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「総一郎さん……わたし、わたし、どうしたら……」
総一郎には言うなと言われたのをすっかり忘れた早紀はパニックに陥りながらも、スマホを操作し総一郎に電話した。
「落ち着いてください、早紀さん。このことは、誰か他には、玲一には伝えてしまいましたか?」
電話の向こうの総一郎は思ったよりも落ち着いて、受け答えをしていた。それもそうだ、自分の管理するホテルで何が起こったのかは、オーナーである総一郎に逐一報告があがっているだろう。
もちろん、早紀にはそんなことまで思い至れない。そこを責める人間は早紀の周りにはもちろん居ない。
「愛子のラボの位置は私も知っているので、落ち着いてください。これで玲一を動かしたら、愛子の思うつぼです」
横田愛子は、玲一を手元に戻したい、横田グループのトップに据えたいのだ。それが玲一の幸せだと信じて疑ってない。
どうして花梨が狙われているのか、総一郎はその詳しい理由は知らない。ただ、珍しく積極的に関わっていたのを見ていたので、何か思うところがあるのだろうと言うことは総一郎は理解していた。
「まだ玲一さんには話してません……」
「そうですか、とりあえず私はすぐにはいけなさそうなので、拓海をか弓弦をそちらに向かわせます。ホテルで待っていてください」
「わかりました……」
「早紀さんが悪いわけじゃないので、ご自分を責めてはいけませんよ」
「でも……」
「とにかく、すぐに誰か向かわせます。すみません」
「こちらこそごめんなさい、忙しいのに……」
「早紀さんは気にしないでください、では、私も仕事がある程度落ち着いたら向かいます」
早紀との通話を切ると、総一郎は深いため息をついた。
まさかホテルに乗り込んでくるとは、予想外というか、そこまで愛子がせっぱ詰まっていたことを予想できなかった自分の甘さに、まだまだだと思い知らされた。
玲一に話すべきか話さないべきか。悩みながらも、さっと拓海と弓弦に連絡をいれた。
「拓海ですか?」
「兄さんから電話が来るなんて珍し……なんかあった?」
「愛子がホテルに乗り込んできて、早紀さんの目の前で花梨さんを連れて行ったみたいで、早紀さんが少しパニックになってしまっているようなので、スケジュールが立て込んでいないようだったら、顔を見せてあげて欲しいんだ」
「姉さんが? 今日は収録が立て込んでて、てっぺん超えそうなんだよな……」
「とりあえず、もし可能ならなので、無理はしないで大丈夫ですよ。弓弦にも声をかけておきますし」
「弓弦も少し忙しそうだったけど……」
「それは困りましたね。とりあえず、仕事の途中ですみません」
「兄さんもあんまり無理すんなよ? 玲一兄さんは……」
「まだ伝えていません」
「やっぱりか。玲一兄さんが知ったら、怒るとかそう言うレベルじゃないだろうな……」
拓海はため息混じりに呟いた。
「玲一のことはひとまずおいておきましょう。弓弦にも連絡を入れておきます」
「俺もいけそうだったらどうにか顔を出すよ」
総一郎は次に弓弦に連絡を入れた。が、つながらずに仕方なく、留守電に用件だけを伝えて切った。
もう少し他に連絡を入れたかったが、自分自身も忙しく、仕事モードに切り替えざるを得なかった。
「仕事大丈夫かな」
突然こんなところに連れ去られてしまい、花梨はとまどっていた。
起きてから、何かの機械をあちらこちらに貼り付けられて、何かを計測された。抵抗をして無駄だとセイやルイスに言われていたので、おとなしく従って、されるがままにされた。
その後は何もなく放っておかれている。そもそも、横田愛子が興味あるのは、自分ではなく、横田玲一であることを花梨は知っている。だからこそ、余計に自分が横田玲一の切り札的なものになっているのかがわからない。
自分は横田玲一に何かしたのだろうか? 早紀の件で初めてあったはずなのだが、それ以外すれ違っていたとかだったら、思い出せる気がしないと、ため息をついた。
『カリン、ため息かい?』
「ルイスさんでしたっけ? いきなりつないでくるの辞めてもらえませんか?」
『そんなこと言われても、君のため息が最初にこちらに聞こえて来たんだよ?』
ルイスは笑い混じりに花梨に答えた。
「それは失礼しました。ねぇ、私って本当に金糸雀なのかな?」
花梨は首をかしげずには居られない。そもそも、そんな特別な存在とか言われても全く信憑性がないほど、普通と言ってもいいほど普通の人生を送ってきた。その間にちょっと変わったこともあったけれど、別に特別な感じではなかった。
『僕らが今こうやって会話をしていることが、何よりの証なんだけども』
ルイスは終始楽しそうだった。
「やっぱり? ってか、こんな風に会話が可能なら、もっと遠くの金糸雀とも会話ができるのではないんですか?」
『そもそも、つい最近まで僕らの世界は閉じきっていて、こうやって繋がることも出来ていなかった』
「そうなんですか」
『もしも、もしもだよ。君が繋がりたい金糸雀と知己ならば、多少の距離などは超えて話すことが出来るかもしれない』
「ルイスさんにはいないんですか?」
花梨の頭に、すっと早紀の姿が浮かんだ。早紀と話すことは可能なのかもという可能性が生まれた。
『僕らはそもそも、こんなに近くに存在することはない。力を持ったもの同士が近くにいるのは、危険なことだからね。今みたいにみんなの力が使用不能の場合の時くらいしか、たぶん、近くには居られない。だから、金糸雀に知り合いなんていないよ』
「金糸雀か……力のこもったその歌声は、人の心すら操ることが出来る。にわかに信じがたいけど」
横田の双子から話された内容を思い出した。
『僕たちは人の心を操るのが目的じゃなくて、人の心をいやすことが目的だった。時の権力者達は、そんな風に使用したいとは思ってなかったみたいだけどね』
「ルイスさんは金糸雀に詳しいよね?」
早紀は金糸雀に詳しそうな感じではなかったと、花梨は思い出していた。
『僕は……ある日までは繋がっていたから、そこで知識を得ただけだよ』
「じゃあ、繋がったことのある人は、だいたい知っているの?」
『そうだね、だいたい知っているよ』
「そこに答えがあるのかな……」
『僕からは何も言えないかな。それは君が見て、決めるしか出来ないことだから』
「ルイスさんは意外とまじめなんだね」
『ははっ……』
「ところで、セイさんの声がしないんだけど」
『……セイは、かえしてもらえたのかもしれないね。次は僕の番かな?』
一瞬だけトーンの下がったルイスの言葉に、花梨はそれ以上のことを聞くことができなくなってしまった。
そしてルイスとの会話は途切れた。
ルイスと会話することによって、気になることが生まれたことも確かだが、可能性も生まれた。その可能性にかけてみようと、花梨は深呼吸をして、意識を深く深く沈ませた。
自分のことを心配しているだろう、早紀のところへ言葉が届くように。
窓のない世界。世界から隔絶された部屋の中、いったいどれだけの時間が流れたのか、花梨にはわからなかった。
ルイスとはまだ繋がることもある。他の金糸雀とも話す機会はあった。それでも、その誰もが時間という概念を失っている。
今日も計測をされて、食事が運ばれてくる。お風呂どころか、着替えることもできないそんな生活に、花梨は少し参ってきていた。
早紀へ連絡しようとするも、うまく繋がらない。
『力みすぎなんじゃないかな?』と、誰かに言われたけれど、力の抜き方もいまいちよくわからないのが現状の花梨だった。
繋がったことのある金糸雀は、ある程度そう言う力を制御できるらしいけれど、花梨は繋がったことがないのだから、制御なんてできるわけもないのだった。
『カリン、僕にはあまり時間が残されていないようなんだ』
そんな真剣な声で、ある時ルイスは話しかけてきた。
「突然どうしたの?」
『そのことについては、今はおいておこう。僕らの大切な特別な金糸雀について、少しだけ君に告げなくてはならないと思って』
「前にセイさんと話していた件だよね?」
『僕たちの大切な存在は、30年くらい前にある日消えた』
「消えた? 居なくなったってこと? そもそも特別ってどういうことなの?」
『特別というのは、その存在は、僕らの世界の中心といっても過言じゃない。すべての金糸雀の記憶をその身に宿して、力の源になる。僕らはその特別な存在にアクセスすることができて、そこで初めて不思議な力を行使することが出来た。僕らの始まりにして、最愛なる母のような存在』
「女の人なの?」
『比喩の話だね。30年ほどまえに、特別な金糸雀の交代があった。僕たちは人間と同じような寿命だから、特別な力を継承して存在してきたんだ。といっても普通の金糸雀は交代なんて言うのはなくて、あるのはただ、その母の元へと還るだけなんだけど、特別な……黒の君だけは継承制でね』
「交代がうまくいかなかったとか?」
『いいや、交代自体はうまくいっていたんだよ。僕もその方の小さい頃に繋がっていたことがあるから。ある日、全員が同じ声を聞いたんだ』
「同じ声?」
『そう、小さな震える声で、ごめんなさい、って。その方は、僕らの世界すら懸けて、誰かに奇跡を起こしたんだと思う』
「思うっていうのは……?」
『それ以来、僕らの世界は閉じてしまったから……僕らはあの方が何をされたのか、わからないんだ。ただ、誰かを思う優しさと、僕らに対してのとても申し訳ないという気持ちのこもった歌を、あの日僕らは全員聴いてしまったから』
「みんなを巻き込んだってこと……?」
すべての同胞すら巻き込んでまで、起こしたかった奇跡とは一体なんなのだろうか? 花梨には想像も出来なかった。
『僕らは、あの方達が今まで背負ってきた悲しみを知っているから、だからその願いを悪だというものは居なかったよ。僕らは……』
「ルイスさん!?」
このとき花梨はなぜか、ルイスが光に包まれたのを感じた。
『そばに居てあげられなくてごめんよ。ぼくらは……』
ルイスだった光がすっと花梨の中へと入ってきて、ルイスの最期の言葉は花梨の中に静かに響いた。
その言葉とともに、花梨は目を見開いて声なき声で叫んだ。そして、花梨はその場に眠るように倒れた。
「花梨ちゃん……?」
早紀は花梨の声がしたような気がして、空を仰いだ。
「早紀さん?」
総一郎が心配そうに早紀に声をかけた。
「いま、花梨ちゃんの声が聞こえた気がしたの」
「風間花梨は大丈夫だ」
その横にいた玲一は遠くを見ながら、まっすぐと、まるで確信しているかのように呟いた。
「玲一さんがいうなら、きっと大丈夫ですね」
玲一の横顔を少し複雑そうに見上げる早紀と、その早紀を複雑そうに見つめる総一郎。
「さて、私たちもそろそろ行きますよ」
総一郎は小さくため息をついて、二人に声をかけた。
ものすごく久しぶりに執筆してみました。
ちょっと今年は創作がんばりたいなって思っています。