさせる。


 耳元では、虹色に輝く菱形の宝石が揺れていた。


 女は大きな荷袋を片手で軽々と担いだまま、にかっと笑った。


「モモネ。ちょうどいいところに戻ったね」


 イワネが言う。


「あんたの探していた仲間が見つかったよ」


「本当けっ!」


 モモネと呼ばれた少女は、赤い瞳を丸くした。


 イワネがティプスタンとマー教授を指差す。


「「「誰!?」」」


 三人同時に叫んでいた。





「ほんとけ!?」


「あ、はい。僕たちも昨日、気づいたら玄冥郷にいて……」


「オラもだ! 仲間と一緒にいたはずなのに、急に変な場所に飛ばされて、気づいたらこの里の近くだったんだべ!」


 モモネはケロッとした様子で言った。


「モモネさんも、仲間を探しているんですか?」


 ティプスタンが尋ねる。


「んだ。クエンティン様と、マリを探してるんだべ」


 モモネは胸元へ手を当てた。


「クエンティン様は、オラの大事な人なんだ。絶対、見つけねぇといけねぇ。マリはついでだ」


「ついで……」


 ティプスタンは苦笑した。


 マー教授がモモネへ尋ねる。


「やはり、モモネさんも皆既日食の時に転移ポータルの上にいたのですか?」


「転移ポータル?」


「円環状の石畳のような場所です」


「ああ! んだんだ!」


 モモネは大きく頷いた。


 マー教授は腕を組み、考え込む。


「やはり、なんらかの転移現象が原因か……」


 ローワンの表情も険しくなった。


「玄冥郷で、このようなことが立て続けに起きるとは……」


 イワネは囲炉裏の火を見つめながら、静かに息を吐いた。


「厄介なことになってきたねぇ」


 その空気を切り裂くように、


 ひとりの男が、息を切らしてイワネの家へ駆け込んできた。


「イ、イワネさん、てぇへんだ!」


「どうしたんだい」


骸場がいばに、モ、モンスターが現れただっ!」


 男は肩で息をしながら、必死に訴える。


「なにっ!」


 イワネとローワンの表情が変わった。


「今まで、怯えて近づいてこなかったはずだが……」


 ローワンが低く呟く。


 男はイワネから水を一杯もらい、それを飲み干してから続けた。


「た、ただのモンスターでねぇ! アンデッドだ! 骸が動きだしただっ! 今、フラットが応戦してるが、兵士の数が足りねぇ!」


 その場の空気が一気に張り詰めた。





「ハァ、ハァ……なんだコイツ……」


 段々沈層窪地だんだんちんそうくぼち


 通称、骸場がいばにて。


 巨大な円形の窪地の中で、フラットは一体のアンデッドモンスターと対峙していた。


 骸場でモンスターの死骸がアンデッド化すること自体は珍しくない。


 体内に魔鉱石を宿した骸は、稀に動き出す。


 だからこそ、この骸場では厳重な管理をしていた。


 仮にアンデッド化しても、魔鉱石程度では活動時間は限られる。


 放っておけば、すぐに動かなくなるはずだった。


 動きも鈍い。


 本来なら、たいした脅威ではない。


 ――そのはずだった。


 だが、目の前のアンデッドは一向に動きが鈍くならない。


 しかも――。


「こんなモンスター、見たことねぇぞ……!」


 それは、これまで骸場に埋めた死骸ではなかった。


 全身に岩をまとった熊型モンスター。


 小型種のストーンベア。


 そのアンデッドだった。


 フラットは舌打ちする。


 両手に装備した爪の魔導具に、紫色の光が走った。


「はぁっ!」


 ガガッ、ガリィィッ!


 爪が石の外皮を削る。


 だが、浅い。


 硬すぎる。


 体内に動力となる魔鉱石があるはずだ。


 それを取り出せば止まる。


 分かってはいる。


 だが、肝心の身体を削れない。


 直後。


 アンデッドストーンベアの背後で、土がぼこりと盛り上がった。


 中から、もう一体のストーンベアが這い出してくる。


「ウソだろ……」


 フラットは呟いた。


 それもまた、アンデッドだった。


 二体のアンデッドストーンベアが巨体を揺らす。


 次の瞬間、二体が同時にフラットへ襲いかかった。


「くっ……!」


 足に力が入らない。


 膝が落ちる。


 だが、その直前。


 ティプスタンとローワンが、フラットの前へ飛び込んだ。


 先行するアンデッドストーンベアの側面から、ローワンが大盾で突進する。


 ドッ! ズガガッ!


 そのまま横へ引きずるようにして、フラットから引き離す。


 次いで、もう一体のアンデッドストーンベアが突進してくる。


 ティプスタンは小盾を構えた。


「インスクリプト・ヴァーミリオン!」


 深紅のマントから赤い光が走り、ティプスタンの身体に淡い赤のオーラが宿る。


 直後。


 ドゴンッ!


 鈍い音が窪地に響いた。


「ぐっ……!」


 ティプスタンはアンデッドストーンベアの突進を、真正面から盾で受けた。


 足元がじりじりと後退する。


 本来なら、ここは《盾刃流じゅんじんながし》で突撃をそらし、攻撃へ転じる場面だった。


 だが、背後にはフラットがいる。


 そらせば、フラットに当たる。


 だからティプスタンは、守りに徹した。


 魔力ゼロの少年。


 今までのティプスタンなら、不可能な行動だった。


 けれど、今の彼は疑似魔力によって、身体を強化している。


 そして――。


「やっぱり、硬い……!」


 ティプスタンが呟く。


 それは、アンデッドストーンベアのことではない。


 緋幻紋ひげんもんの盾。


 断魔素材で作られた丸い小盾。


 星火祭で手に入れたこの盾は、レプリカでありながら、異様なほど頑丈だった。


 あの時、ガミは言った。


『なんだこれ? 軽すぎだろ。すぐ壊れんじゃねーか? ちょっと強度試してやるよ』


『や、やめて〜!』


 泣きそうな声をあげるティプスタンを、ミミリルとルベッカが左右から押さえていた。


『戦場で脆さを知ってからでは、命取りになります』


 ルベッカは冷静にそう言った。


『思いっきりいくぜ!』


『どうぞ』


 ガミが本気で踏みつけても、緋幻紋の盾はびくともしなかった。


 だからこそ、今この無茶ができている。


 普通の盾だったら、こうはいかなかっただろう。


「ティプスタン殿っ!」


 離れた場所でアンデッドストーンベアを押さえながら、ローワンが叫ぶ。


「アンデッドは体内に魔鉱石を宿します! それが動力源です! 破壊しなければ止まりませんぞ!」


「は、はい!」


 だが、どこに魔鉱石があるのか分からない。


 そもそも、ティプスタンにとってアンデッドとの戦闘は初めてだった。


 それでも、やるしかない。


 ティプスタンは盾をわずかに下げた。


 アンデッドストーンベアの顎下へ滑り込むようにして、低く構える。


 防御から反撃へ。


 力を足に流し、腰へ乗せ、肩へつなぐ。


 小盾を、打撃武器として跳ね上げる。


 

 皇流短剣盾術すめらぎりゅう・たんけんじゅんじゅつ――《盾天衝じゅんてんしょう


 

 ゴガッ!


 緋幻紋の盾が、アンデッドストーンベアの顎を下から突き上げた。


 巨体の頭部が跳ね上がる。


 その瞬間。


 ティプスタンの視界に、腹部で鈍く光る紫色が映った。


(そこだっ!)


 体勢を立て直し、攻撃へ転じる。


 

 皇流短剣盾術すめらぎりゅう・たんけんじゅんじゅつ――《返し牙突がとつ

 


 ドシュッ!


 直継の刃が、アンデッドストーンベアの胸元へ突き出される。


 だが。


「くっ……!」


 狙いが外れた。


 まだ、ティプスタンは直継を使いこなせていない。


 重心がぶれた。


 刃は魔鉱石のすぐ横をかすめただけだった。


 その時。


 背後から影が飛び出す。


 フラットだった。


 両手の爪状魔導具に紫の光が走る。


「ふせろっ!」


 フラットの声に、とっさにしゃがむティプスタン。


 

《スラッシュクロウ》


 

 フラットは低く踏み込み、アンデッドストーンベアの腹部へ爪を振り抜いた。


 バシュッ!


 鋭い斬撃が、石の外皮の隙間をえぐる。


 次の瞬間、紫色の石がアンデッドストーンベアの腹部から弾き飛ばされた。


 アンデッドストーンベアの動きが鈍る。


 巨体がぐらりと揺れ、その場でぴくぴくと痙攣した。


「これで、残留魔力が尽きれば骸に戻る」


 フラットは息を切らしながら言った。


「助かりました!」


「こっちもな!」


 ティプスタンはすぐにローワンの方へ視線を向けた。


 ローワンは、アンデッドストーンベアをかなり離れた場所へ誘導している。


 その間に、窪地に取り残された里の人々が急いで避難していた。


 ティプスタンがローワンに加勢しようとした、その時。


 ぼこっ。


 ぼこっ、ぼこっ。


 地面が盛り上がった。


 新たに三体のアンデッドマッドクロウが、土の中から這い出してくる。


「まだいるのっ!?」


「どうなってんだよ、いったい……!」


 フラットが顔をしかめる。


 次の瞬間。


 空気が、ぴたりと止まった。


 ――いや、違う。


 押し潰されるような圧が、上空から降りてきた。


 

 雷神降臨らいじんこうりん――《スターダスト・ダイブ》


 

 ギィン――――。


 弦を弾く、甲高い一音。


 次の瞬間。


 上空で、四方から雷が収束する。


 それは、星屑のような黄色い閃光となり、ローワンが相手取っていた一体と、土の中から這い出た三体へ――


 同時に叩きつけられた。


 ズガガガガァンッ!!


 閃光が弾け、雷が爆ぜる。


 焼け焦げた臭いが、一気に広がる。


 三体のアンデッドマッドクロウは黒く炭化して崩れ落ち、アンデッドストーンベアは焦げた外皮から煙を上げている。


 ローワンがすかさず破鎚斧はついふのハンマーの部分を向け、アンデッドストーンベアの頭部を潰すと、紫色の石が飛び出した。


 残ったのは、焦げた地面と、まだ痺れるように震える空気だけだった。


 マー教授……いや、マイコーの攻撃だ。


 雷鳴斧弦らいめいふげんルテウス。


 マイコーが手にするその斧型ギターには、雷の余韻がかすかに残っていた。


「す、すげぇ……」


 フラットが思わず呟いた。


 ティプスタンも息を呑む。


 ――だが。


 ティプスタンは、フラットの背後の土が盛り上がるのに気づいた。


 アンデッドマッドクロウ。


 まだ一体、残っていた。


「危ないっ!」


 考えるより先に、身体が動いた。


 ティプスタンはフラットの背後へ飛び込み、地面から跳び出したアンデッドマッドクロウへ体当たりする。


 衝撃で、その骸は横へ弾き飛ばされた。


 だが、ティプスタン自身も勢いを殺せない。


 踏み込んだ足元の土が崩れた。


 ――足場がない。


 視界が、落ちる。


 そこにあったのは、骸を処理するための、底の見えない深い大穴だった。


「えっ……」


「おいっ!」


 フラットの叫びが響く。


 伸ばされた手は、届かない。


 ティプスタンの身体はそのまま宙へ放り出され、暗い穴の底へと落ちていった。



☆19話に続く☆

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