4 ランベルトside
兄と最後に会ったのは、呼び出されて出向いた伯爵家の執務室だった。
「来月、アニサが住む平民街で夜祭りがあるだろう? 平民に見える服を一揃い用意してほしいんだ。ああ、そうは言っても、あまり見栄えの悪くないものをな」
「平民のふりして祭りに潜り込むってのか? 恐れ多くも、この領地の御領主様が」
「そうとも。あの祭りは仮面を付ける習わしだ。いかにも貴族らしい身なりで出歩きさえしなければ、領主だとは気づかれないさ。祭りの夜は毎年アニサと通りを冷やかしているが、危険な目には一度も遭ったことがないから心配は無用だよ。平民街とはいえ、あの辺りは安全なのだろうな」
父とよく似た人の良さそうな顔で、兄は夜祭りの逢瀬に想いを馳せていた。
「ただでさえ不憫な生い立ちのアニサに、日頃は寂しい思いをさせているからな。こういった機会には、できる限り楽しませてやりたいんだよ」
そう言って目を細める兄の頭の中には、同じ屋敷の中にいる正妻のことなど塵ほども存在しないのだろう。
「ま、精々気をつけてな。服は十日後に愛人の家に届けさせるよ」
「ランベルト。アニサを愛人などと呼ばないでくれと以前にも言ったはずだ」
「ああ、悪い。兄さんの中では愛人は義姉さんのほうだったな」
「っ……ランベルト!」
「はは。軽い冗談だ。そんなに怒るなよ。それじゃ、またな。兄さん」
この時にはもう、俺が兄に代わって当主になることが水面下で決まっていた。
兄は愛人に持ちかけられた架空の投資話に手を出して莫大な借金を抱えたことに動揺はしていても、領主の権限でなんとかなるだろうと高を括っていたらしく、債務をどうにかしてくれと俺に泣きついてきたのは家令や縁戚の連中だ。
義母は忌み嫌っていた俺が当主になると知り商会に怒鳴り込んできたが、金の話をしたら静かになった。
伯爵家が取り潰されれば、父も義母も平民になる。兄の体面より自分達の隠居生活のほうが大事らしい。
自分の足場がとっくに崩れ落ちていることも知らず呑気に祭の話をしていた兄。滑稽を通り越して憐れに思えたが、情をかけてやる気はさらさらなかった。
その夜、俺は学生時代の友人達を誘って平民街の酒場で飲んだ。
「そういや昼間、今年の夜祭りは護衛なしで愛人とデートするから平民が着るような服を用立てろと、兄から注文を受けたんだ」
兄がこれまで無事に平民街の祭を楽しめたのは、大通りを護衛付きで練り歩いていたからだ。
「我が兄ながら、まったく危機感が薄くて困るぜ」
俺の兄がこの領地の領主であることは、この街では誰もが知る事実だ。兄が学生時代から平民の女を囲い続けていることも。
毎年、屋敷に正妻を残して夜祭りに繰り出す兄が、あわよくば少しばかり痛い目に遭えばいい。
それくらいのつもりで酔って口を滑らせたふりをして、俺は兄の情報をわざと漏らした。
祭りの夜に兄と愛人を暴行して僅かな金を奪って逃げた連中は数日後に警備隊に捕縛されたが、兄だと知った上で狙ったか聞き出されることもないまま、即日処刑されたそうだ。
セレーナとの出会いは、兄と彼女の結婚式だった。兄の伴侶じゃなければ口説いていただろう、見惚れるほどのいい女だった。
しばらくしてセレーナは、兄に内緒で俺を屋敷の外に呼び出した。富裕層向けのカフェの個室で『避妊薬を融通してほしいの』と潤んだ瞳と震える声で打ち明けられた時、身体の奥が痺れるのを感じた。
たったそれだけのことで、俺はセレーナに参ってしまったわけだ。生まれて初めて兄を羨ましいと思った瞬間だった。
兄は死ぬまで気付かずじまいだったが、愛人のアニサという女が兄に買い与えられた屋敷に男を引っ張り込んでいることは、平民街では有名だった。
俺は伝手を使い、見てくれのいい詐欺師崩れの男を身持ちの悪いアニサに接近させた。優男にまんまとのぼせ上がったアニサが言われるままに架空の投資話を兄に持ちかけてくれたおかげで奴は莫大な借金をこさえ、俺はセレーナと、彼女の夫の座を手に入れることができたのだ。
兄がまだ生きていたら当主の交代を相当ゴネただろうから、くたばってくれて助かった。
葬儀の晩に喪服のセレーナを肖像画の前で抱いたのは、愚かな兄への俺からの手向けだ。
恋焦がれていたセレーナの人妻だったとは思えない無垢さと愛らしさに理性が吹っ飛び、抱き潰してしまったことは反省している。
彼女が寝ている間に屋敷にあった避妊薬を探し出して全て捨て、それから使用人に客間の肖像画を外させ庭へ運ばせた。
肖像画を焚き火にくべている間、消し炭になりゆく兄に向けて、俺は心の中で語りかけていた。
『さよなら、兄さん。俺はこっちで愛するセレーナと幸せに暮らすから、あんたはあの世で愛人とよろしくやるといい』と。
愛する妻を冷遇していた子爵家への支援も打ち切ったから、近々文句を言いにくるかもしれないな。
終




