十二 合理主義
「自分で言うのもなんだが、僕は積極的な合理主義者でね。こうして卒業後も学食に来るのは、新しいメニューを知らないままにしておきたくないからだ」
よかった、学食が一般開放されてて。
そう朗らかに笑うのは、ええと、何さんだっけ。
「しかし、彼は違う。彼は消極的な合理主義者だ。目の前に一の満足があるなら、不満足に終わるかもしれない未知になど手を出さず、目の前の一で満足する」
新たに登場した超最辛麻婆豆腐を食べる男の額からは滝のような汗が流れている。
「言うなれば、得を求める合理主義者か、損を避ける合理主義者か、といったところだ」
俺も授業が午前だけの日に超最辛麻婆豆腐を食べてみたのだが、二日ほど死にたくなったのでもう食べないと誓った。人には言えない痛みがあれほど辛いとは思わなんだ。
「しかし、本来合理主義とは一つだ。最も得が大きく、損が小さい『最善』を選ぶのが合理主義者なのだから、得を求めようが損を避けようが結果は変わらない」
目の前で美味しそうに二杯目を頬張る男は三日ほど死にたくなるのだろう。もしかしたら本当にショック死するかもしれないから、話は黙って聞いておくことにする。もしかしたら最後に三億円くらい遺産を分けてくれるという話になるかもしれないのだ。
「だが、人間は完璧ではない。最善を見極めることは不可能に等しい。だから自らの指針によって行動する。ゆえに、一口に合理主義と言っても大きく分けて二種類あるわけだ」
そろそろ合理主義とかどうでもいいから遺産の話をしよう。
……などと思っていると、男はこちらの意を汲んでくれたのか、話題を変えた。
「それによく似た話が、利己主義と利他主義になる」
……何かの聞き間違いかな。
「利己主義は自分を第一にした思考回路で、利他主義は他人を第一にした思考回路。全く逆のようだが、実際に突き詰めていくと、『人のため』と『自分のため』は等しくなる」
もう諦めよう。
「どれだけ他人のために行動しようと、自分の利益を度外視しては、結局他人に迷惑をかけてしまう。逆にどれだけ自分のために行動しようと、続けていけば他人に嫌われ、本来なら得られたはずの利益を取りこぼすことになる」
男は一瞬だけ、ほんの一瞬だけ手元の超最辛麻婆豆腐で取りこぼすシーンの実演をしようとしたが、すぐに冷めてしまうと気付いてやめた。
「そうして一番効率的なところに行き着くと、もう利己も利他も区別が付かなくなる。ゆえに、利己主義と利他主義は究極的に同義と言えよう」
ひとしきり語り終えた男の手元には、まだ四割ほども残った超最辛麻婆豆腐が鎮座する。
「ゆえに、ゆえにだな」
そろそろ辛さを紛らわす手段もなくなってきたのか、ぶつぶつと何かを言うだけになってきた。その最中にも機械的に手が動き、汗の量が増えていく。
潮時だろう。
後日、学食のおばちゃんに「あの子が最近来ないんだけど、何か知ってる?」と聞かれたが、流石に超最辛麻婆豆腐が犯人だと証言することは控えた。被害者が一人増えるごとに、俺の古傷が二割ずつ癒やされていくのだ。




