第一夜:月見酒の誘い。
AntinomieEーアンチノミーー
小説版、ライトノベル版
月見酒の誘い。
酒場の戸が、風もないのに揺れた。
板張りの床に、人の熱気が溜まっている。
煤けた行灯の光の下、男たちが肩を寄せ合い、椀を傾ける。
その輪の中に、嶽がいた。
「おっ、久しぶりじゃないか」
常連の中年男が、親しげに顔を向ける。
「おっちゃんが三日来なかっただけだろ。俺は毎日いるよ」
嶽は眉を下げて笑った。
その顔を見て、奥の卓の娘たちが声を上げる。
押し殺した、けれど隠しきれない声だった。
「毎度毎度、ようもてるのぉ」
男は感心したように顎を撫でる。
「そりゃあんたみたいな器量じゃないですよ」
「うらやましいわいな」
そう言って椀を干す。
そこへ女将が来て、無言で酒を継ぎ足し、嶽の前に小皿をひとつ置いた。
煮物が、湯気を立てている。
「よかったら食べてね」
男がすかさず口を尖らせた。
「なんで俺には」
「あんたの顔は一銭にもならないよ。この子は見てるだけで元気になれる。サービスだよ」
女将は振り向きもせず去っていく。
嶽はしばらく小皿を眺め、男の方へそっと押しやった。
「内緒ですけど、これ俺苦手で。食べてもらえます?」
男は破顔した。
「ほんとに愛想と顔と気前のいい奴だなぁ。そういえば聞いたぞ、西角のお屋敷の貴族の娘——お前と良い仲になったって、自慢そうに触れ回ってたぞ」
「何度断っても聞かないもので。据え膳食わねば、と言いますし」
「そりゃそうだ。今日は俺がおごってやる」
「いつもごちそうさまです」
二人は椀を打ち合わせた。
しばらくして、男が立ち上がった。
両手の指でバツを作り、女将に目配せをする。
「嶽の分も。母ちゃんにばれたら面倒だでな」
嶽は身を乗り出した。
「ごちそうさまでーす!!」
男は振り向かなかった。
ただ、背中で一度、手を振った。
嶽も最後の一杯を干し、預けていた瓶を受け取る。
女将に声をかけ、娘たちに向かって軽く手を振る。
「またね」
嬌声を背中に、戸をくぐった。
外に出ると、音が消えた。
鈴虫だけが、どこかで鳴いている。
道の真ん中に立ち、嶽は空を見上げた。
雲一つない夜だった。
満月が、白く、静かに浮かんでいる。
その目に月が映っているのか、映っていないのか——
ずいぶん飲んだはずだった。
けれど足取りは乱れない。
一度も振り返らず、嶽は暗がりの中へ消えていった。
鈴虫が、鳴いている。
誰もいない道だけが、そこに残された。
これは先にアニメを自主制作している途中です。
その1話を小説にしました。
アニメもクオリティが高くできるように頑張りますので応援よろしくです!




