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第40話 母の国へ 

 馬車が、真横に並んだ。

 激しく蹄を打ち鳴らしながら、もう一台が隣を走る。

 距離は、もはや逃げ場と呼べるほどもない。

 窓越しに、御者台の影がはっきりと見える。

 木枠が軋み、風を裂く音が重なった。


 その瞬間――

 リリスの身体が強く跳ねた。

 伏せていた耳が一気に立ち上がり、淡い紫の瞳が見開かれる。

 視線は、隣の馬車へ。



 揺れる車内。

 護衛に囲まれて座る、一人の女性。

 白銀の長い髪が、揺れに合わせて静かに流れる。

 毛先には、淡い紫が溶け込むように滲んでいた。

 頭には白銀の狐耳。

 耳先だけが、わずかに紫を帯びている。

 氷紫の瞳が、こちらを見た。

 穏やかで柔らかい。

 だが、ただの貴婦人ではない。

 腰の後ろで揺れたのは、一本の白銀の尾。

 ミストフォルン王族。

 白銀狐の獣人――エルフィナ。


 その姿を認めた瞬間、リリスの呼吸が止まった。


「……っ」


 喉が震え、言葉にならない音が漏れる。


「お母様――!!」


 叫びが、夜明け前の空気を裂いた。


 リアンは、はっとして隣を見る。


 リリスは座席から身を乗り出し、窓の外を見つめていた。

 恐怖でも怒りでもない。

 混乱と、切実な渇望。


 リアンは視線を隣の馬車へ向ける。

 窓越しに、女性と目が合った。

 気品のある面差し。

 その瞳に浮かんだのは、明らかな動揺。


(……エルフィナ)


 名前が胸の奥で形を取る。

 アルシェ家の後妻。

 リリスの母。


 御者台から、鋭く息を呑む気配が伝わった。


「――アルシェ家の馬車だ」


 クラウスの低い声が緊張を帯びる。


 馬具の意匠。

 車体に刻まれた紋章。

 見間違えるはずがない。


「止まれ!!

 エルフィナ、馬車を止めろ!!」


 手綱が強く引かれ、馬が嘶く。

 並走していた二台の馬車が、ゆるやかに速度を落とす。


 追っ手ではない。

 敵意をもって追ってきたわけでもない。

 あの馬車にいるのは――家族だ。

 

 リアンは、胸に溜めていた息を、静かに吐いた。


 やがて、二台の馬車はゆるやかに速度を落とした。

 土煙が静まり、張り詰めていた空気がわずかにほどける。


 クラウスが御者台から降りる。


 同時に、隣の馬車の扉が静かに開いた。

 先に護衛が地に降り立ち、周囲を確認する。

 その後ろから、ゆっくりと一人の女性が姿を現した。


 白銀の髪が朝の淡い光を受け、月光のように揺れる。

 長い睫毛の下で、氷紫の瞳がこちらを捉えた。

 エルフィナは地に足を下ろすと、ゆっくりと顔を上げた。


 すぐ前に停まる馬車。

 その扉の奥に、リアンの姿がある。


 氷紫の瞳が、静かに揺れた。

 その視線が、リアンの姿で止まる。

 リアンは、ティアラの方へ一瞬視線を向ける。


「少し待っていてくれ」


 小さく告げると、ティアラは不安そうに頷いた。


 リアンは馬車を降りる。

 続いてリリス、ユラも地面へ。

 リリスは、躊躇いなくエルフィナへ駆け寄った。


「お母様……どうしてここに?」


 その声には、再会の喜びと戸惑いが混じっている。


 エルフィナは、わずかに息を整えた。

 そして、王族としての静かな面差しを取り戻す。


「王命を受け、ミストフォルンへ向かっている途中なの」


 それ以上は語らない。

 だが、氷紫の瞳は一人ひとりを確かめるように見つめていた。


「あなたたちは……なぜここに?」


 問いは穏やかだが、鋭い。


 クラウスが一歩前に出る。


「ミストフォルンへ向かう途中だった」


 短く、余計なことは言わない。


 エルフィナの視線が、静かに移る。

 馬車の窓の奥。

 薄く身を横たえるティアラの姿。

 その気配の弱さに、わずかに眉が寄った。


 リリスが言う。


「お母様、ティアラの体調が良くないの」


 エルフィナは、ほんの一瞬だけ目を閉じた。

 何かを察したように。


「……そう。ならば、しばらくミストフォルンの王城で休むといいわ」


 その声音は柔らかい。


 だがリアンにはわかった。

 これは、ただの厚意ではない。

 そして、ゆっくりと視線を横へ。

 ルカへ向けられる。


「そちらの方は……?」


 静かな問い。

 ルカは、にこりと笑った。


「僕はリアンたちの友達だよ」


 一瞬。

 空気が止まる。

 リアンとクラウスが同時にルカを見る。

 驚き。

 だがすぐに、その意味を理解する。

 王子と名乗れば、事は外交問題になる。

 今はまだ、隠すべきだ。


 エルフィナの瞳が、わずかに細められる。

 その一瞬だけ、空気が冷えた。

 だが追及はしない。


「……そう」


 風が、静かに草を揺らす。

 そしてエルフィナは、改めてリアンを見る。


「話は、城で聞きましょう」


 穏やかな声音。

 だが、逃げ場はない。

 リアンは小さく頷いた。


「……わかりました」


 エルフィナは、わずかに微笑んだ。


「行きましょう。ミストフォルンは、すぐそこです」


 再び馬車へ。

 二台は並び、霧の向こうの国境へと進み出す。



 国境を越えた瞬間、空気が変わった。

 湿り気を帯びた森の匂いが、ゆるやかに馬車を包む。

 深く、やわらかな緑の気配。

 街道脇に立つ兵は槍を携えているが、視線は鋭くない。

 問いかけるように、静かに通り過ぎる馬車を見送っている。

 やがて車輪が石畳へと乗った。

 城下町には露店が並び、石と木を組み合わせた家々が寄り添うように続く。

 灰緑や深い土色の壁が、森の色と溶け合っていた。

 獣耳の子どもが駆け抜ける。

 尾を揺らして笑う少女。

 人と獣人が、自然に肩を並べて歩いている。


 リリスの視線が、落ち着かなく揺れた。

 きらめきではない。

 けれど、行き交う耳や尾に、何度も目が引き寄せられる。

 街並みの一つひとつを確かめるように、視線が動く。

 母の母国。

 けれど、自分は初めて訪れる国。

 胸の奥に、小さな波が立つ。

 それを抑えるように、リリスは唇を結んだ。


 ルカは窓の外を興味深そうに見つめている。

 森と町が溶け合う景色に、隠しきれない好奇心が滲む。


 クラウスは無言で周囲を観察していた。

 兵の配置。

 城壁と地形の関係。

 防備は整っているが、閉ざされてはいない。

 その均衡を、静かに見極めている。


 リアンは、ほとんど景色を見ていなかった。

 視線は馬車の奥。

 横たわるティアラの呼吸を確かめる。


(……もう少しだ)


 胸の内で呟き、再びその寝顔へ目を落とす。

 時折、窓の外へ視線を向ける。

 だがそれは景色を楽しむためではない。

 危険がないかを確かめるだけだ。

 やがて馬車は、なだらかな丘を登りはじめる。

 城は町を見下ろしてはいない。

 包み込むように、背後から支えている。

 霧が、ゆるやかに流れた。

 その向こうに、灰緑の城壁が浮かび上がる。

 白ではない。

 土と森の色をまとった城。

 なだらかな高台に、曲線を描く塔が重なる。

 それは空を刺すのではなく、大地から生えたかのように佇んでいた。

 ミストフォルン王城。

 巨大な門が目前に迫る。

 石と木を組み合わせた重厚な扉。

 蔦の彫刻が、柔らかな曲線を描いている。

 静寂をまとった門が、ゆっくりと軋みをあげた。

 重厚な扉が、内側から押し開かれていく。

 霧が、わずかに流れ込む。


 ――門が、開いた。




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異世界ファンタジー 第七王子 王家の闇 貴族社会 王宮陰謀 双子 出生の秘密 精霊 七属性 魔法 能力覚醒 成長物語 シリアス ゆっくり恋愛 純愛
― 新着の感想 ―
 馬車の緊迫した並走シーンから、ミストフォルンへの幻想的な入国まで、一気に引き込まれました!まるで映画を観ているかのような没入感で、息を呑みながら読み進めました。  特に痺れたのが、エルフィナとの遭…
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