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第44話 余白の席

 迷いの森は、どこにでもありそうな森だった。

 陽は高く、風は穏やか。

 木漏れ日が地面を揺らし、鳥のさえずりが枝葉の奥から降ってくる。

 

「……思ったより普通だな」


 クラウスが周囲を見渡す。


「もっと禍々しい感じかと思ってた」


 ルカが肩をすくめる。

 クラウスは何も言わず、ほんのわずかに歩幅を緩め、ルカの隣に並ぶ。

 ルカの声には、わずかに張りが戻っていた。

 

「……甘い匂いがする」


 リリスが立ち止まる。

 空気を吸い込む。

 確かに、かすかな甘さがある。

 花の香り。

 足元を見ると、小さな白い花が咲いていた。

 細い茎から、鈴のような花弁がいくつも垂れている。

 風に揺れて、かすかに光を反射する。


「可愛い花だね」


 ティアラが微笑む。

 風が、ふっと止む。

 彼女は歩き出す。

 しばらく進む。


 鳥の声が、少し減る。

 気のせいかもしれないほど、わずかに。

 白い花は、増えていた。

 ぽつり、ぽつりと咲いていたものが、

 地面のあちこちに広がっている。

 香りも、わずかに濃くなる。


「さっきより多いな」


 リアンが足元を見る。


「踏まないようにしないとね」


 ティアラが言う。


 さらに進む。

 枝のざわめきはある。

 だが、鳥のさえずりは、もう聞こえない。

 静かだ。

 不自然なほどではない。

 けれど、何かが抜け落ちたような静けさ。

 白い花は、さらに増えている。

 地面を縫うように広がり、木々の根元まで覆い始めている。

 甘い香りが、はっきりと漂う。


「……綺麗すぎます」


 リリスの声が、わずかに低い。


 やがて。

 木々が途切れた。

 視界が開ける。


 一面の白い花。

 小さな花が、地面を埋め尽くしていた。

 風が吹く。

 白い花が揺れる。

 ちり、と。

 鈴のような澄んだ音が重なり、

 無数の小さな音が、森を満たした。

 それは祝福の鐘のようで――

 どこか、弔いにも似ていた。


 一歩、踏み出す。

 花を踏んだ瞬間。

 世界が静止した。

 音が消える。

 振り向く。

 誰もいない。

 クラウスも。

 ティアラも。

 リリスも。 

 ルカも。

 白い花だけが広がっている。

 そして。

 光が満ちた。



 そこは、アルシェ家の庭だった。

 柔らかな午後の光。

 芝生を渡る風。

 丸いテーブルを囲む、五人。

 アルバートが穏やかに笑い、

 その隣でエルフィナが紅茶を注ぐ。


「今日は静かだな」


 アルバートが目を細める。


「ええ。今日はまだ平和ですもの」


 エルフィナがさらりと言う。


 クラウスが涼しい顔で紅茶を口にした。


「昨日は俺の部屋に無断で入っただろう」


 クラウスが、リリスに視線を向ける。


「掃除です」


「机の上の書類が芸術的に並べ替えられていてな。どこに何があるのか全く分からなかった」


「整頓しました!」


「几帳面すぎるのも考えものだな」


「散らかしすぎなんです、クラウスお兄様は!」


 その瞬間。

 ふわりと膨らんだ尻尾が、ぱしん、とクラウスの腕を叩いた。


「痛っ」


「自業自得です」


「家庭内暴力だ」


「教育です」


 アルバートが堪えきれずに笑い、エルフィナも肩を震わせる。


「仲が良い証拠だな」


「誰がこの人と仲良しですか!」


「否定が早いな」


 芝生を渡る風の中で、四人の笑い声が重なる。


 リアンは、その輪の中に座っていた。

 ちゃんと椅子に腰かけている。

 テーブルに肘をつけば、硬い木の感触もある。

 風も、光も、確かに自分に触れている。

 なのに。

 誰一人として、こちらを見ない。

 ひとしきり笑ったあと、心地よい静けさが落ちた。

 

 エルフィナが柔らかく目を細める。

 

「本当に、あなたたちは昔から変わらないわね」


「……俺も、か?」


「もちろんよ」


 クラウスが肩をすくめる。

 アルバートが紅茶を置き、静かに言った。


「賑やかなのは悪くない」


「まあな」


 クラウスが小さく息を吐く。


 その光景が、急に遠く感じられた。


 リアンは、口を開く。


「……父上」


 声は出ている。

 自分の耳には、はっきり届いた。

 だが。

 アルバートは紅茶に視線を落としたまま、何も聞こえなかったかのように続ける。


「落ち着くな」


 会話は流れていく。

 止まらない。

 リアンは、もう一度。


「兄さん」


 呼ぶ。

 クラウスは、隣のリリスを見ている。


「父上とエルフィナがいて、リリスがいて」


 そこで一度、言葉を切る。

 風が芝を揺らす。


「ずっと四人で笑ってられるなら、それでいいだろ」


 照れ隠しのように、鼻を鳴らす。


「……いつまでも、こうやってさ」

 

 冗談めいた口調。

 けれど、そこに嘘はない。


「俺たち家族、案外うまくやれてる」


 リアンの前には、カップがない。

 テーブルの上には、四つだけ。

 自然に置かれた数。

 最初から、そこにあるべき数。

 リアンはゆっくりと視線を上げる。

 四人の視線が交わる。

 自分を挟まずに。

 自分を経由せずに。

 視線が、通り抜ける。

 その瞬間、

 ようやく理解する。


 ――見えていない。


 俺が。

 ここに、いるのに。


「……俺もいる」


 小さく呟く。

 誰も、反応しない。

 エルフィナが微笑む。


「あなたたちがいるから、私たちは幸せなのよ」


 四人。

 四人の世界。

 完成された輪。

 そこに、自分は含まれていない。

 席はある。

 声も出る。

 だが。

 最初から、数に入っていない。


 ――もし、最初から自分がいなければ。


 父は、もっと楽だったのかもしれない。

 クラウスは、背負わずに済んだのかもしれない。

 エルフィナも、リリスも。

 もっと穏やかでいられたのかもしれない。

 

 胸の奥が、静かに軋む。

 温かいはずの光が、寒い。

 ここは、正しい世界だ。

 自分がいない形のほうが、きっと美しい。

 ……ならば。

 このまま、消えればいい。

 その方が、きっと。


 だが。

 アルバートの横顔が目に入る。

 穏やかで、強くて。

 その背を、支えていきたいと思った日のことを思い出す。

 与えられた場所だったとしても。

 それでも。

 俺は、ここに立っていたい。


「……違う」


 俺がいない方がいいなんて。

 その瞬間。

 四人の笑い声が、遠く歪む。

 光が、ひび割れる。

 庭が崩れ、陽射しが砕ける。


 甘い匂いが喉に絡みついた。

 白い花の香り。

 優しく、柔らかく。

 だが確実に、意識を沈める匂い。

 夢が、砕ける。


 冷たい空気が肺に流れ込む。

 視界が、戻る。


 ぱらり、と。

 リアンの胸元から白い花弁が崩れ落ちた。

 腕から、肩から、

 いつの間にか絡みついていた白い花が、目覚めと同時に、力を失う。

 はらはらと散り、地面に触れる前に砕け、淡い光となって空気に溶けた。


 最初に目に入ったのは――ティアラだった。

 地面に倒れている。

 力が抜けたように。

 少し離れた場所に、クラウス。

 前のめりに崩れ落ちている。

 ルカは仰向けに。

 リリスは静かに横たわっている。

 眠りではない。

 意識が落ちている。


「……っ」


 ティアラの側へ駆け寄る。

 呼吸はある。

 だが、目を覚まさない。

 足元に、白い花が咲いている。

 花は、ティアラの足首に絡み、ふくらはぎへ。

 膝へ。

 クラウスの腕を覆い、ルカの肩にも、リリスの髪の隙間にも。

 内側から押し広げるように増えている。

 侵食。

 ゆっくりと、止まらない。

 祝福の装飾のように美しい。

 だが確実に、身体を覆い尽くそうとしている。


 リアンは自分の腕を見る。

 もう花はない。

 触れても、何も起きない。

 夢は終わった。

 戻ってきたのは――自分だけだ。


 白い花が、すぐそこにある。

 その奥に、不自然な起伏があった。

 白の隙間から、骨が覗く。

 朽ちた剣が見える。

 白い花の下は――

 ここで目覚めなかった者たち。

 甘い匂いが、濃くなる。

 白い花が揺れる。

 ちり、と。

 聞き覚えのある、澄んだ音。

 だが今は――

 足元から、かすかに音が重なる。

 ちり。

 ちり。

 時間を刻むように。

 迷っている暇はない。


 リアンは、ティアラの手を掴んだ。

 花弁が、はらりと散る。

 温もりがある。

 まだ、間に合う。


 ならば――

 引き戻す。




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