015 綺麗事では届かない
「コーヒー、飲む?」
「え、えぇ。いただきます」
あぁ、こんなことをしている場合ではないのに。
そう思いつつも冷静になるにつれて、自分がこれまでの人生で、こんなにも熱くなってしまった経験がない事実に気が付いてしまった。
まさか、先生は俺が暴走する可能性を見抜いたから連れ出してくれたのか?
「はい、どうぞ」
大変だ。
先生って実は、とんでもなくいい女なのかもしれないぞ。
交際経験のない俺が、大人の女性にこんなんされたら――。
「先生のミルクはいるかしら」
ごめん。
やっぱ、この人はただの痴女だ。
「いりません」
しかし、この痴女に俺が助けられたのが二度目であることもまた事実だった。
無性に恥ずかしくなってきたものの、恐らく俺一人ではどうしようもないことを悟ったため、牧野と薬丸のためにも、ここは恥を忍んで相談するのがいいのだろう。
俺は、昨日の出来事から順を追って先生に伝えた。
「なるほどね。なら、まずは花ちゃんがやるべきことを整理してごらんなさい」
「だから、それは次の牧野の作品を――」
「いいえ、違うわ。
あなたの今日の仕事は、幸子ちゃんの小説を一緒に編集してあげること。そうでしょう?」
……迂闊だった。
なぜ、俺はそんな大切なことを忘れていたんだ。
「あなたの気持ちは、とてもよく分かるわ。
自分の信じたものが理不尽な力によって押し潰される。こんなの、悔しいに決まってるもの」
「……はい」
「でもね。大切な時こそ、先生は自分を見失ってはいけないと思うの。
先生、『誰かのため』って免罪符を使う男は、凄く独り善がりだって感じるから」
「そう、ですか」
なぜか、不純な経験談から得た教訓に聞こえてしまったが、とてもいい言葉だと思った。
……。
「俺って、つくづく一般人ですね。本人以上に結果に拘って、他人の褌で相撲を取りたがる。
まったく、自分が嫌になります」
「うふふ。二人のこと、本当に好きなのね」
……決まっている。
俺は、堕天丸太と四花しごとの大ファンである。要するに、俺の編集は推し活の延長線上にあるのだ。
あいつらの小説が読みたくて、俺はここに立っている。それを否定すれば、俺は一生後悔するに違いない。
だから――。
「当たり前です。
俺は、二人をこの世界の誰より愛してる。次は、きっと行動で示してみせます」
「「……え?」」
突如として聞こえてくる、重なった二つの声。振り返るとそこにいたのは、他でもない牧野と薬丸であった。
今日は、やけに遭遇イベントが多いな。
……そんなジョークを考えられるくらい、俺は冷静さを取り戻していた。
「は、花。今の、どういう意味?」
「どうって、聞いてたんだろ? そのままの意味だよ」
「「……」」
なんだ。
なぜ、そんな反応になる。どうして顔を赤くしている。俺が二人のファンであることなんて、とっくのとうに知ってるだろ。
「頼りになるって知ってるけど、今は他にやりたいことがあるっていうか……」
「ひ、引きこもりだからってナメるなよ!! ボクはそこまでチョロくない!!」
……あ。
「いや、違う!! 普通に考えれば分かるだろ!? 俺が言ってるのは、堕天丸太と四花しごとの話だっ!!」
「青春ねぇ」
「ちょっと、先生!! こんな手垢まみれの展開はいりませんからっ!! 状況分かるでしょ!? 説明するの手伝ってくださいよ!!」
「まったく、花ちゃんたら。普通に考えたら分かっちゃうからムカつくのに……ねぇ?」
「……ばか」
「あほーっ」
そんなこんなで、誤解を解いた俺は、先生に礼を言って部室へ向かう。
色々とやるべきことはあるものの、まずは『人殺しの尖塔』の編集作業にとりかかることにした。
削って、削って、また削る。
加筆修正はほとんどなく、ひたすらにバランスを取る作業。
しばらくして出来上がった一章は、不気味さをそのままに、コズミックホラー特有の理外の恐怖を手に入れていた。
「ねぇ、サク」
「ん?」
「こういう作業も、意外と悪くないな。
ボク自身が、改めて読み返すキッカケにもなったしさ」
「だろ。書きたいものを書いてるハズなんだから、読み返したら楽しいに決まってるんだ」
「クククッ、言えてる」
「そういうの、自家発電って言うんだよね、自家発電。
私、好きなんだぁ」
お、おう。
それは、なんというか、素晴らしいことだな。
「……ねぇ、サク」
「訊くな」
「今、変なこと考えただろ」
訊くなって言ったのに。
「え? どういうこと?」
キラキラした青い目で尋ねる牧野を躱しながら、俺は第二章までの編集を終わらせて帰路に着いた。
風呂に入り、食事を済ませ、少しだけクソガキ共の相手をしてから自分の机につく。
天井を見上げる。目を閉じる。そして、今日の過ちを深く悔いてから、徐にノベハウのホームページを開いた。
「……よし」
反省は済ませた。
あとは、やるだけだ。
「なにしてんの」
「勉強」
部屋に入ってきた霞は、ベッドの上にふんぞり返ると俺のスマホで動画を見始めた。
もちろん、兄にプライバシーなんてものはないので、注意する気も起きないがね。
「なんの勉強?」
「マーケティング」
「なにそれ」
「俺の好きな小説家が勝つための方法」
「ふぅん、なるほどね。完っ全に分かった」
流石、三姉妹のマセガキ担当だ。今日も知ったかぶりレベルが尋常ではない。
「やれやれ」
まず最初に、牧野をランキングで上回った作品たちの本文以外の要素を洗い出した。
気になったのは、短編にも関わらず内容をあらすじで語ってしまっている点。
なんなら、ギミックだけを省いて、先にエンディングまで示している作品すらあった。
もはや、小説じゃなくて商品の説明だ。この自重の無さが、読者に受けているのだろうか。
「じゃあ、お兄ちゃんが好きな人のやつはどうなの?」
牧野のあらすじは、いずれも冒頭の出来事に触れるだけの簡単な代物だ。
もちろん、俺はこれでいいと思っていた。
そもそも、自分があらすじを深く読んだ経験がないことに気がついたくらいだった。
……要するに、俺は今まで、プロ作家の実力を信じきって本を読んでいた。
だから、あらすじなんて読む気すら起きなかったのだ。
「けれど、アマチュアメインのウェブ小説業界に、そんな前提は存在しない」
だから、本文よりも先に目に入るタイトルやあらすじ、タグこそが重要だった。
勝負は、始まる前から既に決着している。そんなシビアさが、この戦場にはある。
ウェブでは素人のクソラノベばかり漁っていたせいで、成功パターンを知る機会がなかったが――なるほど。
ユーザーが求めているのは、他でもない『安心感』。
俺がプロに求めているものと、なんら変わりはなかった。
「じゃあ、どうすればいいの?」
……。
「分からん。
だが、一度は一位になったんだ。そこに一つの答えがありそうな気はしてる」
「ぶっぶー、違いま〜す。お兄ちゃんざんね〜ん」
「……なぁ。ムキになるのもアホらしいから、もう余計な口叩かないでくれるか?」
「なに? せっかく霞が教えてあげよっかな〜って思ったのに」
「ほー、面白い。なら、言ってみろよ」
霞は、大きく息を吸い込むと、とんでもなく生意気なメスガキフェイスを浮かべて自信たっぷりに言い放った。
「いっぱい頑張ればいいんだよ。
『努力は人を裏切らない』って、ピニャコが言ってたもん」
……。
「あ、知ってる? ピニャコ、レスキュー・ララの妖精さん。
ぷくく、お兄ちゃんは知らないかぁ。
えっとね、アニメが面白いし、学校でシール流行ってるんだよ? お兄ちゃん、買ってよ」
俺には、この世の中を舐めたクソガキに現実を叩きつけて泣かすことも出来たが、別に間違ったことを言ってるわけでもないので止めておいた。
仕方ない、アイスブレイクの意味も込めて霞の話でも聞いてみるとしよう。
「兄ちゃんは、どう頑張ればいいのかを迷ってるんだよ」
「知らなーい、自分で考えればいいじゃん」
「そう言うなよ、霞。
教えてくれたら、ピニャコのシール買ってやるから」
「ほんと? じゃあ、教えてあげるね」
俺は、頬杖をついたまま霞の方を見る。
「その人が、もっと面白いやつを書けばいいんだよ。
絶対、誰も無視できないような面白いやつをね」
……あぁ、涙が出そうなくらい素晴らしいアイデアだ。
最高だよ、霞。流石は兄ちゃんの妹だな。
「出てけ」
「はーっ!? ちょっと、なんでよ!!
教えたんだから、シール買ってくれるよね!?」
俺は、霞を追い出して深いため息をついた。
シャーロック・ホームズのように、関係ない要素から天才的な発想が思い浮かぶことを望んでいたのだが――まぁ、こんなクソガキに期待した俺がバカだったよ。
「ママーっ!! お兄ちゃんが嘘ついたーっ!!」
霞がドタドタと階段を降りていく音のあとでスマホを見ると、一通のラインを受信していた。
霞の奴、勝手に見やがったな。
送り主は、牧野アメリ。
どうやら、次の原稿があがったようだ。
「……これもいいな」
ひとまず、今日の考察を活かして、俺は牧野の新作『水槽で飼ってる初恋』を読み込んでから、丁寧なあらすじを考えることにした。
終了したのは、午前二時。牧野に確認するよう文章を送って、俺はベッドの上にへたれこむ。
「……ふぅ」
答えの分からない今、このラッピングが少しでも牧野の作品を彩ってくれるように願うことしか出来なかった。




