三十四話 少女たちの決意
「今年の桜は綺麗だったかい?」
その声は些かの寂寥感と、それを覆い隠す熱情が含まれていた。
俺に問うてくる瞳も変わらず、悲しむ色と喜びに湧く色が入り乱れている。
しかし、一つだけいつもと違うところがった。少女から溢れる雰囲気に、いつもの冷笑がないのだ。
そこにあるのは死にゆく餌を眺める狡猾な意思ではなく、自ら餌を狩ろうとする獰猛な意思。
たったそれだけの違いで、いつもと別人のように思えてしまった。
「いつもと変わらない」
そんな感想を隠すために、俺は答えを吐いた。
「あらら。今年こそは最高の美しさだと思ったんだが、違ったか。残念」
いつも通り向かいの席に座る少女は、演技臭い語調とは裏腹に心底悔しがっていた。
「見たんじゃないのか?」
問うてみるが、少女は「見たのだけれど」と答えたのみで、それ以上続けてくれなかった。
「しかし、珍しいね。唯野君が逃げずに立ち寄るのは」
少女はからからと笑う。
休日の散歩で立ち寄ろうとしたところで少女と目が合ってしまい、いつものように逃げようか迷った挙句に入店したのが、今回の経緯である。その迷った内容はトガミとメイリンのことだった。
「いや、なに。少し話をしておきたくてね」
その言葉は嘘ではなかった。相談するつもりなど毛ほどもないが、少女の話は何故だか真理を突いている気がしてしまう。今はそんな無駄話をしたかった。
「そうか。それは奇遇だね」
しかし、やはり言葉とは裏腹に、少女はそれ以上続けることはない。
代わりに、ニタァと笑みを浮かべて何やら口を開いた。
「進級おめでとう」
先ほども思ったが、少し遅い。暦は既に六月半ば。桜の話をする時期でも、進級の話をする時期でもない。まぁ今年度になって初めて会ったのが今日なのだから仕方ないが。
「それは素直に受け取るか。ありがとう」
自分でも礼なのか皮肉なのか分からない答えに、少女が笑う。その笑みはいつも以上に明るい。
「それで、話とは何かな?」
ひとしきり笑った少女が改まって問いを投げてくる。
「特に何ってことはない。話題がないのは嫌いかな?」
俺の言葉に少女が「いいや」と答えると、同時に注文していたコーヒーが出てきた。
こうして、静かで平和な茶会が始まる。
空が夕暮れに染まる一歩前の頃、家の前ではその少女が待っていた。
「こんにちは」
「あ、こんにちは」
挨拶して顔を上げたリーエィの表情は、あまりに思い詰めていた。
「早速で申し訳ないんですが」
その声は沈んでいる。
「もう六月です。来月の終わりには進路相談がありますし、もう半年と少ししかありません」
リーエィが話しているのは、受験のことだろう。初めて会ってから半年も過ぎたのだと、ようやく気付いた。
「それで、説得に?」
対する俺は、自分でも驚くほどに焦っていなかった。この一年で嫌というほど変人たちと話してきた結果だろうか。
「はい。失礼かもしれませんが、お兄さんが生半可なのかと思いまして」
リーエィの語気は鋭い。
「まだ間に合います。メイリンさんなら、今からでも。ですが、これ以上遅れたら無理かもしれません」
リーエィがメイリンのことを妙に高く評価していることは分かっていた。だからこそ、直接話をさせるのが怖い。
「断ると言ったら、どうする?」
気付けば、そんな言葉を吐いていた。
「メイリンは君が思うほど強くないよ。ついでに、賢くもない」
リーエィの言う通り、今なら間に合う。俺にできたことがメイリンにできないはずはない。しかし、これもリーエィの言う通りだが、秋や冬になってまで間に合うということはないだろう。
「前にも言っただろう? あの子が周りからの視線を気にしないのは、強いからじゃなくて、単純に見えてないからだよ。見えてしまえば、苛立って凹むだろう。だから、君が思っているほど強くはない」
そうやって苛立ち、苛立ち、苛立ってきたところを俺は見ている。そうやって見えないように見えないように努力して、今に至っているのだ。
「それは、つまりどういうことですか?」
おずおずと、リーエィが問う。
「メイリンより、君の方が強いと思う。だから、君の言葉は耳が痛くて聞き入れない」
少なくとも、メイリンは逃げた。何から逃げたがって、何から逃げたのかは俺にも分からないが、しかし逃げたのだ。逃げなかった、逃げずに耐えられた同世代の言葉を受け入れられるほど、メイリンは強くない。
俺がそれに気付けたのは、眼前の少女と話してからだった。
「なら、どうするんですか?」
リーエィは問う。自分の言葉を否定されても、なお。
「そうだね」
ふと思う。何も変わらない日常を。
「普通に学校で待っててくれればいいんじゃないかな。そのうち行くよ、多分」
ならば俺は、メイリンを待ってくれている友人をこれ以上待たせないために、行かせなければならない。
「運命とは何か。聞かせてくれるかな?」
静かな問いで、話が始まった。
「何度目アル?」
冷笑の中にあるのは、苛立ちと惰性。冷気しか存在しない言葉だった。
「前置きは結構アル。始めたいなら始めればいいアル」
「ならお言葉に甘えて」
あくまでも静かだった。静かに、互いの感情が燃えていた。
「結論から言う。お前は運命なんて信じてないだろ」
返ってくるのは、やはり冷笑。
「何を言うアル?」
何度も言ってきたことだ。最近は自重していたが、今回こそは遠慮しない。
「メイリンの言う運命は過去によって現在が、延いては未来が決まる理屈だ」
それ自体は正しい。前提が同じであれば、結果も同じだ。過去という前提の上に成り立つのはただ一つの未来という結果であり、それ以外に道はない。
しかし、それと信仰は別物だろう。
「お前は一度でも、ただの一度でも運命を実感したことはあるか?」
俺はない。運命だけではない。神様の存在だって実感したことなど一度もないのだ。だから俺は、信じなかった。コウさんとの話で、それに気付けた。
「ある」
短く長い沈黙の末に、メイリンが答えた。
「あぁ今の選択は過去によって決められたことだな、と感じたことがある」
それがいつのことだったのか、メイリンは語らない。
「そこで、全ては過去によって既に決まっていると気付いた」
そして、ぷつりと糸が切れたように吐き捨て「反論はあるアルか?」と笑った。その姿は哀れだ。そんなことを口に出せば本気で怒られるのだろうが、同情してしまう。
「違うな」
だからこそ、切り捨てなければいけない。
「それは運命じゃない。お前の選択を決めるのは過去の自分だ」
その瞬間、選択する瞬間の自分だけが選択権を持っているとは言わないし、言えない。過去から続く連続した自分が選択権を持ち、そうだからこそ、誰もが未来を選んでいく。
「手から離れたボールは予定された軌道で地面に落ちる。それは真理アル」
それでも、メイリンは首を振る。
「話を逸らすな」
ならば、何度でも否定しよう。
「それはただの理屈だ。誰が証明した? そんなこと」
悪魔の証明は自らの無能さを晒すだけの行為だが、そんなことは関係ない。
「俺は実感したかどうかを聞いている。一度でも実感したか? ボールが落ちるのは世界が始まった瞬間から決まっていることだと」
メイリンの顔には呆れの色が浮かんでいた。何を言っているのだと、愚弄したいのだ。
「理屈が正しい以上に、何が必要アル? 実感などという主観より、正確にして冷徹な客観の方が重要じゃないアルか?」
こいつは、こいつらは理性がおかしい。こんな思考回路を突き詰めた結果が神だとしたら、その世の中は地獄だろう。
「俺はね、裸の王様にはなりたくないよ」
俺の唐突な言葉に、メイリンは疑問符を浮かべる。
「崖の上で、みんなして透明の縄を腰に結んでくる。さぁ理論上は十分な強度の縄だから飛び降りろ、なんて言われても、俺は飛び降りたくない」
この例えで伝わるだろうか。
「彗星が来たら自転車のチューブで息をすれば死なずに済むと理屈は言う。だからってあんなゴムに自分の命を預けられるわけがない」
ここまで言えば、理解してくれるだろうか。
ずっと昔、世界は地球の中心に回っていた。当時最先端で最も正確な理屈が、そう言っていた。それを否定できた人間はそう多くない。今でこそ間違っていたと子供でも分かるが、当時はどうだっただろう。
ナガミは教えてくれた。才能らしい才能もなく、努力らしい努力もしていない人間に否定できるほど、天動説や運命論は甘くない。才能か努力の結晶として生まれた理屈を、馬鹿の一つ覚えで否定できるわけがない。
ならば、結論など決まっている。
「お前は本当に信じているのか? 運命を」
そして、俺は問う。
「今なら手を貸すが、どうするね?」
……なんて言いつつ、ずっと先、三十路を目前に控えてからでも手を貸しちゃいそうな気がするのは兄の性だ。
「知った気になるなアル」
メイリンは笑う。
「我はそこまで馬鹿じゃないアル。馬鹿にするなアル」
笑って笑って、また笑う。
「馬鹿じゃなくて良かったよ」
だから、俺も笑う。
「できれば高校まで一緒に登校したいんだけど、それは叶えられる夢かな? 運命的に」
「全ては運命のみぞ知る。我に聞くなアル」




