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第46話 触れられなかった手

 ちり。

 澄んだ音が、遠くで溶ける。


 光が満ちていた。

 無数の燭台が揺れ、金の粒が大広間を照らしている。

 高い天井。磨き上げられた床。弦楽の旋律。

 今宵は、祝宴。

 階段の上に、ルカは立っていた。

 淡い水色の髪が、背を流れている。

 本来なら肩で止まるはずの髪は、今は腰まで柔らかく波打っていた。

 長い。

 隠さなくていい。

 結わなくていい。

 切らなくていい。

 光を受ければ、ほとんど白に見える。

 影に入れば、澄んだ青が滲む。

 それを誇るように、風が揺らした。

 ドレスの裾が、静かに床を撫でる。

 淡銀に近い薄青。

 幾重にも重なる布は軽く、歩けば空気を孕む。

 胸元には王家の紋章。

 隠されることのない、正式な証。

 広間の視線が、すべて集まっている。

 好奇も、嘲りも、疑念もない。

 ただ――祝福。


 ルカは目を逸らさない。

 背筋を伸ばし、顎を上げる。

 堂々と、階段を降りる。

 この足音は、逃げる音ではない。

 この歩みは、隠れるためのものではない。

 玉座の前。

 王が立ち上がる。


「――ルカ」


 柔らかい声だった。

 理を量る冷たさはない。

 ただ、誇らしさがある。


「本日、この子は成人した」


 広間が静まり返る。


「王家の名において、ここに披露する」


 王は、まっすぐにルカを見た。

 揺らがず。

 迷わず。


「我が誇りだ」


 拍手が広がる。

 波のように、祝福が押し寄せる。

 名を呼ぶ声。

 微笑む貴族たち。

 肯定しかない世界。

 胸の奥が、熱を持つ。

 ずっと欲しかった言葉。

 ずっと欲しかった場所。

 否定されない立場。

 隠さなくていい自分。

 喉の奥が震える。

 泣きそうになるのを、誇りで押さえる。


 ――これが。


 ――本来、あるはずだった世界。


 ルカは微笑む。

 作った笑みではない。

 自然にこぼれる笑み。

 胸の奥が、満ちていく。

 溢れそうになるほどに。

 ここにいていい。

 自分は、ここに立っていていい。

 それが、こんなにも――嬉しい。

 

 楽団が調子を変える。

 舞踏の合図。

 ざわめきが、期待を帯びる。

 成人の初舞踏。


 誰を選ぶのか。

 視線を巡らせる。

 探すまでもない。

 すぐに見つかる。

 リアン。

 黒の礼装。

 変わらない穏やかな佇まい。

 その視線が、こちらへ向く。

 目が合う。

 はっきりと。

 逃げ場のない距離で。

 胸が跳ねる。

 高鳴りが、そのまま足先まで駆け抜ける。

 この世界でなら。

 隠さなくていいこの姿でなら。

 彼の隣に立てる。

 対等に。

 堂々と。


 ルカは迷わない。

 ドレスの裾を持ち上げ、一歩踏み出す。

 視線で告げる。

 あなたを選ぶ、と。

 唇が開く。

 その名を呼ぼうとした瞬間。

 リアンの視線が、静かに外れた。

 隣へ。

 そこに立つ少女へ。

 銀の長い髪が、腰まで流れている。

 毛先は淡い紫に溶け、燭台の光を受けて柔らかく輝く。

 澄んだ紫の瞳。

 白と薄紫を基調とした清らかな衣装。

 銀の装飾が、光を返す。

 燭台の光を受け、淡く輝く存在。

 リアンは、自然な動作でその手を取った。

 迷いなく。

 当然のように。

 少女が微笑む。

 音楽が流れ出す。


 ルカの足が、止まる。

 胸の奥で、何かが静かに落ちた。

 さきほどまで満ちていた熱が、音もなく引いていく。

 空白が、広がる。


 ――ああ。


 理解が、ゆっくりと降りてくる。

 そうか。

 唇が閉じる。

 名前は、呼ばれないまま。


 リアンはもう、こちらを見ない。

 少女の歩幅に合わせ、優しく導く。

 近い距離。

 自然な呼吸。

 そこにあるのは、選ばれた側の位置。


 胸が冷える。

 それでも、ルカは崩れない。

 背筋を伸ばしたまま、二人を見送る。

 期待していなかったわけではない。

 けれど。

 どこかで、知っていた。

 この世界は、夢だ。

 たとえ祝福されても。

 誇りだと告げられても。

 彼が選ぶのは――

 自分ではない。

 やっぱり。

 そういうことだ。


 ちり。

 足元で、澄んだ音が鳴る。

 ドレスの裾に、白い蕾が触れている。

 ひとつ、またひとつ。

 静かに、開いていく。

 光が少しずつ遠のいていく。

 世界が、淡く薄れる。

 

 それでも、ルカは立っている。

 立っているしかなかった。

 王子としてでもなく。

 少女としてでもなく。

 ただ、ここにいる存在として。


 音楽は続いている。

 笑い声も、拍手も。

 けれど。

 どこか遠い。

 まるで、水の底から聞いているようだった。

 足元に、白が広がっている。

 最初は、ひとつの蕾だった。

 ドレスの裾に触れていた、小さな花。

 それが、もう三つ、五つ。

 床の上に、静かに咲いている。

 踏まれても、潰れない。

 音も立てない。

 ただ、増えていく。

 白。

 白。

 白。

 磨き上げられていた床が、見えなくなる。

 花弁が重なり、広間をゆっくり侵していく。

 柱へ。

 階段へ。

 誰も気づかない。

 踊る人々の足元にも、白は絡みついているのに。

 笑顔のまま、彼らは気づかない。

 リアンも。

 あの少女も。

 銀の髪が揺れる。

 紫の瞳が細められる。

 くるり、と回るたびに、白が足元から咲いていく。

 祝福のように。

 棺の花のように。


 ルカは動かない。

 逃げない。

 ただ、見ている。

 胸は、もう熱くない。

 冷たいわけでもない。

 空っぽだ。


 玉座を見る。

 王は、まだ立っている。

 誇らしげに。

 微笑んだまま。

 その足元にも、白は咲いている。

 裾を這い上がり、段を覆い。

 やがて、玉座の脚を包む。

 金の装飾が、白に沈んでいく。

 燭台の灯りが、弱まる。

 金の粒が、消えていく。

 光が、薄れていく。

 祝宴は、音だけを残して色を失う。


 白い花が、ルカの足首に触れる。

 冷たくはない。

 ただ、重い。

 ドレスの裾を、ゆっくりと覆っていく。

 薄青の布が、白に溶ける。

 長い髪にも、花弁が絡む。

 腰まで伸びた水色が、白に飲まれていく。

 きれいだ、と。

 どこか他人事のように思う。

 これが夢だと、知っているから。

 本来、手に入らなかった世界。

 本来、選ばれなかった位置。

 本来、存在しなかった祝福。

 それでも。

 ほんの少しだけ。

 惜しいと思った。

 もう一度だけ。

 あの言葉を、自分に向けて聞きたかった。


 ――我が誇りだ、と。


 白が、胸元の紋章を覆う。

 王家の証が、見えなくなる。

 視界が淡く霞む。

 音楽が遠ざかる。

 最後まで残っていたのは、踊る二人の影。

 それも白に溶ける。

 世界が閉じる。


 そのとき。

 ちり、と。

 澄んだ音が、ひび割れのように走る。


「――ルカ」


 低い声。

 遠くから、近づく。


「起きろ」


 はっきりと。

 命じるように。

 白に、亀裂が入る。

 光が差し込む。


「ルカ」


 もう一度。

 今度は、すぐそばで。

 白が砕ける。

 祝宴が消える。

 光が割れる。


 ルカは、目を開けた。


 白が砕ける。

 光が、落ちる。

 冷たい空気が肺に入った。

 視界の上に、影。


「――ルカ」


 近い。

 青灰色の髪が揺れる。

 真剣な眼差し。

 クラウスが、覗き込んでいる。


 現実の輪郭が、ゆっくりと戻ってくる。

 木々が途切れた場所。

 地面を埋め尽くす白い花。

 風が吹く。

 無数の花が揺れる。

 午後の光の下。

 祝宴の灯りも、音楽もない。


 ルカは瞬きをする。

 身体は重い。

 けれど、痛みはない。

 ゆっくりと視線を横へ向ける。

 数歩先。

 リアンがしゃがみ込んでいる。

 腕の中に、ティアラ。

 地面に横たわったまま、白い花が彼女の脚から胸元へと絡みついている。

 花弁が、静かに開閉している。

 生きているように。


「ティアラ……」


 低い声。

 震えを押し殺した響き。

 その背は、こちらを向かない。

 

 そのとき。

 リアンの視線が、わずかに動いた。

 ルカと、目が合う。

 ほんの一瞬。


「……ご無事ですか」


 短い問い。

 ルカは、わずかに息を吸う。


「平気だ」


 声は静かだった。

 リアンは小さく息を吐き、再びティアラへ視線を戻す。

 指先で、彼女の頬に絡む白い花を払おうとする。

 

 少し離れた場所。

 リリスが横たわっている。

 眠るように。

 白い花が髪に絡み、腕を覆い、指先まで侵している。

 

 夢の光景が、胸の奥でかすかに揺れる。

 踊る背中。

 伸ばしかけた手。

 呼べなかった名前。

 

 ルカは、自分の手を見る。

 指先に、白い花弁が咲いている。

 手の甲から腕へ、細い茎が絡みついている。

 淡く、光る。

 きれいだ、と一瞬思う。


 ぱき、と。

 ルカの手の甲から、白い花が砕けた。

 指先から、腕へと絡みついていた茎が、音もなくひび割れる。

 花弁が崩れ、はらはらと零れ落ちる。

 地面に触れる前に、淡い光となって砕け、午後の光の中に溶けていく。

 ひとつ。

 またひとつ。

 身体に絡みついていた白が、静かに消えていく。


 残ったのは、ただの自分の手。

 胸の奥に、冷たい理解が落ちる。

 夢は終わった。

 侵食は、解けた。

 現実が、ここにある。

 

 クラウスの声が、落ちてくる。


 「立てるか」


 その言葉は、遠くから響いたようだった。

 すぐには、意味を結ばない。


 ルカは、ゆっくりと息を吐く。


 祝福の音は、どこにもない。

 開けた空から、午後の光がまっすぐ降りている。

 白い花弁の残滓が、その光に溶けていく。

 世界は、何もなかったかのように明るい。


 ――少しだけ。


 遅れて、頷いた。

 それが答えになっているかどうかも、分からないまま。


 視線を、もう一度だけ。

 リアンの背へ向ける。

 呼べなかった名が、胸の奥で静かに疼く。

 それを押し込めるように、ゆっくりと視線を逸らした。


 少し離れた場所。

 リリスが横たわっている。

 眠るように。

 白い花が髪に絡み、腕を覆い、指先まで侵している。

 その睫毛が、わずかに震えた。


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