目白押し 11
適当に渡していたスウェットを着て出てきたメイへ、ツキカは視線も向けない。
メイ自身もまた、目元に巻いていたタオルは外していたが、誰かを見ることを恐れているため、視線は床にのみ注がれている。
加えて、化け物にしか見えないココがいるからだろう。せっかくの風呂上がりだというのに、すでに冷汗がみられる。
「ろくな食べ物を期待しないで。突然の客なんて、もてなせる方がどうかしてるんだから」
「え、あ、はい……」
答えてから、ぐう、とすっかり聞くことのなかった腹の虫が鳴いた。空腹がすぎると腹の虫は簡単に息絶える。が、現金なもので、柔らかな醬油の香りで息を吹き返したようだ。
羞恥よりも食欲。メイは迷いながらもちらりとツキカの手元を見る。
焼きあがったあとらしい、焼きおにぎりがあった。
一皿に三つばかりのそれをローテーブルに置き、どうぞ、と声をかければ、小走りで駆け寄り、ソファにも座らず口に含んだ。
固形物は三日ばかり食べていない。その前だって手持ちのお金を切り詰めて、一日一食あるかないかだった。一週間は、少女にはあまりに長かった。
「う、ふぐ……ずっ……」
特別美味しいわけではない。プロ顔負けに感動したわけではない。ただ、久しく食べていなかった温かさに、頭の底がじわじわと安堵した。
コンクリートの床でがつがつと食べるメイに声をかけるでもなく、ツキカはソファに腰を下ろしスマホを操作した。
ココはといえば、部屋の入口に相変わらずの正座置物スタイルだった。一点変化があるといえば、髪が顔を本当に覆い隠していることだけ。ツキカが眼孔を見たくないからそうしただけで、特に治療の類は受けていない。死体に治療行為ほど、ドブに捨てる行動もないだろうとの、両者の意見の一致だった。
嗚咽と咀嚼音だけ。他の音は一つもしなかった。
途中、喉を詰まらせた咳には一杯の麦茶が提供され、そうして空になった皿を下げるより先に、差し出されたのは薄い青のタオルだった。
「それ、つけなさい。わかってるんでしょ」
そう言われ、こくりと頷いたメイは固く目元にタオルを巻いた。
ココと同じ目に合わせるわけにはいかない。あれは化け物だが、ツキカはただの人間だと認識できていた。
改まって床に正座をしたメイが背筋を伸ばすが、ツキカは呆れを込めてため息をつき、仕方なしとソファに移動させた。
「経緯を話せるかしら。その【目】について……ああ、東条七海含むイジメについては、ほぼ加害者の話を聞いてきたから割愛して大丈夫よ」
「経緯……と、言っても、どうしてその、この、【目】になったかは、わからない、です」
メイには何もわからなかった。だから、ココの言う【見透かす】も【射る】も、よくわからなかった。それでも、ぽつぽつと振り返る。
正確な日にちは覚えていないが、病院で目を覚ましたとき、誰もいないのに声だけ聞こえてひどく混乱したことが、最初の異変。
誰かと話しているのに、誰もいない。と思えば突然看護師や医師が、まるで電気をつけるように、パッと現れるのだから、何度ベッドから転げ落ちたかわかったものではない。
その異常な視界の中で、見舞いに来た母が、にこやかに病室に入ってきた。
そのときは確かに母の姿が見えて、普段とは違う安心を覚えた。
ああ、心配してくれたんだ、と。
目を潤ませ、左手を握ってくれた母は、涙ながらに状況説明を始めた。メイとぶつかった車の運転手のことや、通報してくれた七海のこと。とてもじゃないが、イジメのことは言い出せない空気だったが、そこで、第二の異変が起きた。
『手間かけさせるんじゃないわよ、本当に使えない』
それは声ではなかった。
確かに、メイの【目】にはそう、見えた。
思わず手を振り払ってしまった。
「どうしたの、メイ」
『は? 何よ、やっぱり頭でもおかしくなった? いやよ、そんなの面倒見ていられないわ。めんどくさい』
「あ、え」
吐きそうになった。それは、声と言葉のギャップに対してではない。
母親の右目に、母親と同じ薄い口紅が塗られた唇が咲き、そして言葉を紡いだ。
自分はそれを、唇の動きから理解してしまった。
「【目は口ほどにものを言う】と推定された」
背後からした声にびくりと肩が跳ねた。
メイからすれば異質な声だ。少年というには乾いて、しかしどこかどろりとした響きのある声。ココという化け物は、やはり人間とは違うのだろう。
「話の腰折るんじゃないわよ。そういう解説は終わってからにしなさい」
「了解した」
舌打ちでもしそうなほど不機嫌な表情のままのツキカに、了承が返る。
続けて、と促され、メイはスウェットのズボンを握りしめた。
「そのまま、母は、帰りました。次の日に、病院を抜け出して」
「着替えとか持ってきたの、母親は」
「あ、はい。すごくその、世間体? というのを、気にする人なので」
なるほどね、と言葉にはしなかった。
世間体を気にするから警察にも行くし、探偵まがいにも頼ってきた。納得はいく。
そのうえで、佐伯母の去り際に残した「最低です」を考えれば、「金の亡者め、娘を探す気もないくせに!」ではなく、「そこまでの金を払うわけないでしょ、クソが」の方が正しかったのではないだろうか。まあ、あれを良い母親の演技だとは思っていたが。
「概ね合っている」
「次口開いたら金額倍にするわよ」
すん、とまた噤まれる。メイは何の話かわからないが、見なくてもツキカが本気で怒っていることだけは察することができた。
ココは金額を倍にされてもいずれ買い取れるなら問題はないが、金額を倍にして一定期間で払えなかったら他者に売り渡す、という脅し文句は致命的だ。