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論者の夢想論議  作者: 飯島鈴
第一部
6/66

六話 崩壊と顕現

 ページをめくる。

 主人公の台詞が終わり、ライバルが答える。すると二人が剣を向け合い、戦いが始まった。

 主人公とライバルの最終決戦という最高に盛り上がるシーンのはずなのに、どうも盛り上がりに欠ける。

 理由は単純で、主人公がライバルを倒すために策を弄したために、勝負が始まる前から勝敗が決まっているからだ。

 そのことを上手く演出できれば面白くもなるはずだが、如何せん腕がない。

 下準備を淡々と済ませ、結果の決まったバトルを長々と描写する。そのどこで盛り上がればいいのか分からない。

 全体の流れも、ぶつ切りにしたストーリーをただ並べているだけに思える。

「試し読みで三巻まで買った俺が馬鹿だった」

 本を読みながら独り言を吐くなど人に見られたら恥ずかしいが、夕日が差し込む教室には俺しかいない。

 黄昏に染まる放課後の教室に一人。こういう風情は好きだ。特に、ただ静寂というわけではなく、隣の教室からは話し声がかすかに聞こえ、グラウンドからは運動部の掛け声が響いてくるのは学校独特の雰囲気で良い。

「あれっ?」

 教室の戸が開けられる音とともに、聞き慣れた声が耳に届いた。

「トガミか。どうしたんだ?」

 戸の方を向くとトガミが立っていた。その後ろにはナガミの姿も見える。

「いや、本忘れちゃってさ。唯野はどうしたの?」

「読書中だ。……といっても、もう読み終わったんだが」

 答えながら、考える。トガミとナガミはよく読書をしていた。見る者を不安な気持ちにさせるような表紙の本だったことは鮮明に記憶している。

「どんな本読んでるの?」

 少し悩んでから「ラノベだよ」と答える。こんな本に熱中していると思われたら恥ずかしいが、隠したところで大して意味はない。

「へぇ、どんな話なの?」

「主人公が具材を切り、調味料を計ることに半分。自動調理器に入れて待つこともう半分。そんな話だ」

 バトルものの小説を料理に例えるのも変な話だが、本当にその程度の話だ。楽しめるシーンといえば、ヒロインのちょっとエッチな描写くらいしかない。まぁそれすら少年漫画程度なのだが。

「……それ、面白いの?」

「面白くない」

 即答すると、トガミの後ろから「貴様は変態か」と呆れるような声が飛んできた。

「俺もまさかここまで面白くないとは思わなかったんだよ」

 俺の言葉に「ご愁傷様」と憐れむような声が返ってくる。

「あ、そうだ!」

 唐突に、トガミが大きな声を上げる。

「明日二人で本屋に行く予定だったんだけど、唯野も行く?」

 トガミが名案だと言わんばかりの表情をしている後ろで、ナガミは勝手にしろとでも言いたげな表情をしていた。お言葉に甘えよう。

「あぁ、それじゃあ行こうかな」

 明日は暇をする予定しかなかったし、本を買い足す必要もある。本屋は一人で回るのが一番だが、時には賑やかに行くのもいいだろう。


 いくつかに分かれた売り場を歩いて、結論を出す。ラノベや漫画の類いはほとんど置かれていない。それどころか、大衆小説もそれほど置かれていない。

 俺の知っている本屋はもう少し大衆向けというか、一言で言えば雑多な感じだ。それに対し、ここは一定の層に焦点を当て、他はおまけ程度にしか考えていない印象を受ける。

「唯野、これ入れとくアル」

 いつの間にか横に立っていたメイリンが、俺の持っているカゴに数冊の本を置いた。『白痴』『レ・ミゼラブル』と書かれた本は、それだけでも合わせて七冊になる。

「お前、こんな本も読むのか?」

「有名どころアル」

 本屋の中に入ってから、ついでのように誘ったメイリンに申し訳ないと思っていた自分を恥じる。メイリンも立派な読書家だったらしい。

 去っていくメイリンを見送ると、その奥にトガミとナガミの姿が見えた。姉弟で仲良く話しながら本を見ているようにも思えたが、よく見ると会話などせず、眼前の本に集中しているようだ。

 周りにいる客も賢そうな――悪く言えば小難しそうな――中年から高年の人が大半で、俺が異分子なのだと分かる。

 更に周りを見て、『大衆小説』と書かれた札を探す。

「あそこか」

 本棚の群れからその札を見つけた嬉しさで、つい声が漏れてしまった。すぐに近くに人がいなかったか確認するが、人はいない。運が良かった。

 のんびり歩いていくと、『新刊コーナー』や『映画・ドラマ化原作』などと書かれた札が目に入る。

「あれ? 唯野さんじゃないですか」

 本屋に似合わない声が聞こえた気もするが、そんなはずもないので空耳だろう。

「あ、あの、唯野さん? 無視は流石に……」

 声が再び聞こえる。

「なんでユウカさんがいるんですか」

 俺が人生で会った中の誰よりも馬鹿っぽい人が、どうしてこんな本屋にいるのか分からない。

「失礼ですね。私も本くらい読むんですよ?」

 むくれて言ってから「まぁ今日は違うんですけど」と付け加えた。

「違うってなんですか? 本屋に本を買う以外の用事はないと思うんですけど」

 少しだけ気になって訊ねる。

 すると、ユウカは真剣な表情で答えた。

「ムーチー様が『オトコノコとショタを一緒にすんじゃねえ』と怒っていたんですよね。最初は『男の子』とかそんな話をしてると思ったんですけど、どうもそうじゃないみたいで……。それで、ムーチー様が時々来るこの店なら専門書か何かがあるかなぁ、と思ったんです」

 ユウカが馬鹿なのは教主の影響ではないだろうか。

「ここにはありません。教主に説明してもらった方がいいと思いますよ」

 善意で教える。色々な事情はあるが、そもそもこの店にそんな本は置いてないはずだ。

「ここにはありませんか……。それじゃ、他を当たってみますね」

 それだけ言うと、ユウカは去っていった。なんだか微妙に伝わらなかった気もするが、これ以上関わるのはやめておこう。


「十冊で八〇六六円になります」

 店員が営業スマイルとともに告げる。

 俺が買ったのは『幸福論』とかいう幸せそうな本だけ――税込六七九円――で、残りの九冊は全てメイリンの本だ。

 静かに財布から一万円札を出し、店員に渡す。

「一九三四円のお返しになります」

 返ってきた千円札と小銭を財布に入れ、相当な重さの袋を手に取る。堅苦しい印象の店に相応しく、ビニールの袋ではなく紙袋だ。

「悪いな、待たせて」

 トガミとナガミは先に会計を済ませていたのだ。

「腹が減った。少し早いが、昼飯はどうだ?」

 ナガミが言う。

「賛成だ。どこに行く?」

「中華」

 メイリンが即答する。何が食べたいか聞けば九割近い確率で中華料理を上げるので予想はしていた。

「うん、じゃあ中華料理屋を探そうか」

 トガミが提案を受け入れると、メイリンがはしゃいだ声を上げた。


 青椒肉絲(チンジャオロース)の美味そうな匂いが胃袋を刺激する。

「いただきます」

 手を合わせてから、細く切れて絡み合ったピーマンと肉に箸を伸ばす。

「美味い」

 それ以上の言葉を必要としないそれは、八六〇円という安さには思えない。

「唯野、一口だけでいいからちょうだい」

 その匂いに誘われたのか、トガミが乞うような目を向けてくる。断る理由はない。美味い物は共有するべきだ。

「おぉ、いいぞ」

 皿を押して斜め前にいるトガミに差し出すが、問題が浮上した。

「あ、あの、僕炒飯(チャーハン)だったから箸ないんだよね……。その、さ――」

「唯野、『あ~ん』だ。今こそチャンスだ」

 トガミがもじもじと言い、キャラを忘れたメイリンが息を荒くして言う。

「いや、店員さんに頼めば箸くらい――」

「いいよ、唯野」

 俺の言葉を遮って言ったトガミが、身を乗り出す。どうして乗り気なのか分からない。

「分かった。それじゃ……ほれ」

 隣に座るメイリンから痛いほどに視線が飛んでくるが、「あ~ん」などとは絶対に言わない。言ったら俺の中で大切な何かが崩れ去る。

 箸でつまんだ肉とピーマンが油をしたたらせながら、小さな口へと入る。

 それをトガミが咀嚼してから飲み込み、舌で唇についた油を拭う。

「美味しい」

 静かに発せられた言葉は、それほどまでに美味かったと食欲を倍増させる。

「唯野、我も一口貰うぞ」

「あ、私も」

 メイリンとナガミが言い、返事も聞かずに青椒肉絲をさらっていく。

「あぁ美味い」

「唯野もこれくらいになれば、毎日楽しいのだがな」

 肉を多く取っていった二人に一瞬苛立ちを覚えたが、感想を聞いて霧散する。俺はただその料理を注文しただけなのに、俺まで褒められたかのような気持ちにさせられた。

「あ、そうだ。唯野も僕の炒飯食べる?」

 不意にトガミの声が聞こえた。

 直後、「あの炒飯を食べたい」という本能と、「ここで食べると言えばまたあれが」という理性のせめぎ合いが――

「食べるよね。ほら、あ~ん」

 俺の内心を無視して差し出された炒飯を前にして、本能を抑えられるはずなどなかった。

「美味い」

 米と卵と油のハーモニーの中で、何かが崩れ去る音がした。

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