最終話 論者たちの夢想論議
街は早くもクリスマスムードだ。
まだ三週間近くあるというのにイルミネーションで飾られ、クリスマスセールを始める店まである。
その街中を、俺は一人の少女と歩いていた。
少女は少女のような見た目をしていたが、もう少女と呼べる歳ではない。しかし少女と呼ぶのをやめると怒られそうなので、少女と呼ぶことにする。
そんな内心の冗談を見透かした少女、シキが俺の足を踏んだ。
「痛いよ」
「今何を考えてたか先に言え」
「シキちゃん可愛いよ、と思ってました」
「嘘つけ」
そして、二人で虚無感からのため息をつく。
繰り返すが、街はクリスマスムードである。
すれ違う人間の三割はカップルと言っていい。さて、この状況で虚しくならない者がどれだけいるだろうか。
「だからって自分から虚しくなる必要もないだろうに」
シキが呟く。
「君のところはどうなの? 虚しくならない?」
「ならない、って言いたいけど、まぁなるね。身内を見ると余計に」
その身内とやらはラブラブなのだろうか。……そういえば、最近ラブラブって聞かないな。いっそ言葉と一緒にラブラブな方々も消えちゃえばいいのに。
「それで、今日は寂しく一人鍋かい?」
シキが問うてきて、更に悲しい現実に気付く。
「あれ? 伝わってなかったのかな?」
何を隠そう、今日は冬至の前祝いパーティーをやる日だ。そのパーティーに誘ったついでに買い出しを手伝ってもらおうと思ったのだが、どうやらどこかで誤解があったらしい。
「はて、今日は何かの日だったっけ?」
シキはわざとらしく首を傾げ、「まさか誕生日? おめでとう」と全く心のこもっていないお祝いの言葉を投げてくる。
「誕生日じゃなくて冬至のパーティーだ。俺は君も誘ったつもりだったが?」
その言葉に返ってきたのは「え?」という素っ頓狂な声。
「ごめん、気付かなかった。……ていうか、今日は予定が入っているよ」
……二週間は前に伝えたはずだったが、どこでどう間違った。
「予定入ってるのか……。なら無理だな」
その声は思っていた以上に落ち込んでいて、知らないうちにシキという少女に好意を抱いていたことを実感させられた。……無論、男女のそれではなく。
「いや、待つんだ。パーティーは何時から始まる?」
「予定では六時半」
答えると、シキはうんうんと何度も頷く。
「それなら大丈夫だよ。僕の予定を少し繰り下げればいい。なに、相手も怒らんだろうさ」
そう言って、シキはぐんぐんと歩いていく。
その後ろ姿は傍目に見ても分かるほど嬉しそうだった。
「いただきます!」
俺の言葉を合図に、それぞれの箸が動いた。
我が家のリビングには三つの鍋が並ぶ。
その鍋を囲むのは、俺から見た右列にトガミ、ナガミ、メイリン、リーエィ。左列にクミ、ウタ、ユウカ。そして向かいにはシキが座る。
俺を含めて九人の大所帯で繰り広げられる戦争はさぞ過酷だろうと思ったが、箸たちは存外にゆっくりと動いていた。
メイリンはリーエィを気遣い、リーエィはメイリンを気遣う。
ユウカはシキに気を遣い、シキはこちらにちらちらと視線を向けながらユウカにされるがまま。
トガミとクミは当然のように俺の真の横を争って鍋など二の次、ウタは戸惑いつつも普通に食べている。
そんな中、臨戦態勢に入っていたせいで未だ呆然としているのが、俺とナガミだ。
「パーティーってのは、もっとこう殺伐としてるもんじゃないのか……?」
我知らず漏らしていた。
こんなパーティーはパーティーなどとは呼ばない。こんなものは、こんなものは……。
あ、これ普通にパーティーだ。
「唯野、どうする?」
未だ敵の錯乱ではないかと疑心暗鬼のナガミに、俺はそっと言う。
「普通に食べていいんだ、今日は」
戦争……もとい鍋パーティーは和気あいあいと進んだ。
やれおたま取って、やれあぁ先にいいよと不和など欠片も見せない参加者たちに違和感を抱いているうちに、気付けば時計の短針が八を指す頃になっていた。
「時間ですね」
ふとユウカが立ち上がる。
この女は、シキが我が家に着いた数分後に「予定が遅くなった」と言って現れた。理由など明白である。
「あぁ僕もだ。奇遇だね、ユウカとやら」
「えぇ、そうですね、シキさん」
二人の白々しい会話を聞きながら、俺も立ち上がる。
周囲から向けられるのは、疑問の目。
「ユウカさん、教主殿との面会料は幾らで?」
ユウカの目が輝き、次いで曇る。シキは、やれやれと呆れるように首を振った。
そこは安アパートの一室だった。
ボロいわけではなくむしろ小綺麗なのだが、家賃は安いのだろうな、と感じさせる佇まいだ。
「どこで気が付いた?」
その一室の前で、シキが問う。
「さてね、いつだったか」
シキとユウカはそれをはぐらかしたのだと受け取ったようだが、実際にいつ気付いたのか思い出せないのだ。
確信を得たのはユウカとシキの関係性を知ってからだが、疑念を抱いたのがいつかと問われると分からない。もしかすると、初めてシキから『彼』の話を聞いた時には、ユウカの言う人物と重ねて見ていたのかもしれない。
「予定が早まったな」
言外に俺を責める声は優しげだった。
「予定を狂わせてくれて感謝するよ」
ぼそりと呟かれた言葉で、俺は救われたのかもしれない。
「さて、入ろう」
あれやこれやと回る思考を無視して、シキがドアノブを回す。
ガチャリ、と音が鳴って開いた戸を手前に引くと、そこに広がるのは闇だった。
「ただいま」
シキが平然と言う。
「お邪魔致します」
ユウカも厳粛に続き、残るは俺だ。
「こんばんは」
廊下はさして長くもないはずなのに、ひどく長く感じられた。
そして、電気もつけずに歩いていたシキが、ふと立ち止まった。一見闇が続いているようにも思えたが、よく見れば漏れた光が見える。戸があるらしい。
「入るよ」
来客は、既にユウカにメールで伝えてもらってある。外から見た時に電気が漏れていたから、留守でもない。
遂に来たのだ。
「失礼します」
シキとユウカに続き、その目が痛くなるほど明るい部屋へと足を踏み入れる。
小さなテレビと積み上げられたゲームソフト。
棚に並ぶのはラノベから宗教書まで日本の宗教観を表したような本たち。
部屋の端には食べかけの餌が置かれ、そこから少し離れた椅子では猫が丸くなって寝ている。
「ようこそ、我が家へ」
そう言って俺を迎えたのは、食べかけのうどんから目を離さない一人の男。ボサボサの髪に伸びかけたヒゲ。なるほど、ユウカからのメールは届かなかったらしい。
そして――
「予想より五分早かった。今食べるから、二分ほど待っていてくれ」
その男を、俺は見かけたことがあった。
「まぁ、座りたまえ」
自ら淹れたお茶を呷った男は、机の斜め向かいにお茶を置く。椅子はL字になっていて、向かいには座れないらしい。
「まず始めに、なんとお呼びすればいいですか?」
相手の素性をある程度知っていても、つい堅苦しい敬語になってしまう。
「嘉喜と呼んでくれ」
嘉喜と名乗った男は、どこを見ているのか分からぬ表情のまま、またお茶を呷る。
「予定より早かった」
あと二ヶ月は遅いと思ったよ、と嘉喜は笑う。その笑いには皮肉の色が浮かんでいるように見えたが、しかし違うのだろう。
「だが、早すぎたな」
焦りすぎだ、急いてはいけない、と嘉喜が笑う。今度は嘲笑が浮かんだ気がしたが、これも気のせいだろう。
「しかし、まぁ」
次は自虐だ。どれもこれもが腐っているように見えて、その実情を表に出さない笑みだった。
「論議を始めよう」
そんな突拍子もなく、それでいて想像できた言葉とともに、男は夢想へと逃げ込んだ。




